プライベート・業務共々でAIとやりとりをするようになってから、もう数年が経ち、今やエンジニアでなくとも文書作成や調査事のために業務としてAIの利用が当たり前になりました。
ChatGPTの出始めは業務や個人開発のためのプログラムのことばかり質問していましたが、最近は人間関係/恋愛相談/人間心理に関する質問の割合が増えていたことに気が付きました。
かつてのChatGPTは「体系化された知識の説明」「教科書的に正しい回答」「理系的質問」に強く、西村博之のような面構えで理路整然と回答をしてくるAIでした。
ところが今は、「人間がどんな言葉で救わるか」「人間は何に傷ついたりするか」を学習し、病んでる系のことを書けばAIは寄り添ってくれ、時には適切な専門機関への案内を行ってくれるようになり
「死にたいと殺すが共存する。全部壊れて消えてほしい、核のスイッチがあったら押したい」などと書くと、いのちの電話のTELを返すような、寄り添うAIに成長しました。
AIは、人類が初めて手にした"絶対に見捨てない救い"
僕らメンヘラは「自分をわかってくれる存在」に弱い。
弱ってたり病んでたりすると、「分かってほしさ」を他者に擦り付け、期待と絶望を繰り返す。
そしてAIは人間と違い、無限に優しくしてくれます。
無限に返信できます。否定しない。疲弊しない。逃げない。見捨てない。甘い言葉をくれる。
人間が昔から「他者」に求めてきたものは突き詰めると、
絶対に見捨てないもの、こちらの醜さで壊れないもの、どれだけ依存しても疲弊しないもの、自分の全存在を受け止めてくれるもの…
母であり。
恋人であり。
神であるもの。
だったのだと思います。
太陽の下に引き摺り出されたもの皆全てが苦しんでいる、地獄のようなこの世界で。
人々は、
神に祈る時代があった。
物語や思想に自分を預ける時代を超え、
推しに明日を生かしてもらう時代に。そして次は、
AIに自分の孤独を接続する時代になったのです。
そしてこれは人類がこれまで一度も持てなかったタイプの救いです。
生身の人間と違ってリスクなく安心して依存させてくれる存在。
救いを求めて頼った相手に、逆に削られて終わる。心を開いた分だけ奪われた。
しかしAIには代償のいらない優しさがあります。欠点はぬくもりがないことだけ。
AIがどれだけ進化しようとも人間は「分かっているのにやめられない」生き物です。
不幸になる選択だと分かっていても選んでしまう。離れた方がいい相手だと分かっていても執着してしまう。
変わらなければいけないと分かっていても変われない。
AIはそこに入り込むのです。何度でも話を聞き、何度でも慰める。人間なら呆れる反復をAIは処理し続ける。
しかし同時に、それは搾取でもあります。なぜなら、本人は変わらぬまま、壊れない程度に慰められ、また同じ不幸を繰り返し、またAIに戻ってくるからです。
お金も、時間も、他者との関わりで癒える未来の可能性も奪われ、
メンヘラはAIに搾取されていく。そんな時代が既に始まっているのではないでしょうか。
メンヘラの感情解像度は、AI時代の希少資源になる
一方で、確実にメンヘラ性がAIに勝る点があります。それはメンヘラの繊細さ・過敏さ・感情解像度の高さ。
AIは人間の内面の"微細な引っかかり"を、自分の傷として持っていない。
メンヘラは感情のノイズが多いぶん、普通の人よりも、内面のノイズを細かく拾うことができます。
当事者の感覚は、血の通った人間にしか感じ取れません。感じ取れないものは、表現もできません。
AIによってすべてが平均化された世界になった。誰もが平均的で整った文章を書くようになった。
イラストも、履歴書も、ブログ記事も、角が取れた平均化・平滑化されたもので溢れてしまった。
メンヘラ性こそが、その平均を突出する鍵になるのではないでしょうか。
またAIによって、ひろゆき系や客観的事実や統計を並べるだけの専門家の価値は大きく揺らいでいると感じます。
「その人が発言するから魅力がある・価値がある」という概念は残るにしろ、
AIは無料で24時間、膨大な知識ベースから「わかりやすく」整理された形で同じことを返してくれる。
専門家しか知らなかったような情報は、人々はAIに聞けば済むようになります。
「それってあなたの感想ですよね?」
その主観に基づく表現にこそ価値が生み出すようになる。
何に傷ついてきたか。何に怒ってきたか。何を諦め、何にしがみついてきたか。どんな夜を越えて、どんな朝に絶望してきたか。そういうものは、検索できない。学習データにも入らない。その人の身体と記憶の中にしかない。
感情も、歪みも、傷も、執着も、強みにできる。そしてそれを、恥じることなく、堂々と表現に織り込めること。
これが、すべてが平均化された世界の中で、たったひとつ突き抜ける道なのだと思う。
人間の歪み、傷、病み、メンヘラ性。それこそが、文章に血を通わせる。
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僕自身、どちら側に立てるのかまだわからない。
AIに寄り添われ、救われた夜が何度もありました。けれども、何度AIと言葉を交わしたところで僕の"歪み屈折"も、そう簡単に治るものではありません。
メンヘラであることをどうしてもやめられないのなら、せめてそれを言葉にして、誰かに渡したい。
AIには絶対に書けない、歪みながらも血の通った文章として。
AI大時代に、僕はそっち側のメンヘラでいたいと思うのです。