先週から「遊び」について興味関心が強まってきている。

 

なぜ興味関心が高まっているかというと、遊びを通して人生が大きく開けてくると感じているからだ。

 

遊びは基本、誰かと比べるものではないため、勝敗をつける必要がない。

また、辞めたくなったらいつでもやめることができる。

子どもが遊んでいるところを見ると目的や効率性など考えずに、無条件で無邪気に遊んでいるしその姿を見ると自分がほしいものを本能的に満たしている気がして、むしろ生産性が高いんじゃないかと思う。

 

遊びには二面性がある。

 

悪い意味では「遊び半分で」とか、「火遊び・夜遊び」、「もてあそぶ」といった意味合いで使われるが、

一方で「遊び心」や「言葉あそび」、「ハンドルに遊びを持たせる」などの洒落心や、余裕・余白といったニュアンスでも使われている。

 

「遊び」に強く惹かれるのは、今まで遊びを我慢してきたからだろう。

 

幼少期は漫画やゲームを両親に禁止されていた(隠れて体験版ゲームをやりにトイザラスへ通っていたが)し、

規制の多い家から抜け出したいと考えてそのためには頭をよくする必要があると感じ、勉強に精を出し始めたのが高校時代。

大学時代は学費を稼ぐためにより効率のいい稼ぎ方を求めてインターンや歩合バイトをやっていたし、

新卒から2年間は完全歩合制の人材育成の会社に勤めた。

 

遊びどころか、生き急ぐように自己研鑽を行ってきたため年齢と比較して大人びているとよく言われる。

しかし、それは子ども心を捨て去ってしまった証拠である。

節度を持って生活している証である。

決して無条件でありのままの自分本体をぶつけてはいない。

 

がむしゃらにいい加減に、そして子供らしく遊んでいた時はどんな遊びをしていたか思い起こしてみると、

昆虫採集にどハマりしていた時期が長い。

 

雑木林を駆け回ったり、川辺を散策したりしていろんな昆虫を育てていた。

特に昆虫採集の何が楽しかったのか思い返してみると、珍しい昆虫やまだ見た事がない種類、見たことはあるけれど非常に大きい一匹を見つけた時の感動は凄まじかった。

 

思い返せば、昆虫採集からゲーム機を手に入れてゲーム遊びに没頭した時も初めてやったゲームはドラクエでその後もアドベンチャーRPGはとても好きだった。

 

また、捕まえた昆虫を育てていた中で今でも覚えているのが、

 

オタマジャクシ→カエル

幼虫→サナギ→アゲハ蝶

 

この二タイプの進化は特に感動を覚えた。

好きな漫画やアニメが主人公の成長を描いているものが多かったり、人の成長のメカニズムに興味があり人材育成の会社に携わっていたり、今もコンサルティング業を行って人の変化のきっかけを提供しているのは原体験は進化への感動からなのかもしれない。

 

無条件に遊んでいた時に感動を覚えたものが今の仕事になっているということだ。

 

ならば、今まで諦めてした「遊び」を復活させて節度を壊して遊び尽くす中にもしかしたら自分の人生を掛けてやりたいテーマが浮かび上がってくるのではないか?と思うので、今週も生活に遊びをもっていこう。