おはようございます。

今日はお天気がイマイチなのか、まだ日の出🌅にならないのか、外は薄暗い朝です。


実は昨日、次女ちゃんと2人で笛吹市の実家へ行って来ました。


両親がいよいよスマホデビューしたのですが、全く扱えず、母に関しては家族や親戚友人の電話番号の登録からやらねばならず、2人ともLINEを使える様にして欲しいとの希望もあり、色々大変でした。

写真の撮り方、撮った写真がどこへ行くのかわからない、写真の見方、送り方、もう本当に基本から何もわかっていないので本当に大変でした😱


なんとかLINEを繋いで全てをノートに書いて、一段落してお茶を飲みつつ話題になったのは、母の実家の娘、Sちゃんの事です。


先日亡くなった叔父はSちゃんの父親でして。

叔母は2年前に他界しています。

つまりSちゃんは両親を亡くしてしまったという事。


Sちゃんは現在46歳。

精神年齢は多分小学1、2年生…。


親が知的障害者である事を絶対に認めず、故に受診も診断も受けておらず、ずっと家事手伝いとして自宅でテレビを見て過ごす毎日…


弟くんがいるのですが、刑事課の警察官なので、仕事も忙しく、夜勤もあるので、とても姉の面倒など見られない。


親が生きていた間はそれでもやってこられたでしょう。

けれど、両親が逝ってしまった。

弟くんがこの姉の面倒を見続けるのは到底無理。


Sちゃんをどうしたものか…とはかなさんの母も心配していて。


はかなさんも次女ちゃんを育ててくる中で、Sちゃんの事は常に反面教師として心に留めて来ました。


叔母は、ちょっとバカなだけで障害なんてない、障害者だなんて言えば家に傷がつく。

お嫁に行く時に差し障りが出るから、と絶対に障害を認めず、社会から隔離して、家で過ごす事を選んだ。

心臓にも病気を持っているので、そちらを口実に、ずっと家事手伝いとして家で毎日テレビを見て過ごして来ました。


それはSちゃんにとって『楽な暮らし』ではあったけれど、『幸せな暮らし』とはかけ離れた物だと、はかなさんは感じていて。


次女ちゃんを育ててくる中で、いつかはかなさんが老いても次女ちゃんや長女ちゃんが困らない様に、Sちゃんの様に閉じ込めないで、社会的繋がりをしっかり作って、次女ちゃんを助けてくれる、支援してくれる道筋は通しておこう、と思って来ました。

療育手帳の取得、精神障害者手帳の取得、障害基礎年金の取得、主治医の選択、市の支援員さんとも繋いであるし、カウンセラーの先生も素晴らしい相性の先生を見つけてずっとお世話になっています。

そして次女ちゃんが学びたい事を次女ちゃんを理解し、次女ちゃんのペースで教えてくれるT先生も居て下さいます。

これだけ周りに繋がっていれば、はかなさんに万一の事があっても、次女ちゃんは歩いていけるかな、と。


叔父と叔母はそう言う事を何もして来なかったので、Sちゃんを抱えて、弟くんが途方にくれる結果になっています。


母から、Sちゃんをどうしたものか、民生委員に相談してみようかと思う、とため息混じりに話しがあって。


Sちゃんの事に関しては、はかなさんもとても心配で。

実は叔母が亡くなった時に、ふらふらで食事も取れず、1人ではまともに歩く事すら出来なかったSちゃんが心配で、次女ちゃんの支援員さんとの面接の時に、相談した事がありました。

次女ちゃんの支援員さんも親身になって聞いてくれて、笛吹市の福祉課の支援員さんに連絡を入れてくれて、笛吹市の支援員さんが自宅に訪問して下さった経緯があって。

そこから叔父は定期的に支援員さんと連絡は取り合って居て、その旨は弟くんにも伝えていたそうですが、叔父も障害とは認め切れず、診断を受ける所までは行かず、弟くんも支援員さんの名前や相談内容までは知らない様で。

そこまでは葬儀の後で弟くんと話しして来て、叔父の49日が終わったら弟くんと一度ゆっくり話しして、協力していくから、とLINEも交換したので、その旨を母に伝えて、今後公的支援を得て生活して行く事が望ましい、その為には主治医を決めて診断して貰い、その上で支援員さんと繋がり、どんな支援を得ていくのか決めていく必要がある事を説明しました。

母も少し安心出来た様でした。


Sちゃんの場合は、たまたま知的障害のある次女ちゃんを育てて来たはかなさんが身近に居て、この先は弟くんと協力して支援の形を整えて行く事が出来そうなので、はかなさんが難しい所は母の協力も得られそうなので、一歩一歩進めて行けそうですが。


障害者を遺して、支援も整わず、両親が逝ってしまったら、本当に大変だと思います。


親として、子供の障害を受け入れるのは本当に辛い事だし、世間ではどんなに説明しても理解して貰う事は難しく、厳しい目を向けたり、心ない言葉をぶつけてくる人もいます。

けれど、親が受け入れて向き合って行かなければ、一番辛い思いをするのは、愛する我が子だと言う事を肝に銘じて、受け入れ、動いて行かなければならないとと感じます。


はかなさんが協力しなかったら。


犠牲者は本人は元より、そんな姉と生きて行かなければならない弟くんです。


弟くんは自分の人生を生きる事さえ出来なくなってしまう。

自分の幸せを見つめる事も出来ず、姉を食べさせていく事で人生が終わるのです。

そんな重荷を健常者の兄弟にまで背負わせてしまう結果になって、誰も幸せじゃありません。


親が我が子の障害をしっかり受け入れる事の大切さを、今回は心底から感じましたよ。

弟くんが、はかなさんの協力するよ、と言う言葉を受け入れて、頼ってくれて本当に良かったと思います。

時間はかかると思いますが、少しずつでも頑張って行こうと思います。