奇は奇術師の奇
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

なにをもって…?

高度経済成長期に育った私達世代は、若い頃から他人と競って勝つことを求められてきた。

この世の中は競争社会なのだから、勝ち組とならなくては人生の意味がない。とまで言われたのであった。

しかしながら、勝ち負けとは、誰が決める者なのだろう。負けた者は価値も何もかも無くしてしまうのだろうか?人生の生きる意味さえも?

否、断じてそんなことはなくて、勝っても負けても価値があるなしなどということはない。それは勝てばそれなりの結果が付いてくるだろうが、負けたとしても、その経験は大いなる財産となるのだ。

そう考えると、結局は自分自身の心の持ち方次第なのではないか。

 

そんなことを考えてお茶を飲んでいたある日。Dr.レオン氏との電話で、こんな話が出た。

「マジック界で生きていく者は、なにをもって成功者と言えるのだろうか?」

 

若い頃はカパーフィールドやランスバートンのようにラスベガスなどの大劇場で活躍できるのを夢見ていた。しかし、ある程度マジック界にいると、そんなマジシャンは世界でもホンマに一握りしかいないことに気付く。

大きな夢を追い求めるのは大切なことではあるが、いい歳こいて現実の足固めができていないと、口先だけの人間になってしまう。つまるところ年齢を重ねる度に夢の軌道修正が必要になるのだ。

 

近年はテレビの番組に出でクロースアップをやる、という方が大いに実現可能な夢ではあるのだろうけど、これにしてもいつまでもテレビに出続けるのは非常に困難といえるだろう。

有名人になることを夢とするのは結構だけど、一般大衆は気まぐれであり、大衆に向き合ってばかりいると、自分を見失ってしまう。

他人に己の評価を委ねることを夢としてしまえば、空い結果となってしまう。

 

最近はマジックをビジネスとして捉えることが大切と言って、お金儲けに走ろうと一生懸命な若者が多い。しかしそんな若者を標的にした情報商材ビジネスの良いカモにされてしまうし、他人の収入を気にして、買った負けたと無意味な競争を追求する羽目に落ちいってしまう者も多い。

金儲けこそが成功という図式は資本主義社会ではある意味正しい。

実際マジックは他の芸事に比べたら、生活費ぐらいは簡単に稼げてしまう。だから勘違いする者が出てくるのだけどもね。

しかしながら、お金儲けそれだけではいささか寂しい感じがするのだ。

やはり自分だけの芸を開発することができて、己の求めるショーを披露することができて、初めて成功と言えるのではないだろうか。

その結果として、お金がついてくるのが正しい流れでありたい。

 

成功とは絶対的なシロモノではなくて、人それぞれなのである。

マジシャンひとりひとりの夢があり、成功があるといえるのだ。

 

極端な話を言えば、マジシャンとなったのならば、マジックに関連したこと以外の仕事をすることなく一生を過ごしていけたとしたら、それはそれで大成功者と言えると思うのだ。

 

要は心の持ち方なのだね。

 

そんなことを考えながら、ウトウトしていた春の午後。

 

29日はOSMAND 大人気のMiiNAと一緒にガンガンやりますので、この機会をお見逃しなく!

 

 

稽古と作りもの。

土日はレッスン生の稽古。

土曜日は名古屋からH女史の営業ネタに感するレッスン。私の考えが追いつかずいいアイディアが中々出なくて大変。遠くから来ているから時間が大切なのになあ。まあ時間切り切り頑張ってくれました。

日曜日はPちゃんのレッスンというか道具の補修。6時間かけても終わらなくて、結局作り直さないといけなくなったのだけどね。ヒェ〜〜。

というわけで、夜はいつものラーメン屋さんで

『台湾ラーメン』『野菜餃子』

本場味仙には及ばないのだが、中々いけるのだなあ。

 

世間はGWに突入ということで、今月29日にはOSMAND出演。

先日のテレビでも大好評のMIINAの巫女手順も堪能いただけます。この機会に是非!

 

 

 

『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』を見る

お絵かきしている時のBGVとして『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』(神田武幸・飯田馬之助/監督 1996年~サンライズ)を久しぶりに観る。

あの『機動戦士ガンダム』(富野喜幸/総監督 1979年 日本サンライズ)の外伝OVAで、その昔レンタルビデオで借りて観て、大変に面白いと感じていたのだ。

私自身はマニアではないが、多感な時期に富野喜幸監督の三部作、『無敵超人ザンボット3』(1976年)『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)『機動戦士ガンダム』と続けて観てしまい、いわゆるそれまでのアニメにはないリアルで容赦ない世界観に完全にハマってしまい、その後の『伝説巨神イデオン』(1980年〜)でとどめを刺されてしまったのである。

世の中バブルへと浮かれていく中で、おもちゃ販促の為の番組なのに全編にわたり作家性を貫き通したその製作姿勢に非常に感名を受けたのであった。逆に言えば、販促の為の番組だから、おもちゃさえ売れたら内容は自由にできたのだ、とも言えるのだがね。

 

巨大ロボットが主人公なのにリアルとはどういうことなのか?

 

『ザンボット3』では街中で巨大なロボットが戦ったらどうなるのかを真正面から描く。

街は壊され、人々は死んでいく。生残った人は街を追われ、戦うから敵が来るのだと、主人公たちを非難する。さらに戦いの中で主人公の友人も、仲間も、家族も、次々死んでいく。

 

安彦良和氏の可愛らしいデザインのキャラが次々と容赦無く最後を迎える。敵は漫画みたいなキャラなのに人間爆弾という非人道的な作戦を実行したりする。そして最終回の正義と悪の逆転劇。その後の一途の希望。作画が拙いのが残念だけど、戦争はご都合主義でなく、人は残酷な面を持っていることを教えてくれた。

 

続いて放映された『ダイターン3』は全く正反対のギャグ満載のエンタメ作品。

ルパン三世+007という雰囲気を目指したというだけあって、二人の美人アシスタントが登場。さらにロボットのメンテナンスから主人公の生活全般の面倒を見る執事、そして主人公に憧れる子供。という布陣で、毎回笑わせてくれる。

 
 

しかしながら回を重ねるたびに徐々に語られる主人公の過去。科学者である父親が敵を生み出した元凶であり、兄も母も父の実験台になり死亡する。その父の過ちを正すために戦う。という裏設定があり、主人公の苦悩と怒りが少しづつ描かれていく。

 

そして『ガンダム』。

戦争というものには悪も正義もなく、ただ愚かしい指導者の元、末端の兵士が市民が魏性になっていく。戦争の愚かさと命のはかなさをきちんと描いている。

 
 

妥協しない製作姿勢で作られたからこそ、半世紀近くたっても関連作品が生み出される行の長いコンテンツとなったのだ。

ただし、本放送はいまいちおもちゃが売れないで、打ち切りだったのだけどね。

 

それで、『第08MS小隊』だが、『機動戦士ガンダム』とおなじ時系列であり、主人公はボール一機でザクと戦って勝ったり、地上の局地戦でMS小隊を活用したりと、なかなかに本編『ガンダム』では語られなかった戦争の様子が描かれている。

富野氏の戦争に対する思想は確かに受け継がれていて、小隊ごとの確執、ゲリラとの共闘とその悲惨な末路。作戦行動の辛さと現実。そんな戦地のリアルとは別にメインのストリーはロミオとジュリエットというのがこれまた凄まじい。

 
 

30年前のアナログアニメ。全11話。作画は丁寧で観ていて少しも古くない。立ち上げ時の監督神田氏がシリーズ途中で急死!後を継いだ飯田氏ら若手スタッフが見事に完結させたという。

 

若い頃にこれらの作品に出会ったから、やっぱ自分の視点は少しひねくれていると思う。それが大勢に迎合しない独自の生き方となっていて、多くの人が慕ってくれるのは幸いなのだなあ。

 

世界全人類が子供の頃にこのような作品を観ていれば、世の中もっとマシになるだろう。

いや、マジでそう思うのだよ。

 

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>