皆さんの、

善なる意識にこんにちは🌞

一真です。

 

霊能者/画家/詩人として

活動しております。

 

本日の動画は、

こちら⬇️

 

《腐敗するまで。》

 

自分の中に自分がいる。

 

自分の中にたくさんの自分がいる。

 

 

言葉を紡ぐのを辞めてしまう。

 

何故なら上手く紡げないからだ。

 

上手く紡げないから、

 

途中で全てをデリートしてしまう。

 

なかったことにしてしまうのだ。

 

でもそこに空いた空白の歴史は埋めきれず、

 

そこにはポッカリと穴が残る。

 

 

誰の為に私は生きているんだろうと、

 

私に問いただす。

 

 

でもそれって、

 

『お前は誰のためにあるの?』って言葉って、

 

『なんで誰かの為に生きてんだよ。』なんて心の叫びでもある。

 

誰かの目線を気にして生きる自分を悲しく想い、

 

情けなく想い、

 

やるせないのだ。

 

『お前は誰なんだよ!』と言いたくなってしまうのだ。

 

 

 

綺麗な、上手な言葉を求めている。

 

だから不備列な言葉や、

 

歪な言葉は醜く見えてしまう。

 

綺麗さを求めているからだ。

 

『誰のために?』

 

 

たった今一呼吸つくだけでも誰かの為に息を吸おうとしている。

 

たった一言言葉を吐くだけでも、

 

誰かの為に言葉を使おうとしている。

 

全部、全部自分のものなのに。

 

 

親のものじゃない。

 

全部たった1人の自分のものなのに。

 

 

まるで自分自身のリンゴを、

 

困っている人には絶対分け与えないといけないと思い込んでしまい、

 

りんごが腐って食べられなくなる前に、

 

困っている人を躍起になって探し続けてしまう。

 

 

違うよ、リンゴを食えよ。

 

リンゴを食って、またその種で新しいリンゴを植えろよ!

 

なんて言うが、

 

そいつが求めているのは、『分け与える』建前が欲しいのだ。

 

だから誰もいなくとも、

 

ただ、分け与える『美味しさ』がほしいのだ。

 

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りんごが腐る直前になって、

 

ようやく、

 

『あぁ誰も見つからなかった。

 

りんごも腐りそうだ。

 

だからリンゴを食べよう。』

 

と腰を落ち着けることができる。

 

 

リンゴを食べるのには最適な時がある。

 

 

それを『誰かのため』という自身の不安を、

 

何か、『何か』で補うことを止めるのだ。

 

 

それはまるで、

 

自分の死期を、

 

自分の肉体が腐敗するのを待っているみたいじゃないか。

 

 

『あぁ、何も見つからなかった。

 

肉体も腐りそうだ。

 

だからそろそろ自分を生きよう。』

 

 

それでは少し、遅すぎる時があるのだ。

 

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本日もご愛読頂き、

誠にありがとうございます。

 

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