《ネガティブとポジティブ》
何かに“否定的“になっている時、
今自身が、
どんな状態であるかを確認してみてほしい。
「ネガティブ」な時、
「ネガティブ」なものを産みやすい。
「ネガティブ」を、
「ポジティブ」にするためには、
感動が効果的である。
しかし、
執拗に「刺激」を追い求めてしまうと、
自分自身を見失ってしまう。
何故ならば、
答えを外に見出してしまうからである。
「答え」とは、常に自身の心と連結している。
真実を見つけても、自身の「心」が判断を違えると、
それは間違いになってしまうからである。
私は、「ポジティブ」に賛同している。
無論「ネガティブ」から得られるものもたくさんある。
私は昔からこんなことを考えている。
ポジティブの対局は、本当にネガティブなのだろうか?
「ポジティブである時、初めてネガティブを認識できる。」
私の中で、ポジティブ=光の勢力
であると考える。
しかし、それは反対が闇の勢力であることとは違う意見である。
また、こうも言える。
「ネガティブを調和、統合するとポジティブになる。」
“調和“
それは『自己対話』とも表現されることがある。
これがあたかも神性的で、
あたかも崇拝すべきものである、
などと風潮される。
しかしそれを崇拝すべきものにしてしまうと、
そこにプライドが産まれることになる。
プライドをあやすのは、
とても退屈なことである。
プライドの塊の人と話すことを想像してみてほしい。
うんざりしてしまうだろう?
自己対話は、神性的だ。
しかし、それを崇拝し始めてしまえばプライドが産まれる。
プライドが良いか悪かの判断を、
さっきのポジティブの話に置き換えてみてほしい。
「ネガティブを調和,統合するとポジティブになる。」
たったこれだけなのだ。
これを良し悪しで決めつけ始めてしまうと、
あなたの使命が今日からすべてを決めつけることになってしまう。
大切なことは、本質にあるのである。
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アトガキ
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何かに否定的になる時、
自身をなだめて一旦すべてを置いてみて、
空を眺めてみてほしい。
深呼吸をして、
「私のうちで闇よ、燃えよ。」
こう唱えてみてほしい。
するとあなたのうちの光の勢力が良い方向に力をつけることになる。