映画「この世界の片隅に」を観てきました。
場所は、神戸三ノ宮のシネ・リーブル
時間は、夜8時過ぎ
お客さんの入りは七割くらいと、時間帯の割に多く感じます。
ギダは、この人達はひょっとして皆、広島や呉にゆかりのある人達なのかなぁ〜なんて思いながら、本編前の予告をながめていました。
そして、本編の上映が始まり
起が、あって
承が、あり
転と、なって
結を、向かえます。
はいっ、では、またね〜バイバイ(^O^)/
あっ(°▽°)・・・
おちょくってるわけじゃなく
ネタバレしちゃマズイかな〜って気を使っただけなので、悪しからず。
ストーリーとか、お知りになりたい方はココをクリックして「この世界の片隅に」公式サイトをご覧下さい。
んでっ!
ギダの感想は
ちょと、その前に
まず、ギダは、主人公の「すずさん」が嫁いだ先の呉市上長ノ木にある北条さん方の畑から、呉湾を見下ろして右手奥に、かなり忠実に描かれている江田島に生まれ中学生のころ呉市広町に転居し、青春時代は呉の街で過ごした経歴があります。
そして、ギダの母親は、映画の登場人物で言うと、すずさんの小姑にあたる黒村径子の娘、晴美ちゃんと劇中年齢がほぼ同じになります。
よって、この映画に出てくる風景と、ほぼ同じものを見て、そこを歩いて、そこの音を聴いて、そこの匂いを嗅いで、そこにいる人と同じ言葉を喋っていた人なんですよ。
よって、ギダはその時代をリアルに生きた人達から、たくさ〜ん当時の話しを聞いている。
ギダには、そういう前提があります。
だから、感想は?
ん〜 一言で言うと
この映画の内容は、ギダが見聞きしてきたコトと、まったく、そのとおり!
ですね〜
特に、すずの夫「周作」の父親が入院した海軍病院に向かう坂道や、その坂の手前にある通称「眼鏡橋」のとこの集会所なんか、今と大して変わらないし。
病院の窓から見える「練兵場グランド」も、当時も今も、ほぼ同じなのですよ〜
だからまず、不謹慎ですが映画を観ながら「あ!達川の辺かね〜」言うたり、「国立病院に上がる坂道じゃ〜」言うたり、「昔の集会所の壁じゃ〜」言うたり
「灰が峰もそっくりじゃ」言うたり
とにかく、懐かしい風景に感激しました。
その次に、すずさんの物語
これは、ギダが子供の頃から聞いたことのとおりでした。
すずが子供の頃、広島市内で「人さらい」に誘拐されそうになる。
ハイハイ、ギダが子供の頃よく大人から「暗うなるまで遊びよったら、人さらいに連れてかれるよ〜早よう帰らんにゃ〜」言うとられました。
嫁入りのこと
質素な食事や生活のこと
呉が空襲で焼け野原になったこと
ギダの母親が見た「原爆」の閃光のこと
みんなギダが子供の頃から聞いたことのとおりです
なぜだかギダは幼い頃、絵の塾に行ってました。
塾の先生は母親くらいの女の人で、被爆者じゃ言うとられました。
ギダが成人し就職した会社には、元「戦艦大和」の乗組員で、最後の出撃から九死に一生を得て帰ってきた人がいました。(のちに、映画「男たちの大和」で、役者さんやら監督さんに、上官への呼びかけ方や敬礼の仕方を実技指導され、映画のエンドロールに実名が記名されています。ギダは、映画館でこの人の名前を見た瞬間に号泣してしまいました。なぜなら、この映画に出てくる少年兵は、この人そのものだったからです。)
その人を含め、海軍工廠の技師や海軍兵学校の英語の先生だった人などから、三時のお茶の時間には、当時の様子を凄くリアルに聞いていました。
そんなギダのデータベースがあるもので
この映画の感想は、「あぁ、あの人が教えてくれんさったことじゃ〜」「あぁ、あの人が言うたことは、こうゆうことじゃったんじゃ〜」
「聞いたことや見たことや教えてもろうたことが、そのまんま描かれとるわ〜」ということになりました。
そして、その人達が、物語の最後に言う言葉
「あの頃は、それが普通じゃったけん、しょーがないよの〜、さあ仕事、仕事」
それは、「戦争をすれば悲劇も日常の一部となり、愛しい人も物も自分の体の一部さえも持って行かれるんよ。」
「でもの〜、みんな、それに耐えて頑張ってきたんじゃけん、アンタも毎日前向いて、頑張らんにゃいけんで〜」
という、励ましの意を込めた言葉だったのです。
今はもう話をしてくれた殆どの人が、アッチの世界に行かれておりますが
今夜、ギダはこの映画を観て、皆さんの顔や声と、ありがたい教えと、懐かしい風景を思い出すことが出来ました。
素晴らしい映画を観させていただきました。
「この世界の片隅に」に感謝します。










