昨日、いくつかの小学校の運動会だったのですが、

どこも お昼ごろで、 小学生も 親も 帰っていました。

午後は 熱いので  熱中症が心配で、

午前中だけなのでしょうか?

地域の人とかの参加をなくして、プログラムを 精選しているのでしょうか?

 

自分たちのころは、お昼は 親と一緒に いろいろな料理を 皿にとって、

家族で食べるのが 楽しみだったし、

「部落別リレー」(途中から、地区別リレー に 変わった。部落差別みたいだからか?)

は、 紅白の得点には 関係ないのに 後半は 親も出て、

一番盛り上がった競技 でした。

 

 

 

カープ、5時間16分、今季最長、延長12回。
黒原投手(24)、プロ初勝利、
河野投手、プロ初セーブ、1イニング3奪三振。


乃木坂46・清宮レイ(20)が25日、自身のブログを通じて
グループから卒業することを発表した。 
笑顔がトレードマークの乃木坂46・清宮レイ。 
「大切なご報告」と題したブログで清宮は、
「35枚目シングル『チャンスは平等』の活動をもって、
乃木坂46を卒業することとなりました」と発表。
「二十歳の区切りに、新しい世界に挑戦してみようと決心しました」と伝えた。
卒業は、今年3人目。



 

 


さて、
岩国市美川町根笠の中心部、
山之内地区の
河内五所大明神、山祇社、柿本社、白鷺神社

へ行きました。

~1725、享保十 乙巳(きのと み) 十一月以前は、
  河内五所大明神、
~1892,明治25年10月以前は、山祇社、
1892,明治25年10月に、島根県石見高津の柿本社を勧請、
1925,大正14年、丑(うし)、白鷺神社を勧請。



~1725、享保十 乙巳(きのと み) 十一月以前は、
  御 河内五所大明神、


~1892,明治25年10月以前は、山祇社、
1892,明治25年

  壬みずのえ 辰たつ

   10月23日に、島根県石見高津の柿本社 を勧請、

  
1925,大正14年、丑(うし)、旧三月 白鷺神社を勧請。




山口県道r5,周東美川線、
ほとんど「岩国市美川町・・」に、シールがはられて かわっているのに、
まだ「美川町 出合」が残っています。   

美川町では ここだけか?  ムーバレーの近く。




この中央の山の頂上を めざします。  右側に 山之内神社。

TVでも出た 赤い橋。「亀山公園」の表示。

 

 


根笠支所近く 亀山公園、

錦川源流の碑。  岩国市二鹿にも ありました。

 

玖珂郡美川町立 旧根笠小

 

 

 


旧根笠小中学校のグランドです。

 

 

玖珂郡美川町立 旧根笠中学校


根笠中学は、
 南桑中と一緒になって、桑根中になりました。

    1978(昭和53)年に南桑中学校と統合し桑根中学校となり閉校。
 河山中と一緒になって、美川中になりましたが、
 今は 美川中も なくなりました。

「根笠中学校」


1978(昭和53)年3月 に南桑中学校と統合し桑根中学校となり閉校。

山之内地区は、
かつては、パチンコ屋、旅館が あったそうです。
今のムーバレーは、かつては玖珂鉱山だったので、
そのころは にぎわったことでしょう。

今は、 ナンテンの 白い小さい実。 これが 大きくなって 赤くなります。


白い ウツギ、卯の花、  ♪うーの花の におう かきねにー♪



ユキノシタ の 群生。

小人の顔が3人 に みえます。

 



赤と白 が ちりばめられた サツキ。


鮮やかな  サツキ? ツツジ?


今度は  オオイヌノフグリ、星の瞳。  まで。 

これまで ブログにかいてきた植物の  オンパレード?


亀山を 登ります。  尾根を 登ります。

 

小さい 丸い石を 並べた感じの 歴史を感じる 石段。

昔の人が よくつくったものだなあ。

 

ふりかえり 下をみると こんな感じ。

 

石段を 登ると
広場? に なっていて
♪壊れ かけの 石灯籠<レディオ>♪  があります。


円柱状の柱の3面に なにやら
文字が彫ってあります。

奉納 御 河内五所大明神
享保十乙巳(きのと み、1725) 十一月吉日
願主  □ □(後?) 新? 六



奉納 御 河内五所大明神

享保十 乙巳(きのと み、1725)  十一月吉日


願主   □ □(後?、役?) 新? 六


広場から 社祠が ちょっと 見えます。  

電柱? 何かの柱? が 立っています。


岩国市の根笠支所近く が よく 見えます。


さらに、頂上まで登ると、


ワラビが 大きくなっていて、




岩国市美川町根笠山ノ内    柿本社
柿本社    社祠内 由来札
根笠支所近くの通称 亀山の山頂に鎮座。

参拝します。

鏡が あります。


 

御祭神、


●素盞嗚尊、柿本神、大己貴命、少彦名命、 <柿本社>

 

三柱大神<素盞嗚尊、大己貴命、少彦名命>

    明治25年、1892年、10月 神足(こうたり)さん。


●水波之女命、罔象女命 みつはのめのみこと、水の神。

●五山祇命
 大山祗命(おおやまつみのみこと)
 中山祇    命  なかやまつみ
 麓山祇命  はやまつみ
 正勝山祇 まさかやまつみ
 鷸?山祇命      しぎやまつみ   <河内社>、

   享保十乙巳(きのと み、1725) 十一月以前

 


●日本武尊(やまとたける)、金屋子神   <白鷺神社>

   1925,大正14年、丑(うし)

   鉱山労働者

●金山彦命、かなやまひこのみこと、鉱山の神。


●大山祇命、岩長比売命、木花咲耶姫命、の親娘三神。<山祇社> 
 大山祇命は、山岳丘陵の守護神であり、
  山の樹木が雨水を涵養することから水源・水利の神。
 岩長比売命は長寿の守護神。
 木花咲耶姫命は良縁・安産の守護神。

 

●少彦名命、すくなひこなのみこと。<粟島社>
  大国主命と共に国土経営をした、小さな神。

 

●速須佐之男命:はやすさのをのみこと、素盞嗚尊、<八坂社>
  全国の八坂神社、津島神社、氷川神社、須賀神社の祭神。

由来札

社祠内には
「今般、当(當)所、 伝染病流行ニ付、病気平癒ノ為メ、地下中
 協議之上、 

三柱大神 并 柿本神  分霊シ、

素盞嗚尊、大己貴命、少彦名命
 『山祇社』相殿 鎮  祭シ、永年旧3月11日ヨリ12日ヲ以祭日ト相定、
 地下中一統  神饌ヲ献シ、 厳重祭典可相整 ”後年”、
 違背”無之(之無)”仍  而棟札ヲ 記納之者也」
と、
明治25年(1892)10月、山の内部落に赤痢が流行したさい、
石見高津から勧請した との 由来札があります。

山村律次先生の「周防の人丸社」(『山口県地方史研究』53号所収)には

「明治30年(1897)のことです。山ノ内部落に 突然赤痢が流行しました。
むらでは病気にかかって死んでいく人があいつぎました。
どんな方法もききめがないので人々は最後の手段として
、石見国高津の人丸神社の神さま が赤痢を防ぐ神さまだと聞いて、
その分神をお祭することになりました。
そこで選ばれた数人の人たちは 高津に向かい 人丸神社にお参りし、
宮司さんにわけを話して分神を受け、大急ぎで戻って来ました。
村人たちは、今は やせ衰えた体にむち打ちながら、
材木を肩に急な山を登りました。人々の祈りをこめたつちの音が、
山頂から村中に響き渡りました。数日後小さなお宮ができ上がりました。
村人たちの祈りが通じたのでしょうか、さしもの疫病の流行もおさまり、
村はまた元の平和な里に戻りました。」

とあり、勧請年については 錯誤がある。



当社祠内の 由来札に、
山祇社 を相殿鎮祭 とあり、
1925,大正14年、丑(うし)の
「白鷺神社」の神札 が並んで置かれている。

   宮木さん。

「白鷺は疱瘡の神。白鷺は霊力あり、信心すればよく疱瘡を治した」
とあるように、
古くから白鷺を霊鳥・神の化身として崇めていたことが
『岩国玖珂歴史物語』にも記されている。

 白鷺は、その端麗な姿から 神の召し使 とされ崇められている。
特に『鉄山必用記事(鉄山秘書)』では、
金屋子神が遷座するさいには
神を乗せて運んだことになって、
鉄冶業職人は 金屋子神とともに 白鷺 をも信奉の対象にしている。

根笠には根笠鉱山、河山鉱山があり、これらに従事していた採鉱職人が、
この地に 人丸神 を祀ったのが始まりであったと思われる。

鎮座位置(座標参考値)    
北緯34度11分50秒、東経131度59分29秒

 

 

根笠鉱山、河山鉱山 は、

今は 美川ムーバレーになっています。

 

 

いろんないろの アジサイが 咲き始めました。

 

 

白? うす黄色?

 

青、

 

 

 

 

 

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車で旅行するならどこに行く?

 

車で旅行するなら、行きたいところはたくさんあります。

日本一周、したいです。

 

東名高速、全通記念日。

 

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