カープ、11得点、15安打。
広島11-2DeNA、
床田投手が初勝利、
坂倉選手が3安打、2号HR.
石原捕手が1号HR,
久保選手がプロ初安打。




さて、
岩国市玖珂町の、
谷津(やつ)神楽舞が、
比叡神社(山王宮)前で

あったので
行ってみました。
4月13土・14日でした。
無形民俗文化財です。

谷津神楽舞は、玖珂町北部にある山王宮(現・比叡神社)に江戸時代末期にこの地方を襲った大凶作と、

それに伴う飢饉と疫病が蔓延が、その起こりと伝えられています。

これらの大自然の脅威に何ら対処すべき技(わざ)を持たない当時の人々は

それを  神の怒り  だと受け止め、

残された気力を振り絞り、村を挙げて、神々の怒りを鎮めようと腐心しました

と伝わっています。

 

「注連灑水(ちゅうれんしゃすい)」





祭祀前夜の「湯立の神事」立舞、
当日の「太鼓の口開け」から「太刀かえり」までの12演目が
次第により奉納されました。





まず、
山王宮(比叡神社)へ参拝します。

前の橋は、山王橋。








石鳥居、

山口県なので、当然? 鳥居の上に 石がのっています。

うまく乗ると 願いがかなう と 山口県では いわれていて、

自分も 子どものとき 石を 投げて のせていました。






♪サクラの 花びら ちょうずばち。

 ・・そして また 大人に なったーー♪

(コブクロさんの メロディ で)

 

♪サクラの 花びら カメさんよー。

   せかいのうちで  おまえほどー♪

     (うさぎとかめ の メロディ で)









狛犬様、阿形、  バックに サクラ。

 

吽形、角つき。


大杉は、 樹高30メートルに達し  樹齢1000年と伝えられている。


天保10(1839)

己亥  つちのと い (キガイ)







主祭神 《主》大己貴命、大山咋神
連華山麓の亀山の230段の石段を上り詰めたところに鎮座している。
当神社は、御祭神大山咋命並びに大己貴命を祀り桓武天王の御代
延暦24年(805)近江国坂本郷の旧官幣大社の日吉神社より御分霊を勧請、
山王宮と称し創建以来岩隈八幡宮の摂社として里人の信仰厚く、
明治初年「比叡神社」と改称し現在にいたっているが、
今もって「山王さん(さんのうさん)」の旧地名で地元民より敬い親しまれている。
戦国時代この地の武将鞍掛城主杉治部大輔隆泰 連華山城主椙杜信濃守隆康は、
共に産土の神として崇め、
更に代々の岩国藩主吉川氏の敬神の念厚く由緒ある神社である。
その歴史を見届ける社頭の 夫婦大杉は、樹高30メートルに達し樹齢1000年と伝えられているが、
平成3年9月の19号台風のため、残念ながら東側の一本が折損し、貴重な社叢とともに大きな被害を生じた。

 

 

左に 摂社。  地神社?

 

石段上にも  直方体手水鉢。

 

 

 



山王宮


山王宮(比叡神社)

参拝します。

 

 

4月13土・前日、 準備ができています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷津神楽舞

種別(指定区分)
無形民俗文化財(市指定文化財)
指定年月日
平成17年(2005)12月27日
所有者等
谷津神楽舞保存会
所在地
玖珂町字山王原
谷津神楽舞の由来は、江戸時代後期に
「行波(ゆかば)の神舞」から伝わったものといわれる。
江戸時代後期から明治時代までの
谷村(現在の谷津と上市)には、里神楽の集団が二つあり、
谷津上地区の舞子舞と 谷津下地区の大夫舞が継承されてきた。

嘉永2(1849)年初秋に、玖珂本郷村の藤井百次郎が
神楽面を谷村の氏神さまの
山王宮(比叡神社)へ奉納して神楽舞を行ったといわれている。
この神楽面が、現在まで伝えられており、
この面をつけて神楽舞を奉納している。
現在では、舞子舞は途絶えてなくなり、
大夫舞は保存会により継承され、
後継者の育成とともに神楽舞が奉納されている。
祭祀前夜の「湯立の神事」立舞、
当日の

1,「太鼓の口開け」から

12,「太刀かえり」までの12演目が
次第により奉納される。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月14日

 

 

 

 

 

八幡大神

 

 

谷津神楽舞、はじまりました。

1,「太鼓の口開け」

 

「太鼓の口開け」。

中央の太鼓を叩いている人が神歌を唱えて、その神歌に舞子の皆様が唱和します。

この「太鼓の口開け」をはじめ、他の神事舞によって

神様がこの神殿に降りていらっしゃるのです。

同じようなものは 広島県にもありますが、当然 音楽や 節回しなどが違います。

 

この神殿は 毎年建てているそうです。

紙などで作られた飾りつけ、いわゆる幣や旗、天蓋などもとても細かかったです。

神様の名前の書かれた旗が あります。

 

神楽は 実際に見ていると、とにかく楽しいです。

心地いいリズム などがいっぱいになって幸福感に満たされます。

 

 

 

 

「谷津神楽舞」
人間の持つ三欲を鬼神(飢餲神・貧欲神・障碍神)で表し、
これを
人間の理性で導こうとする「奉吏」がこの鬼神を鎮めようとする舞い。

 

 



「武鎮」陰陽五行思想を説く舞い ですが、

この神楽では 五郎王子が面を替えて、
心の動きを表現しています。
大己貴神が去った後は、四神の太刀の舞になり、太刀を潜ったりする舞いになります。
「天之磐戸」「地鎮」「弓将軍」「日本紀」「柴鬼神」「太刀舞」
「諸神勧請」「六色幸文祭」

岩戸が開かれて、  天照大神、天照皇大御神  が舞います。

 


「太鼓の口開け」

大己貴神 が取りだした一物は、神楽では良く出てくる物で、
この神楽では、これ以上は見せませんでした。

四神の舞いの途中、
大己貴神(おおなむちのかみ)
(大国主命の別名)が出てきて、子孫繁栄・天下太平を願う愉快な舞いです。

 

 

「太鼓の口開け」で始まって、

「六色幸文祭、

 諸神勧請、

 注連灑水、

 太刀舞、

 柴鬼神、

 日本紀、

 弓将軍、

 地鎮、

 武鎮、

 三宝鬼神」と進み、

「天之磐戸」で岩戸が開いて、

天照大神が現れ、舞を舞って神楽舞が終了する。

 

 

これまでいろいろな地域の神楽舞を見てきたが、

多くの場合、八岐大蛇が出てくる神楽舞が

多いけれども、

この谷津神楽舞はこれまで見たのとは一味異なった魅力を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

春日大神

 

八王神

 

舞台の飾りも 大変凝っている。

上手に切り絵をした用紙が

周囲に飾られている。

これだけの用意をするのは大変だろう。

子どもたちの神楽舞も 上手に出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクラが まだ 少し 残っています。

 

 

出番を 待つ人。

 

 

「太刀かえり」までの12演目。

 

サクラが 少し残り、きれいな 参道。

 

江戸期に作られた伝統の面を着けて勇壮に舞います。

 

 

今後も このような貴重な伝統芸能を 少しでも

受け継いでいってほしい と 思います。

 

 

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麻婆茄子と麻婆豆腐どっちが好き?

 

麻婆茄子が好き です。

 

なすび記念日。

 

 

 

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