母のぶん もひとつくぐる 茅の輪かな  一茶。


カープのジェット風船、4年ぶり復活。
空気入れポンプ方式で。
風船4個とポンプのセットで600円。
オールスター、秋山選手選出。
あとの10人は阪神?

 


広島6-2DeNA、
森下投手も2刀流?初アーチが3ラン、4勝目。
デビッドソン選手8号2ラン。


さて、
岩国市の白崎八幡宮の
夏越(なごし)大祓、
茅輪(ちのわ)くぐり、をしたので、
次は、
岩国市の

西岩国地区の
椎尾八幡宮の
夏越(なごし)大祓、
茅輪(ちのわ)くぐり、

をしてきました。



すがぬけ神事は
6月30日(金)の、午後5時からのようですが
一足先に、
茅輪くぐりを してきました。

ここの方法は、足は関係なく、
輪をくぐり、左回りに回ります。
輪をくぐり、右回りに回ります。
また、
輪をくぐり、左回りに回ります。
ここでは特に
「蘇民将来」と、繰り返し唱えながら進まなくてもいいようです。

夏越の大祓、
毎年6月と12月の晦日に
罪や穢れを祓うものですね。



「輪くぐりさん」と 呼ばれています。


長い 石段を 登ります。


途中に 岩国稲荷大明神。

ここも 参拝します。


さらに、石段が 続き、 「宇野千代」さんの お名前も。

西岩国の 街並みが いい眺め。





石灯籠に 絵が 描かれています。











また 途中に、

粟島社(奥のは、淡島社?)、柿本社、和霊社。

『県風土誌』に

「錦見村 椎尾八幡宮境内 柿本神社」とあるは、

今、参道石段脇の粟島神社に 柿本社として 和霊社とともに相殿合祀されています。

御神徳は 和歌とあり、 学芸の神となっています。

 

粟島神社(淡島神社とも)の祭神は 少名彦名命。







荒神社、伊勢宮。



ようやく やっと 着きました。

 





ここの方法は、足は関係なく、
輪をくぐり、左回りに回ります。
輪をくぐり、右回りに回ります。
今一度、
輪をくぐり、左回りに回ります。
ここでは特に
「蘇民将来」と、繰り返し唱えながら進まなくてもいいようです。

一足先に、
茅の輪くぐりを しました。






参拝します。












子宝 安産いぬ も おられます。  その向こうに 狛犬さま。





右、阿形、赤はちまき。

左、吽形、白はちまき。










調べると、

椎尾八幡宮
神社名(かな)  しいのおはちまんぐう
通称名        しいのおさま
郵便番号      741-0062
鎮座地       岩国市岩国4丁目1番8号
御祭神 
(主祭神)
●誉田別命【應神天皇】(おうじんてんのう) 
  第15代天皇(在位:應神天皇元年〈270 年〉~應神天皇41年〈310年〉)
●足仲彦命(たらしなかつひこのすめらみこと)仲哀天皇】(ちゅうあいてんのう) 
 第14代天皇(在位:仲哀天皇元年〈192 年〉~仲哀天皇9年〈200年〉)
●息長帯比売命(おきながたらしひめ)
  仲哀天皇の妻であり、應神天皇の母.
(配祀神)
●柿本人麻呂命、

●少名彦名命。・・・粟島神社(淡島神社とも)の祭神。

 

●猿田彦大神、  旅行安全、交通安全。
●御饌都(みけつ)神、
  伊勢両宮のうち外宮(豊受大神宮)は祭神が御饌都(みけつ)神であるところから
  万民の食物をつかさどる神徳あり。 五穀豊穣。

 

 

 

 


電話番号0827-41-0867
FAX番号0827-41-3723
由緒
平安時代末期の文治二年(一一八六)、吉川氏の始祖経義公が、鶴岡八幡宮より神霊を
駿河国有度郡吉川村(今の静岡県静岡市・清水市)に、吉川氏一門の氏神として勧請して一社を創建する。
その後、鎌倉時代の正和二年(一三一三)、五代経高公の代に、安芸国(広島県)山県郡大朝に移住の時、
遷祀して、駿河八幡宮と称して奉祀する。
安土桃山期の天正十五年(一五八七)、一七代広家公が出雲国富田城に入府の時、
同所の富田八幡宮の相殿に遷祀された。
関ヶ原の戦い後、江戸時代の慶長五年(一六〇〇)に吉川氏は岩国に移封された。
当初、玖珂郡由宇郷に仮館を築いて尊祀、のち岩国横山を永住の地と定め、
築城並びに城下町の屋敷割りに着手した。
この時は、未だ仮館に神霊は残置されたまゝであった。
しかし寛永三年(一六二六)、岩国二代藩主吉川広正公が
岩国山南麓の現地に、社殿を造営して奉遷した。
同時に太古の官道(国道)、岩国山の椎尾の地に古くより祀られていた猿田彦神(椎尾社)を合祀し、
社号を「椎尾八幡宮」と称して奉斎する。
その後、社領を賜わり岩国城下町の産土神となり、更に国の守護神として
歴代藩主の武運長久・国家安泰・万民豊楽を祈る鎮護社となった。こうしたことから、
広く領民にも敬仰される崇敬社として、
領民の厚い信仰を集めた。殊に御祭礼日にあたっては、歴代藩主の御代参があった。
したがって、代々藩主の信仰も厚く、
寛文(一六六一~)・万治(一六五八~)・
延宝(一六七三~)・元禄(一六八八~)・
享保(一七一六~)・天明(一七八一~)と、相次いで社殿の修造や御再興が行われた。
また、神輿・祭具・幣帛料等の御寄進は度々あり、取り分け 式年に執行さる三三年大祭は、
城下町であったため
遠近から人々が群集して大変賑々しく、藩内諸社随一の大祭であったと云う。
明治六年(一八七三)、郷社に列する。

主要祭典
例祭(十月二十二日)
特殊神事
御神幸祭(三三年毎に一度行われる)

ということです。

 

 

 

 

 

 

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かつては、やっぱり、ビートルズ でした。

イエスタデイ、

ヘイジュード、

ソロでイマジン、・・

いつ聞いても いいですね。

 

ビートルズ記念日。

 

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