昨日、山口市で36.5度。

台風5号、奄美を通過。


「住みなれて  
   茶の花の  
     咲きつづく    山頭火」

この前、
長門市仙崎の、金子みすゞさんの詩のことを書きましたが、
山口県を代表する詩人というと、
次は、
「種田山頭火(正一)さん」


自由律俳句です。

周南市高瀬(旧佐波郡高瀬村)に、
種田山頭火さんの句
があります。

高瀬地区の歴史を見ると、
☆佐波郡高瀬村 →
1889年(明治22年)4月1日
 高瀬村・夏切村・垰村・米光村・馬神村が合併して和田村になり
 ☆佐波郡和田村高瀬に → 
1955年11月1日編入合併  ☆都濃郡南陽町高瀬に、
1970年(昭和45年)11月1日 - 南陽町が改称・市制施行して☆新南陽市高瀬に、
2003年(平成15年)4月21日 - 
 鹿野町・徳山市・新南陽市・熊毛郡熊毛町が合併して、 ☆周南市高瀬に。

高瀬(たかせ)は、山村地域で、
島地川ダムに源を発した島地川が南流し、
川に並行して国道R376号が走っています。
住宅は南西部の大原(おおはら)・殿明(とのみょう)
周辺に集中しています。
         
地名の由来は、
川筋に岩石が多く、
そのために川の「瀬音」が「高い」ことから
地名になったそうです。

国道R376から分かれて県道r180串夜市(やじ)線に入ります。

県道を上がって行くと、種田山頭火句碑入口を示す案内があります。

咲野さんの生家入口に、山頭火の句碑があります。 
「住みなれて 
   茶の花の 
     咲きつづく」
と ありますが、
この句は1933(昭和8)年、山口市小郡の「其中庵」で、
庭に咲く白い茶の花を 見て 詠んだとされています。 
妻の故郷に咲く茶の花と ダブらせたのかも知れません。
 

高瀬地区は、茶畑が多く、お茶の産地 です。

 

山頭火も、 高瀬地区の お茶を 好んだそうです。

 

 

 

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魅力的な悪役キャラ・役者さんといえば?

 

ブッチャーとか

タイガージェットシン、

スタンハンセン、

ブルーザー・ブロディ、とかは、

魅力的な悪役キャラ でした。

 

 

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この前、
長門市仙崎の、金子みすゞさんの詩のことを書きましたが、
山口県を代表する詩人というと、
次は、
「種田山頭火(正一)さん」、
自由律俳句です。

周南市高瀬(旧佐波郡高瀬村)に、
種田山頭火さんの句
があります。

高瀬地区の歴史を見ると、
☆佐波郡高瀬村 →
1889年(明治22年)4月1日
 高瀬村・夏切村・垰村・米光村・馬神村が合併して和田村になり
 ☆佐波郡和田村高瀬に → 
1955年11月1日編入合併  ☆都濃郡南陽町高瀬に、
1970年(昭和45年)11月1日 - 南陽町が改称・市制施行して☆新南陽市高瀬に、
2003年(平成15年)4月21日 - 
 鹿野町・徳山市・新南陽市・熊毛郡熊毛町が合併して、 ☆周南市高瀬に。

高瀬(たかせ)は、山村地域で、
島地川ダムに源を発した島地川が南流し、
川に並行して国道R376号が走っています。
住宅は南西部の大原(おおはら)・殿明(とのみょう)
周辺に集中しています。
         
地名の由来は、
川筋に岩石が多く、
そのために川の「瀬音」が「高い」ことから
地名になったそうです。

国道R376から分かれて県道r180串夜市(やじ)線に入ります。 左折は「鹿野」
手書きの「周南市高瀬」の文字が、 味があります。








反対方向から見ると、 r180は「串」になっている。
 
 
 


右折は、旧r180で 鹿野10km。
直進は、現r180で、串4km。  ここを 直進。

 

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ここで、

20年前に、タイムスリップ。

 

2002年(平成14年)2月16日には、ここにまだ 180ヘキサがありました。

まだ「鹿野ー夜市(やじ)線」の時代、

「新南陽市 大原」という地名表示でした。

現在の直進道路は まだ 工事中でした。

むこうの 白ガードレールから 同じ場所と わかります。

 

2003年(平成15年)4月21日 - 
 鹿野町・徳山市・新南陽市・熊毛郡熊毛町が合併して、 周南市に。

 

 

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時を もどそう。

 

 








 
 
 
 
県道r180を上がって行くと、種田山頭火句碑入口を示す案内があります。










咲野さんの生家入口に、山頭火の句碑があります。 

「住みなれて 
   茶の花の 
     咲きつづく   山頭火」
 

と ありますが、
この句は1933(昭和8)年、山口市小郡の「其中庵」で、
庭に咲く  白い茶の花を 見て 詠んだとされています。 
妻の故郷に咲く 茶の花と ダブらせたのかも知れません。
 
 
県道r180方向を 見ると、  一面の 茶畑 。  高瀬の お茶。
 
 
 
 
 
 
近くに
種田正一(山頭火)の妻・咲野さんの生家があります。

1889(明治22)年5月7日、佐藤家の長女として生まれ、
1906(明治39)防府町宮市の周南女紅学校に学び卒業、
1909(明治42)年8月20日に種田正一(山頭火)と結婚。21歳。
1910(明治43)年8月3日に長男健誕生。
1916(大正5)年、種田酒造は倒産し、
          一家は熊本へ、夜逃げ同然に引っ越す。
1920(大正9)年、戸籍上離婚とあります。佐藤咲野32歳。
1926(大正15)年、山頭火、放浪の旅に出る。
1933(昭和8)年、山頭火、この句をよむ。
    昭和14年には山頭火は、愛媛県松山市に移住し、「一草庵」に住む。
1940(昭和15)年、山頭火、59歳で没す(咲野は52歳)
              松山市「一草庵」で。
その後の咲野は、波乱にみちた生涯を送り
1968(昭和43)年9月熊本で没す。
享年80歳でした。



近くには、
“みちひらきの大神”
猿田彦大神もあります。
 
 
さっきの分岐点を
「鹿野」に向かうと、
前に書いた、
高瀬・秋字明の「秋字明河内神社」

 

緑バージンロード?また猿田彦大神?「秋字明河内大明神」黄色&緑の絨毯 | kaクンの道路探検隊ブログ (ameblo.jp)

 

“みちひらきの大神”猿田彦大神が、またおられます。

 

 

さらに進むと、

高瀬・熊坂峠の「熊坂宮」。

神額付の鳥居としては、超ミニサイズ、

高さ67cm、幅50cm。

超ミニの神額付鳥居?「熊坂宮」毛利の印?、和田地区高瀬、鹿野との境の峠、高さ67幅50cm | kaクンの道路探検隊ブログ (ameblo.jp)

 

 

 

 

種田山頭火(たねださんとうか)は、明治15年(1882年)に山口県防府市で生まれた自由律俳句の代表的俳人です。

 

本名は種田正一といいます。

山頭火は15歳の頃から俳句を始め、高校を主席で卒業し早稲田大学へ進学。

 

五七五にこだわらない自由なリズムの俳句

 

 

『 気まぐれの 旅暮れて桜 月夜なる 』

季語:桜

 

『 霧島は 霧にかくれて 赤とんぼ 』

季語:赤とんぼ

 

『 しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る 』

季語:しぐるる(時雨)

 

『 ふるさとは あの山なみの 雪のかがやく 』

季語:雪

 

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『 今日の道の たんぽぽ咲いた 』

 

『 夕立や お地蔵さんも わたしもずぶぬれ 』

 

『 分け入っても 分け入っても 青い山 』

現代語訳:道なき道を分け入って、どんどん前へ進んでいっても、青い山ははてしなく続いているよ。

 

 

『 ほろほろ ほろびゆく わたくしの秋 』

現代語訳:「ほろほろ」と、まるで衣がほころんでいくように、私の人生もほころんでいくよ。あぁ、秋だなぁ。

 

 

『 酔うて こほろぎと 寝ていたよ 』

現代語訳:酔っぱらって、どうやらそのまま眠ってしまったようだ。気づいたら、コオロギと一緒に寝ていたよ。

 

『 焼き捨てて 日記の灰の これだけか 』

現代語訳:日記一冊を燃やしてできるのは、日記一冊分の灰だけだよ。

 

 

『 どうしようも ないわたしが 歩いている 』

現代語訳:残されたものは何もない。救いようもない私が、ただひたすらに歩いているよ。

 

 

『 まっすぐな道で さみしい 』

現代語訳:しばらく道を歩いてきたが、この先もまっすぐな道で寂しく感じるよ。

そんな寂しい道を私はこのまま歩いていくのだ。

 

 

『 うしろすがたの しぐれてゆくのか 』

現代語訳:うしろ姿が、時雨の中を歩いて行くよ。

 

 

『 ついてくる 犬よおまへも 宿なしか 』

現代語訳:犬が一匹自分の後をついてくる。お前も私と同じで泊まるところもないのか。

 

 

『 生死の中 雪ふりしきる 』

現代語訳:死を意識する程の厳しい雪の中を、ただひたすらと歩みを進める。

 

 

 

 

 

●あるけばかつこう いそげばかつこう 

  郭公(カッコウ)は、夏の季語。
  こちらの俳句は自由律俳句のため、季語なしの「無季句」と考える説が一般的。
 
  「歩いていく道の途中で、かっこうが鳴いていた。
   私の足の運びに合わせて、  かっこう、かっこうと鳴く。
   嬉しくなって足を早めてみると、
   それに合わせて、かっこう、 かっこうと鳴くように感じられる。」
 
   この句は昭和15年、句集『草木塔(そうもくとう)』に所収されています。
   昭和11年(1936年)5月中旬ごろ、山頭火が54歳の頃に詠まれました

  山頭火は、昭和10年12月6日に東へ向かう旅に出ました。

  大阪、京都、伊勢、鎌倉、東京、信濃、新潟、仙台、福井

  などを経て、昭和11年7月22日に其中庵に帰ってきた旅です。

 

 

一羽来て 啼かない鳥である 

 

うしろすがたのしぐれてゆくか 

 

笠にとんぼをとまらせてあるく 

また見ることもない山が遠ざかる

鉄鉢の中へも霰 

おちついて死ねそうな草萌ゆる

 

うまれた家は あとかたもない ほうたる

 

塵かと吹けば 生きてゐて飛ぶ

 

酔へば いろいろの声が聞こえる  冬雨

 

涸れきった川を渡る

 

八重桜 美しく    南無観世音菩薩

  すぐそこでしたや   信濃路のかっこう

 

 

 

「二本の足よ〜山頭火日記より〜(種田山頭火)」です。

『水は流れる

           雲は動いて止まらない

 風が吹けば  木の葉が散る

   魚ゆいて    魚の如く

   鳥とんで    鳥に似たり

 それでは 二本の足よ

       歩ける だけ  歩け

       行けるところまで行け』

 

「松は皆(種田山頭火)」。

 『松は皆

    枝垂れて

       南無観世音』

 

 

【季語】夏草/夏

   ともかくも  けふまでは  生きて  夏草のなか 

 

 

【秋空にただよふ雲の一人となる】

 

辞世の句

 

【もりもり 盛り上がる 雲へ あゆむ】

 

 

 

 

 

などが、あります。