鈴木(27)、カブスへ。背番号27.
5年で101億。

おととい、雨で順延の
センバツ、昨日開会式、倉敷工業は延長11回で力尽く。

SLやまぐち号、運行開始。




さて、
周南市 須々万奥の
神主(こうぬし)地区、神主・河内大明神、地蔵尊」です。

 

 

須々万奥の鳴地区に行き、調べていると、
市史には
「錦川沿いの観音平・唐櫃・”神主(こうぬし)”・奥光(おくみつ)・平瀬・
 鳴・渡瀬・下古津の諸集落は、
菅野(すがの)ダム建設によってほとんどが水没し、観音平・奥光に一二戸を残すのみで、
他はすべて住居を移転した」
とあります。

さらに、
周南市 須々万本郷の 飛龍八幡宮・河築神社へ行くと、 
神主・河内社、
鳴 ・河内社、
奥光・河内社、などが合祀されたそうです。


この中で気になった地名は、”神主(こうぬし)”で、
そこに行ってみました。

 

R434から r41 金峰方向に 入ります。

 

すぐに、r41ヘキサ  渡瀬地区。

 

r41  鳴(なる) 下 地区。

 

 

「藤谷城主 勝屋右馬丞墓所」の標柱。

この先に、 ポツンと一軒家 で 出てきた 無線通信所。

 

 

 

 

赤い 鳴橋。

 

 

r41  鳴 上 地区。

 

 

 


r41で、宇宙の駅「奥光」に行く手前で、
「観音平」とかいてあるところを左折します。


ただし、
ここからの市道は、
道路の両側に小さい木や竹が当たり、
路面は凸凹で、車の底に当たり、
木の枝も落ちていて、ガリガリ引っ張ります。
できれば、
軽トラか、ジムニー系か、バイクがいいと思います。

そんな道をしばらく進むと、
「神主」と書かれた建物があります。
近くの橋からは、歩いて進みます。

すると、緑のコケにつつまれた、立派な石垣があります。
そこを登ると、屋敷があったと思われる広い敷地はありますが、
太い竹が生えていて、
家があった頃とは、時代が過ぎたことが 感じられます。

下の川も、両側に石垣で整備されていて、
かつての技術の高さを感じます。

前に、ここを訪れたブロガーのかたもおられるようですが、
そのかたは、道路沿いしか調べなかったそうですが、

その道路を歩いていると、
左の山側のほうに、歩いてならいける道があります。
これは何かあるのでは? という気がして、
入っていくと、
祠と地蔵尊がありました。
緑のコケの屋根です。
お地蔵様には
「地蔵尊」
施主 松原・・」とあり、
鳴地区で見た「松原」という名字が、またありました。
このあたりでは、有力な名字 なのでしょうか。

HI-C、アップルが255グラムの缶入り製品・果汁50%
が 落ちていました。
シズク型模様があるので、そうとう古いです。

調べると、
HI-C、1974年にアップルが255グラムの缶入り製品・果汁50%で発売され、
瞬く間にヒット商品となった。
その後1976年に果汁分を10%に落とし、より清涼感を増して飲みやすくした
HI-Cエード缶(オレンジ・グレープ)が発売される。
これにより従来のHI-Cは「果汁本来の味わいを楽しむ高級路線」、
HI-Cエードは清涼感を楽しむ大衆路線といった住み分けができる。
そして1980年にHI-CエードはHI-Cサンフィルに改称される。

ということです。

もとの道に戻り、さらに進むと、空き家が1軒あります。
カーテンが閉まっています。
でも、周りの草は刈られているので、時々、子孫が来て
草刈りをされているようです。

その奥に、
「神主・河内大明神」の跡地とみられる場所がありました。
そこに、平成十年七月に建てられた小屋がありますが、
中は 空でした。

周南市 須々万の 飛龍八幡宮・河築神社へ 
明治四十年四月に、合祀されたそうです。

そこから、奥光方向に 歩ける道が続いてはいましたが、
夕方になり、そこであきらめて 引き返しました。

神主(こうぬし)ですが、
山口県では、「神田」さんは、
かんだ、よりも、「こうだ」と読むかたの方が多いと思います。
神代(こうじろ)さんも知人にいるし、
地名にもあります。
「神」を「こう、カウ」と読む地名・人名も多いです。

~~~~~~~~~~~~~~

紫外線対策は1年中してる?

夏の ものすごい暑いときならします。

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そういえば、
r41で、宇宙の駅「奥光」の Y駅長さんの 軽自動車と すれちがいました。
 
また、 あたらしい UFO 象さん 宇宙橋 などを、
せっせと 製作されて おられたのでしょう。
 
 
 
 
 

r41で、宇宙の駅「奥光」に行く手前で、
「観音平、か↑んのんびら」 とかいてあるところを左折します。

 

左折方向、 枯れ葉が たまっていて、

いかにも 近頃 車が  通ってない感じ。

 

 

 

 


ただし、
ここからの市道は、

もともとは、アスファルト舗装だったようですが、

土がたまり、
道路の両側に小さい木や竹が当たり、
路面は凸凹で、車の底に当たり、
木の枝も落ちていて、車の底を、ガリガリ引っ張ります。


できれば、
軽トラか、ジムニー系か、バイク  がいいと思います。

 

普通車は、両側に 傷がつく、

普通の車高の軽自動車は、凸凹(でこぼこ)地点で 底があたる、

泥でよごれる覚悟が いります。

 

 



落石注意。




そんな道をしばらく進むと、
「神主 警報局」 と書かれた建物があります。

上流の 向道ダム 放流のとき ならすのでしょう。

 

 

 


近くの橋からは、歩いて 奥に進みます。

 

すると、緑のコケにつつまれた、立派な石垣があります。

 

道路の真ん中に 大きな 落石。


石垣を よじ登ると、

屋敷があったと思われる広い敷地はありますが、
太~い竹が生えていて、
家があった頃とは、かなり 時代が過ぎたことが 感じられます。




下の川も、 両側に石垣で きれいに 整備されていて、
かつての技術の高さを感じます。




前に、ここを訪れたブロガーのかたもおられるようで、
そのかたは、道路沿いしか調べなかったそうですが、

その道路を歩いていると、
左の山側のほうに、歩いてならいける道があります。

(下の地図の 左方向に分岐する 茶色の道)

 

 


これは何かあるのでは? という気がして、
入っていきます。

 

石垣があり  少し ろくい(山口弁、平らな)部分があり、


祠 と 地蔵尊   がありました。


緑のコケの屋根です。

 


 

祠の中に 石があります。

 

右側に、お地蔵様。

 

お地蔵様には
「地蔵尊」

 

「八月・・    」

 

施主 松原  ・石工・」とあり、
鳴地区で見た「松原」という名字が、またありました。
このあたりでは、有力な名字 なのでしょうか。


「施主 松原 石工?」とあり、
鳴地区で見た「松原」という名字が、ここにも またありました。

 

「松原」というのは、このあたりでは、有力な名字 なのでしょうか。





近くに、

「おぉーっ、HI−Cだぁー!!!」

懐かし過ぎる『HI-Cアップル』


HI-C、アップル・255グラムの缶入り製品・果汁50%
が 落ちていました。
シズク型模様  があるので、そうとう古いタイプ です。

調べると、
HI-C、1974年にアップルが255グラムの缶入り製品・果汁50%で発売され、
瞬く間にヒット商品となった。
その後1976年に果汁分を10%に落とし、より清涼感を増して飲みやすくした
HI-Cエード缶(オレンジ・グレープ)が発売される。
これにより従来のHI-Cは「果汁本来の味わいを楽しむ高級路線」、
HI-Cエードは清涼感を楽しむ大衆路線といった住み分けができる。
そして1980年にHI-CエードはHI-Cサンフィルに改称される。
ということです。

 

ネットでみると、 このタイプは 出てきますが、 30%だし、 💧型がないです。

 

HI-C トマトも あったそうです。  💧型デザインなので、 ほぼ 同じ時期か?

 

 

 

 地蔵尊の場所(紫の□)  から さらに

西方向に、 「歩いていける道」  は 続いています。

 

 

この地図の、左へ向かう 茶色の道です。

 

 

 

すごい 石垣の要塞。   

住居も 3軒くらい あったようです。



もとの道に戻り、さらに進むと、空き家が1軒あります。
カーテンが閉まっています。
でも、周りの草は刈られているので、時々、子孫が来て
草刈りをされているようです。


その奥に、  なにやら 建物が。


「神主・河内大明神」の跡地とみられる場所がありました。


そこに、平成十年七月に建てられた小屋がありますが、


中は 空でした。

周南市 須々万の 飛龍八幡宮・河築神社へ 
明治四十年四月に、合祀されたそうです。
ここに かつて、
神主・河内大明神が あったということなので、

参拝します。

さらに、奥にも、石垣。

そこから、奥光方向・東方向に 歩ける道が まだまだ続いては います。が、

夕方になり、そこであきらめて 引き返しました。

この地図の 右方向に向かう道です。

 
 

神主(こうぬし)ですが、
山口県では、「神田」さんは、
かんだ、よりも、「こうだ」と読むかたの方が多いと思います。
神代(こうじろ)さんも知人にいるし、
地名にもあります。
「神」を「こう、カウ」と読む地名・人名も多いです。

神主(こうぬし)地区について、調べると、

周南市大字須々万奥、神主(こうぬし)地区。
大字須々万奥の北部、錦(にしき)川の支流(神主川)沿いにあります。
『地下上申』では「カウヌシ」、
また「角川地名辞典」の小字一覧でも 「コウヌシ」のルビが振られており、
読みはこれに拠いました。
はじめ車道に従い、左岸側を上流に向かっていましたが、
目的地付近を過ぎても谷との高低差が埋まらず、
下方に向かって分岐していた鉄塔の巡視路より谷に降下します。
集落の農地跡に行き着きます。
この谷に降りる巡視路は、上の地図画像の破線の道と思われます。
農地跡を過ぎ右岸に渡ると 家屋が1軒あり、
これは最近の地形図にも記載。
帰路も車道を中心に周囲を見て回ったのみで、
他は屋敷跡と思われる平坦地が見られたのみ。

資料『須々万村風土誌』によると、当地には「河内大明神」があったようです。
周南市 須々万本郷の 飛龍八幡宮・河築神社へ 
神主・河内社、鳴・河内社、奥光・河内社、などが合祀されたそうです。
また地名の由来は、
「大内家の臣下 瀬筑後守開氏 作神勧請為 守護 家来 山本勝左衛門居住 致て
神事執行〓(※)仕候由に付 地名と号来り候由」  (「注進案」より)。
※ 本文では「木へんに丕」だが、字義不詳。

ということです。
 
 
上空を 鳥たちが とんでいきます。