ドライブ・マイ・カーが第56回全米で4冠、
広島・東広島・呉で撮影。
作品賞は、黒沢監督「乱」(1985年)以来。
主演男優賞、西島秀俊、アジア人初の快挙。

在日米軍の外出制限が、今日から2週間。
コロナ、
広島619人、また過去最多。
山口152人(岩国80、周南10、光8、大島8)、岡山80人、


さて、年末年始の門松門松 などを見て回るシリーズ、
お次は、
柳井市新庄の
土穂石(つつぼいし)八幡宮」です。
ここにも、「笑う門松」があります。

新庄といっても、
新庄ビッグボスとは、関係ないようです。
スパイダーマンの眼鏡を作ったというので、
ちょうどマスコミに出ています。
今年はこれから何度もマスコミに出るのでしょうから、
「上梅田」のように「新庄地区」も、有名になるかも?

さらに、
「柳井菅原神社」
ここにも 笑う門松。  赤いナンテン、紅白ハボタン。


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「土穂石(つつぼいし)八幡宮」に もどります。

参道前には御旅所があります。
2基分です。
明治二十九年の石燈籠。
新庄小学の近くです。
入口の大型鳥居は、2基、車で通過します。
一ノ鳥居は元禄六年(1693年)
二ノ鳥居は昭和十二年。
扁額は「土穂石八幡宮」

参道にしだれ桜。4月は綺麗でしょう。

手水舎。玉子型丸穴手水鉢。

大型の胴長の狛犬があります。
奉納年は明治四十五年。
台座も立派です。
阿は小さな口中玉

境内入口両側に2対目の狛犬様。
ちょっと小ぶりで、安政三年(1856)
柳井によくいるタイプです。

伊保庄の石工、難波さんの狛犬
阿形

拝殿。
ここも、笑う門松。
松・竹・黄色い蝋梅、赤い南天、
赤いセンリョウ、紅白のハボタン、
太めの竹で 囲まれています。

右に、小さい手水舎。
長方形手水鉢。

拝殿前にも、百度石。
おみくじは、20円。

木鼻の彫刻も すごいです。

参拝します。

 

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何歳くらいまで年齢確認された?

はっきりは覚えてないです。

成人のかた、おめでとうございます。

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年末年始の門松などを見て回るシリーズ、

お次は、
柳井市新庄の
「土穂石(つつぼいし)八幡宮」です。
ここにも、「笑う門松」があります。



新庄といっても、
新庄ビッグボスとは、関係ないようです。
この文章を うっていると、
スパイダーマンの眼鏡を自分で作ったというので、
ちょうどマスコミに出ています。
新庄さんは、今年はこれから何度もマスコミに出るのでしょうから、
「上梅田」のように「新庄地区・土穂石」も、これから有名になるかも?


参道前には御旅所があります。2基分です。
明治二十九年の石燈籠。

新庄小学の近くです。  昨日の余田小も、八幡宮の近く。
R23沿いは、田布施の八幡八幡から、小学校と神社が近く。関係があるのか?

入口の大型鳥居は、2基分も、車で通過します。

一ノ鳥居は元禄六年(1693年)、 紅白の紙垂(しで) が注連縄に? これは珍しいのでは?

 
 
車で 2連続 鳥居をくぐる のも 珍しい。
 
二ノ鳥居は昭和十二年十二月。
扁額は「土穂石八幡宮」


参道にしだれ桜。4月は綺麗でしょう。
 
まず、百度石、   紅白のハボタン。これも お正月っぽい。
 
 

 
手水舎。   玉子型・丸穴手水鉢






大型の胴長の狛犬があります。
奉納年は明治四十五年。
台座も立派です。
阿は小さな口中玉
 

吽形



明治四十五年。  台座も立派です。



境内入口両側に2対目の狛犬様。
ちょっと小ぶりで、安政三年(1856)
柳井によくいるタイプです。
伊保庄の石工、難波さん の狛犬。

阿形
左に吽形。

守田さん。





拝殿。
ここにも、笑う門松
松・竹・
黄色い蝋梅、    
赤い南天、
赤いセンリョウ、     
紅白のハボタン、

竹で 囲まれている部分が、広い円。  かなり 大きい円の土台。
竹の 笑う口は、小さめ。

後ろから見ても 存在感がある 門松。





右に、小さい手水舎。
長方形手水鉢。



拝殿前にも、また、百度石。

おみくじは、20円。


拝殿。

木鼻の彫刻も すごいです。

 
 
 
 
 
参拝します。

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土穂石(つつぼいし)八幡宮 
柳井市大字新庄2621番地    
御祭神
《主》品陀和気命
   誉田別尊=譽田別尊(応神天皇)、
   足仲彦尊(仲哀天皇)、
   大帯姫命=気長足姫尊(神功皇后)
   田心姫命 (たごりひめのみこと)、
   湍津姫命 (たぎつひめのみこと)、
   市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 
調べると、
豊前の国宇佐八幡宮より勧請。

玖珂郡志(享和年中編纂)より引用
土穂石(つつぼいし)の名たるや、村長云、
宮の東北の隅、百歩計、落々として巨石(神宝石)多し、
昔、貧民夫婦あり、滞穂(たいすい・取り残された穂の意味)を拾(ひろ)いて
以ちて 神に供える穀物となし。
拾ふ所の滞穂を霑泥(てんでい)の土器に入れて、巨石の上に置き(神宝石と云)
神に献ず。
多年怠りなく、神、その実心を感じ福を降したまふ。
その家夫婦ついに富み人となる。

柳井市史には

昔、貧乏な夫婦がいた。落穂を拾って生活していたので、
神に奉仕する気持ちはあるがお供えするものがない。
そこで落穂を石の上に置いて神に捧げた。
この事が何年も続いたので神も感動され、この家を富人とされた。
その後、神に祈る者は土穂を石の上に置くようになり、
土穂石八幡という社号になった。

ということです。

奥に、本殿。

 
 
 
飾り瓦。

 
左に、「合祀社」

鳥居は明治三十四年。
焼き物・陶製狛犬。大正二年(1913年)。 阿形は、小玉咥え。

金のマークは金比羅社、でしょう。
左に 吽形。
 
西山、森山、早川、池永、行友、林さん。
 
 
ウラジロと ユズリハ。 紙垂。
 

 
 
右にも、境内社。伊勢社。大歳社。

 
 
北側に、石鳥居。  トイレもあります。




南側にも、石鳥居、  明治十一年、「大歳社」。





センリョウ、マンリョウ、ユズリハも  境内に あります。
これなら、門松も、しめ飾りも すぐに 使えます。
 
 
安行村、篠原村、佐保村、
 
 
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さらに、
柳井菅原神社 へ。
柳井市天神5番24号
御祭神
参拝します。
《主》菅原道真
ここにも 笑う門松。  赤いナンテン、紅白ハボタン。