岩国市錦町R434から山を登ると、岩国市(旧錦町)向畑という地区がある。
昭和20年頃は約300人が暮らしていた。
広瀬小学校向畑分校は,へき地等級1級,児童数24名(S.34),明治12年開校,昭和47年閉校という。
人口は、昭和60年60人,平成元年16人,平成9年9人,
平成10年3人(F村さん夫婦ともう1人)
平成20年1人(F村さんの奥さん)
「広実申し」という行事が6年に1回行われているそうだ。
そこに、2月に行って見た。(時期をまちがえた~~!ふもとは雪はなかったのに、道にも大雪・・)
帰りは恐怖。
位置的には、前に行った 秘密尾・氷見神社の 山の反対が 錦町高木屋(たかごや)で、
その錦川の対岸の山の上です。
R434から すごい山道を あがります。
2月で、ふもとは雪はないのに、途中から積雪、もちろんスタッドレスは はいてました。
途中に,わりと新しい
ポツンと一軒家 があります。
広実左近桜 というのがあります。
4月はじめなら きれいでしょう。
平家の大将 広実左近守(ひろざねさこんのかみ)に関係するようです
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これは、4月の写真
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2月に戻ります。
道路にも積雪。
だれも通っていない。
右手に 向畑地区
旧小学校跡
- 分校跡の建物の入口には「向畑書道館」「広実左近頭神楽団」という貼紙があり、
- 建物の中には,昭和天皇・皇后両陛下の写真(皇太子ご成婚の頃),
- 年度ごとに描かれた卒業生の自画像,往時の向畑集落の戸数,住宅の配置図,
- 神楽団が神楽を舞う練習の様子を記す新聞などが残されています。
- 新聞の発行時期は平成11年9月発行
-
昭和20年頃は約300人が暮らしていたそうです。
新雪に 手形をつけてみました。
この地区に F夫婦が 最後まで住んでおられて、
近頃 ご主人がなくなられたそうですが、
このかたが小学校近くに 最後まで 花をきれいに 手入れされておられたそうです。
今でも 毎年 分校前には 赤い花が綺麗に咲いている そうです。
奥さんは さっきの 途中の家だそうです。
赤い花が咲いている時期にいくべきだったなあ。
カツラの木が あるようです
左近桜 200m
- R.434から入った市道には「←左近桜」という看板が立ち,
- TVのこともあって訪ねる観光の方が居る様子です。
- ガケに沿った狭い市道を走ってあがります。
向畑の左近桜
文化財概要
この桜は根本周囲5.8メートル、胸高周囲4.05メートル、樹高19.5メートルで
平家の残党広実左近に困んで名付けられたといわれ、品種はエゾヒガシと推定されている。
名前は平家の武将 広実左近守(ひろざね さこんのかみ)に由来し,
樹齢は800年を超えるとのこと (880年)
分類 中分類:記念物 小分類:天然記念物 指定区分:市町村指定
- 「標高360mの向畑」
- 「左近桜」と呼ばれるこのサクラは,平成22年4月29日,
- NHK-TV「にっぽん紀行」で取り上げられました。向畑集落は平家伝説の秘境で,
- 昭和20年頃は約300人が暮らしていたが,今はおばあさん(Fキヌヨさん)が一人暮らすのみ。その中で,左近桜は春には変わらず咲き続けているとのこと。
また,ご子息(Mさん)は,向畑に残るお母さんのために, - 毎日錦町広瀬から向畑に通って食事や身の回りの世話などをしていると紹介されていました。
- 「向畑への道は狭くて危ないから」ということでした。
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平家の大将 広実左近守(ひろざねさこんのかみ)が 祀ってあります。
さて、帰ろうとすると のぼりより はるかに 恐怖!
この道幅、左下は 谷底
スリップしないように 気をつけて くだりました。
真下を のぞくと・・・
一歩 ふみはずしたら
少しすべったら 錦川まで まっさかさま・・・
- 地形図(鹿野,S.41)の文マークは,向畑ではなくやや手前の延ヶ原(Nobugahara)に記されています。
- このことをFさんは,「私は小学2年まで延ヶ原の分校に行って,卒業は向畑の分校で迎えた」というお返事をされたそうです。延ヶ原は無人化して久しく,市道から分岐する道はどの道なのかわかりにくいそうです
- 延ヶ原に分校跡があるそうです
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広瀬小学校向畑分校は,へき地等級1級,児童数24名(S.34),
-
明治12年開校,
- 昭和33年に延ヶ原から向畑(現在地)に移転
-
昭和47年閉校という。
この地区の、1山の向こうに 周南市田原地区 があります。
11月8日、9日ごろ
いいくにつくろう(1192)から、いいはこつくろう(1185)に かわった
鎌倉幕府開闢で敗れた平家がこの地域に逃げ込んで以来今日まで続く広実申し(ひろざねもうし)という奇祭が6年に1回あるそうです。
調べてみると
子の年と午の年に6年に1回、一族が集まって大飯を振る舞うというもの。
元々が平家の落人の集落で、隠れ住んではいるけれど、
たまにはお互いの無事を確認しようと始まったらしい。
平家の落人のころからなので、800年以上続いているそうです。
「6年に一回集まって夜通し飯をくうんよ、眠たいから鐘をたたいてねー今度は向畑の番ですよ」とのことです。
最近後継者がいなくなっているとか、何とか工夫して800年続く神事を継続しているそうです。
周南市田原地区に、岩国市向畑から訪ねて行く番は、
8人の代表が田原に行き、歓迎を受ける。
ところが、F家から参加者が出せないとのことで、遠い親戚を集めて
行ったそうです。
7年(数えで)に一度 平家の大将広実左近守(ひろざねさこんのかみ)の末裔が落人部落同志で相互に行き来して祭りを行うもの。
この年はこちらにお迎えして夜通し御馳走攻めにして鐘や太鼓を打ち鳴らし寝させないようにする。
母はF家から嫁に来たので実家なのだが我が家は平家の落人ではない。
過疎化で一族の末裔が都会に出て 祭りの人数も少ないので 裏方で手伝いに行く予定。
次回は違う落人部落に客として行く番。12年後にまたこちらでお迎えする番だが、長い間続いた奇祭もいつまで続くか懸念される。」
というふうにかかれていて、そういう行事なのだそうです。
老後の日、ということで、
この地区に行ったこと、こういう老後がある、というのを
取り上げてみました。
KRYで放送され、映画・本になった
美和町の 「二人の桃源郷」
も
そして この 向畑のFさん夫婦が手入れされた今も咲く赤い花
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追記 引用させていただきます
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老後の理想だけど、現実には・・・
さあ、金曜、週末だ。