岩国市の旧電車通り(バス通り)を走っていると

石炭自動車が走っていました。

(今は、走ってないかも。

 ロープウェーの駐車場なら、いつも1台展示されているかな)

この道は、岩国電気軌道だったそうです。

そして、岩国電気軌道を調べていると、また ここでも 新小路町?  玖珂の妙見石道標に ほってある?

 

 

 

 

 

錦見(にしみ)から西岩国駅の間は

一方通行で、

「電車通り」とよばれていて、

ちょうど 石炭自動車が走っていました

本当に石炭で走り、ナンバーもちゃんととってあります。

 

 

 

 

ウインカーは、

テールランプ、ブレーキランプと共有です。

 

 

ついていくと、西岩国駅で お客さんをおろしました。

 

岩国市で「電車通り」というと、
岩国駅周辺では、県道15号(岩国市役所の南側の通り)を、
西岩国周辺では、岩国小から西岩国駅へと一方通行で行くバス通りをさします。
(もとは、電車が走ってました)


調べてみると、

1909(M42)~1929(S4)の間、
中国地方で最初の電車鉄道・岩国電気軌道が、
岩国町(後、新町) - 麻里布村(後、岩国駅)間で開業していたそうです。

<西岩国、>         <岩国駅>          

 

年表
1897年 山陽本線  広島~徳山開通 (岩国駅開設)
1903年(明治36年) 東京において有楽町~神田橋間の電車鉄道を開通させる

1909年(明治42年) 2月2日 岩国電気軌道、岩国町(後、新町) - 麻里布村(後、岩国駅)間開業。
中国地方で最初の電車鉄道(錦見~岩国駅間)を開通させる

●港
現在の岩国市立石町内(立石大明神(正式には竪石大明神)近く、水路を隔てた反対側)
現在市販されている地図との比較により、水路は、現在の麻里府川の一部分であると思われる。
港停留所付近の線路配線図が掲載されている。

●岩国駅(麻里布村)
現在のJR岩国駅西口側

●今津
現在の今津四丁目
今津川に架かる橋の北側、当時の今津の建物密集地表示を抜けた場所に停留所の存在が記載されている。橋が現在の寿橋と同一かどうかは不明(橋名記載なし)

●八幡
現在の今津町六丁目、白崎八幡宮下
白崎八幡宮(現在は岩国市今津町六丁目12)の東方、建立されている山を回りこんだ位置に停留所の存在が記載されている

新小路
現在の西岩国駅付近
当時の山陽道(国道2号の前身)と交差する地点に停留所の存在が記載されている[3]。(標高4.68mと記載された水準点と、新小路(現在の錦見五丁目から錦見四丁目にかけての路地)の町並みに入る地点の間の区間)

●錦見
現在の岩国市営バス森木口バス停留所付近
当時の岩国町役場の北東方向の地点に停留所の存在が記載されている(路線が北方向に“へ”の字型に敷設されている、頂点部より東寄り)
錦見停留所には、約7.4m²(1坪半程度)[4]の待合所が設置されていた。

 


●新町(岩国町)
現在の岩国二丁目
大名小路(現在の錦帯橋通り、通りの新町付近は現在の岩国二丁目、および岩国三丁目との境界地域に含まれる)の錦帯橋方面に向かって右側付近まで、軌道の存在を示す線が描かれている[3]。停留所の存在表示は無し

 


昭和4年(1929)4月4日 岩徳東線(現、岩徳線)麻里布駅(岩国駅を一時改称) - 岩国駅(現、西岩国駅)間が開業すると、並行路線となるため廃線。
電車鉄道が最終運行の後、廃止。」



ということです。

 

 

 

あれ?

新小路?

 

 

 

玖珂千束(せんぞく)の妙見道で

「岩国 新小路 町」と かいてあるぞ!

 

おー  つながったーーー!