岩国市周東町のr144を走っていると、

椙杜八幡宮

があり

停まって撮影したときの写真がありました。

 

●1691元禄4年、石鳥居、周東町の椙杜八幡宮、

●1706宝永3年、手洗鉢、

●1745延享2年、灯籠

 

 

行程記にも あります。

 

資料によると

延宝九年(1681)に再建されて、

宝物に元禄二年(1689)九月、高森市を中心とした有力者達寄進の「板絵著色三十六歌仙図」があるそうです。

 

 

 

岩国市周東町のr144を走っていると、わかりにくいですが、この右側に 鳥居があります。

 

 

道が曲がっているように見えますが、

ここから先、左側は古いままで、右側は 拡幅されたのでしょう。

ここより手前は、右側が古いまま。

 

 

 

 

1691年、元禄4年辛未の 参道の大鳥居 です。

願主、相川正太夫・藤嶋又兵衛の両人によって奉納されています。

 

 

周東町の椙杜八幡宮、1706年宝永3年の手洗鉢

 

狛犬が1対あります。

 

 

このうしろも、

かつての重要な建物跡です

 

 

 

 

 

 

 

 

石段、自分が数えたところでは、  108段  ありました。(107という説も)

 

偶然なのか、そのように作ったのか

煩悩の数、除夜の鐘の数といっしょです。

一説に「煩悩は、悩み苦しみ、四苦八苦(しくはっく)」なので、

しく36+はっく72108という説もあります。

 

 

1745年、延享2年乙丑9月の灯籠です

 

 

 

 

石段左に、白い神馬(しんめ)が完全な姿で残っていて貴重です。

 

 

参拝します。

コロナ、収束を。

 

北米加奈陀(カナダ)のトロント市からの横断幕もあります。

 

大相撲の番付に関係するものがあります。

横綱 千代の山(北海道)      栃錦(東京)

関脇 羽黒山(岐阜)        成山(兵庫)

小結 大晃(北海道)        鳴門海(兵庫)

前頭 出羽錦 出羽の花 常ノ山(岡山) 栃光 増位山・・

行司 木村庄之助 式守・・

取締 出羽ノ海 春日野

年寄 尾車 九重 中立 高砂 時津風 不知火 玉ノ井

   三保ヶ関 出来山 小野川 山科

昭和30年・・・などが読めます。 

 

 

 

 

 

 

この鳥居、上も円柱なので ちょっと違和感

 

寄江神社。

 

御祭神

味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)

 

近くの 岩国市玖珂町臼田の

新幹線の線路脇に鎮座しておられましたが

昭和に入り椙森八幡宮の境内に遷されたそうです。

 

 

 

 

 

お稲荷様。

 

 

 

 

r144.この近くです。

 

近くに 椙杜ニュータウンもあります。

 

椙杜八幡宮 岩国市
周東町
下久原
1163番地
《合》大年神、
須佐男神、
大国主神、
宇迦魂神、
高?神、
保食神、国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、土煮尊、沙土煮尊、大戸之道尊、大苫辺尊、面足尊、
伊弉諾尊、伊弉冉尊、
天照大神、
天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、草葺不合尊、《主》応神天皇、
《配》三女神、神功皇后

 

由緒

文明年間 鎌倉 上杉憲実太田左近太夫時直、当国下向の節、

氏神 鶴岡八幡宮を勘請し、その孫 信濃守正康霊夢を蒙り 宇佐神宮に奉幣し

当 椙杜荘 泉山に移され 社名を 椙杜 と改称して崇敬したりき。

刑部少輔  豊臣秀吉 朝鮮出兵の折り従軍し、その後 

椙杜家他の地に移住したため、本社其儘にて宮殿殆ど頽敗に及び僅に小祠したりし、

處 延宝9年辛酉(天和1)春本殿を再建

下久原・ 上久原・ 用田・ 西長野・ 差川・ 

樋余路・ 

須通・  獺越・  明見谷等の総氏神と崇敬してきたが、

須通・  獺越・   明見谷等は、自然分離し、

現在氏子区域は、

下久原・ 上久原・ 用田・  玖珂町1部・  西長野・ 差川・  樋余路   となる。