岩国市玖珂町谷津(やつ)の比叡神社に参詣してきました。

鞍掛山・蓮華山のふもとにあります

 

「比叡神社」 (ひえいじんじゃ) は、平安時代初期805年 (延暦24年) に創建され、鞍掛城主・杉隆泰や岩国藩主・吉川氏にも崇められたと伝えられています。歴史ある神社です。

 

社頭には、樹齢1000年と伝えられ、高さ30数m、幹周囲7mに達する老杉(千年杉)があります。

そこから、古木が茂る境内山林の221段(222段?)の石段を登ると拝殿があります。

「岩国の観光」(2013年現在とかいてはあるが)というHPには、「駐車場はありません」とかいてありますが、

鳥居の左脇が車で通れ、参道を進むと左側に「駐車場」と書いてあります。

数台停められます。

石段を登るしか境内に行く術はありません。  登るしかないゾ。

~~~~

アベマ開局記念の日

あなたの好きな番組教えて!

特にないです。

メートル法公布記念日や

ガッツポーズの日    というのもあります。

▼アベマ4周年記念スタンプ

本日限定の無料作品をチェック!

 
~~~~~
R2の谷津の信号から入ります。
新幹線の下を抜けると、右側に
「みせん道」とかいた石道標があります。
岩国市阿品の岩国弥山、「おみせんさん」のことです。
1月4日は、かつてはすごい賑わいでした。あんころもちがおいしかったです。
この道は、この先自動車は行き止まりです。というより、歩いてでさえケモノ道です。
石道標があるということは、かつては歩いて
おみせんさんまで、たくさんの人がお参りに行っていたのでしょう。
この道についても、途中まで歩いたことはありますが、それはまた別の機会で。
 
もう少し行くと、鳥居がみえてきます。 拝んでいるかたもおられます。
 
左に入り、鳥居の左脇を進むと、駐車場があります。
 
蓮華山の登山道があります
 
安政時代の石碑
 
 
 
 
 
 
ちょっと前に、周東町西長野の神楽舞を見てきましたが
ここも 神楽舞があるようです。
「太鼓の口開け」で始まって、
「六色幸文祭、諸神勧請、注連灑水、太刀舞、柴鬼神、日本紀、弓将軍、地鎮、武鎮、三宝鬼神」と進み、
「天之磐戸」で岩戸が開いて、天照大神が現れ、舞を舞って神楽舞が終了するようになっているようです。

多くの場合、八岐大蛇(やまたのおろち)が出てくる神楽舞が

多いが、この谷津神楽舞は一味異なった魅力があるそうです。

 

 
 
 
 
805年 (延暦24年) に創建されました

 

近江国の日吉神社(ひえじんじゃ)より分霊を勧請して創建。

大己貴神 大山咋命を祀り、

初めは山王宮と称していましたが明治元年、比叡神社と改称。

戦国時代には、鞍掛城主の杉氏、連華山城主の椙杜氏の信仰が厚く、更に岩国藩主の吉川氏などにも崇められていました。

社頭の大杉は樹齢1000年と伝えられます。

 

 

 

 

 

樹齢1000年と伝えられ、高さ30数m、幹周囲7mに達する老杉があります。

 

 

狛犬 右側

 

 

 

 

左側

歴史を感じさせます

 

 

 

石段。 HPでは221段ですが 自分が数えたのでは、222段でした。
 
 
桜の花びら たくさん浮かんでいます
 
 
 
 
コロナウイルスが早く収束・終息するように
よーく 拝んでおきました。
 
「正一位・山王宮」とあります。

 

主祭神 《主》大己貴命、大山咋神

 

由緒 連華山麓の亀山の230段の石段を上り詰めたところに鎮座している。
当神社は、御祭神大山咋命並びに大己貴命を祀り
桓武天皇・天王の御代延暦24年(805)近江国坂本郷の旧官幣大社の
日吉神社より御分霊を勧請、
山王宮と称し創建以来岩隈八幡宮の摂社として里人の信仰厚く、
明治初年比叡神社と改称し現在にいたっているが、
今もって「山王さん(さんのうさん)」の旧地名で
地元民より敬い親しまれている。
戦国時代この地の武将鞍掛城主杉治部大輔隆泰連華山城主椙杜信濃守隆康は、
共に 産土の神 として崇め、更に代々の岩国藩主吉川氏の敬神の念厚く由緒ある神社である。
その歴史を見届ける社頭の夫婦大杉は、樹高30メートルに達し樹齢1000年と伝えられているが、平成3年9月の19号のため、残念ながら東側の一本が折損し、貴重な社叢とともに大きな被害を生じた。

 

 

 

 

 
比叡神社・神殿です。 桜の花びらちるたびに~
 
 
長い石段をおりて、
市の迫滝というのもあるようです。
 
 
とても歴史のある神社です。
比叡神社の参道にある桜並木、春にはとってもきれいに咲いています。

 

 
 
 
 
 
「みせん道」のそばということで、岩国弥山、おみせんさんとの関係も、どういうのがあるのか気になります。