柳井市日積宮ケ峠・東宮ケ峠で小瀬上関往還を探しているとき、

日積郵便局近くで、

「左 玖可(珂?) 妙見」

「右 岩国 川西」

「南 大畠」

と刻まれた石道標がありました。

 

他は 地区・都市なのでわかりますが、

なぜ「妙見」? ピンポイントなんだろうと不思議に思いました。

そして、その妙見様=周東・川上の 鮎原劔神社にいくと、

日積や由宇や通津長野の文字も見えます。 日積宮ケ峠など。

どういう関係があるのでしょうか?

また、奥にしまわれていた幻の狛犬との関係は?

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今日は世界保健デー

今だからこそ、健康管理で気をつけていることは?

手洗い、マスク、栄養をバランスよく摂る、とかですね。

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柳井市日積宮ケ峠・東宮ケ峠で小瀬上関往還を探しているとき、

日積郵便局近くで、

「左 玖可(珂?) 妙見」

「右 岩国 川西」

「南 大畠」

と刻まれた石道標がありました。

また、県道68号ですが、
玖珂13kmという表示があります。
県道68号は、この方向は伊陸(いかち)から光市へ向かう主要地方道なのですが、
県道70号を通る「玖珂」が表示されていて、
日積と玖珂・周東との関係が深いことがわかります。
 
地図で見ると
赤いが、石道標
青いが、r68の案内標識
赤いが、妙見様です。
 
そして、その周東町川上の妙見様=鮎原劔神社にいきます。

今は、桜が満開です。

 

 

この 山縣時計店 というのも なぞで、

上に 時計の形があるようです。

 

急な石段   115段?ぐらいありました。

 

 

 

このサーフィンの絵も なぞです。

 

 

 

 

 

日積宮ケ峠    通津長ノ   由宇   などが見えます。

 

 

そして 最大の謎は  奥にしまわれている 1対の 狛犬です。

こんなに立派なのに 飾られずに お蔵入り になっています。

 

これを 外に飾って 何かあったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

鮎原劔神社(岩国市周東町川上)、周東町にある鮎原妙見宮と呼ばれた古社。

由緒書きによれば、むかし 旅の僧が 妙見菩薩を感得し祀られた。
その後、801年 蓮華山頂〜さらに蓮華山の尾根のひとつ 高羅山へ遷座したという。

その後麓に祀られていた劔社、毘沙門社、四天王社など三社の摂社より常は遥拝した。

のち三社を下居殿として合祀
明治に毘沙門天四天王などを廃し、本宮を劔社と合祀鮎原劔神社となる。

武道に徳のある神とされる。 吉川氏の尊崇も篤かったと言われる。

戦後の洪水により境内が被災し

往時の建物や庭も荒れ果てその後現在の形へ再建された」   ということです。

 

 

周東には、西長野地域において

おととい、

「戦争にも、新型コロナウイルスにも負けずに、途切れず6年ごとに行われている」

長野七年期神楽舞大祭 があります。

 

そして、今度かこうと思っているのですが、

周東町祖生(そお)に、毎年8月の 柱松もあります。

 

 

巨大いちごパフェのソウタス前にも

柱松の説明があります。

 

 

というわけで、今日は

謎が謎をよぶ 

 

柳井市日積と  

周東の鮎原劔神社=妙見様、長野神楽舞大祭、祖生の柱松との関係はいかに?

 

「なんでだろ~  なんでだろ~  なんでだ なんでだろ~~」と

新型コロナウイルスのように  結論が見えぬまま   おひらきとなります。

 

柳井市日積と   玖珂・周東をつなぐ  「道路・みち」が ヒント・手掛かりかもしれません。

 

そのへんも、調査・探検したいと思っています。