最近は友達が赤ちゃんを授かったり
出産が近いづいていたりと
なんだか幸せな報告をもらいます😊
僕にとってまだ身近ではない自分の子供。
まだ見ぬ子供に
どんな職業について欲しいとか
こんなお金持ちになって欲しいとか
そんな思いは一切ありません。
ただ、
誰かの期待や評価に自分を飾るのではなく
「自分の幸せだと思う道を歩んでほしい」
それだけは思います。
そう思うきっかけは高校生の頃に参加した
とあるワークキャンプの経験からでした。
もう随分と前のことです。
マレーシアの山奥の村で
1週間ホームステイをさせてもらいながら
植林をするというもの。
電気もない。
ガスもない。
雨水を溜めたタンクから水を使う。
そんな村での暮らしは
10年以上経った今でも
あらゆる場面が鮮明に思い出されます。
ニワトリの声での目覚め。
日差しの強い中での植林。
スコールの中、子供達と走り回った夕暮れ。
見たことがないくらいきれいな星空。
誰かの弾くギターを聴きながら、
家族と団欒する時間。
全てが新鮮でした。
蛇口をひねれば、そのまま飲める水。
歯を磨く時、顔を洗う時、
どれだけ出しても止まることのない水。
スイッチ一つでつけられる電気。
「物質的に豊かであれば、それで幸せ」
「お金がたくさんあれば、それで幸せ」
高校生だった僕の当たり前の暮らしが、
当たり前のあらゆる考え方が、
そうではないことを知りました。
確かに日本と比べること劣っているところは
たくさんあります。
お風呂は水浴びでお湯なんて出ないし、
トイレも水洗じゃない。
夜はランタンの灯で過ごすし
インターネットもない。
でも「それが不幸か?」と言われれば、
その答えはNoでした。
「毎日、楽しい、幸せだ」という村の人。
一緒にいた時間は心から素敵だと思えました。
日本にいた時、
あんなに笑顔で「毎日が幸せだ」
と言えただろうか…。
日本にいた時、
家族や友達と過ごす時間が
こんなにもあっただろうか…。
たくさんの事を疑問に思った1週間。
お別れの日は涙が止まらず、
もっとここにいたいと思う自分がいるなんて
想像もしなかった。
幸せな1週間だったことの証でした。
物や情報が溢れる豊かな環境の中で
暮らせる幸せ。
貧しくても不便でも、家族との時間や
日々の暮らし中で感じられる幸せ。
あの頃、相反する両者の中で時間を過ごし、
普段感じることないもう一つの価値や感情に
光が当てられました。
まだ高校生だった僕は
全てを上手く消化できなかったけれど
今となって思うことは…
大事なことは、一方の価値だけを見て
もう一方の価値を否定するのではなく、
自分が良しと感じた価値を選択して
生きていくこと。
混乱せず、流されることなく、
自分の幸せだと思う道を探し歩むこと。
その面において異国の地で異なる人や
異なる文化に触れることは感覚を養い、
精神的にタフになれる良い機会を
与えてくれます。
だから、僕ら夫婦の間に子供を授かったら
たくさんのことを経験をさせてあげたい。
僕らがどれだけのことをしてあげられるか
分からないけれど、
色んな世界を見せてあげたい。
まだ見ぬ子供にこんな思いをはせると同時に
これまでたくさんの機会を与えてくれた
親に感謝です。