2024年5月14日
by ライブドアニュース編集部
ざっくり言うと
- 「ポスト岸田」ランキング3位となった上川陽子外相を週刊新潮が取り上げた
- 夫は、秘書時代の安倍晋三氏を囲む「晋三会」の初期メンバーだったという
- 上川氏が政治家を志したため、夫は自身の代わりに上川氏を参加させたそう
上川陽子外相がなぜ「次の首相にふさわしい人」に? 背景に政治家を目指していた夫の存在が 「私よりもチャンスがある」と応援
2024年5月14日
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「次の首相にふさわしい人」の3位に
自民党は東京15区と長崎3区の衆議院議員補欠選挙(4月28日投開票)で不戦敗を選択。島根1区でも敗れ、岸田降ろしの号砲が鳴るのは確実だが、ポスト岸田として今、急浮上しているのが上川陽子外務大臣(71)だ。そんな彼女の来歴と、外遊に際して外務省の職員らが共有する「注意事項」とは――。【前後編の前編】
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世論調査である異変が起きている。これまで「次の首相にふさわしい人」については「小石河連合」が上位を独占。石破茂元幹事長を筆頭に小泉進次郎元環境相、河野太郎デジタル相が名を連ねてきた。しかしその河野氏に代わり、上川外相が3位にランク入りするようになったのだ。
初の女性総理誕生が現実味を帯びてきた
世論と同様に、「自民党の最後の派閥領袖」の胸中にも変化があるという。
政治部デスクが言う。
「麻生太郎副総裁の意中の人物は茂木敏充幹事長とみられてきました。ですが昨年9月の内閣改造に際して、麻生氏が上川氏を外相に推挙したあたりから事情が変わってきたのです」
実際、麻生氏は今年1月、福岡県内の講演で、
「このおばさんやるねえと思った。そんなに美しい方とは言わんけれども」
などと話して批判を招いたが、
「あれは上川氏に対する麻生流のエールです。党内からは、上川氏なら初の女性総理候補として選挙の顔になるという声が上がっています」(政治部デスク)
「明るい子で、勉強は飛び抜けてできたわけじゃない」
かたや茂木氏は4月17日に派閥解散を決めており、求心力が低下している。上川氏は現時点で、間違いなく有力な総裁候補の一人といえよう。しかし、その来歴については安倍政権と菅政権で法務大臣を務めたことのほか、一般にほとんど知られてはいない。
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小学生時代の上川氏
上川氏は1953年、静岡県静岡市で竹田家の長女として生まれた。2歳上に兄がいる。父親は日本電信電話公社(現NTT)の職員で、母親も電話交換手の仕事に従事していたという。
静岡市立横内小学校の同級生が語る。
「明るい子で、ケラケラ笑っていた印象があります。勉強は飛び抜けてできたわけじゃない。でも40歳の頃、上川さんと同窓会で会った際に“英語を話す時には日本語ではなくて、英語で考えて話すことができる”と言っていたから、中学校に入ってから勉強を頑張ったのだろうね」
進学先は私立静岡雙葉中学校。カソリックの中高一貫の女子校で「キリスト教の教えに基づき、高く、深い知性と精神性を備え、自立した女性」の育成を教育方針に掲げる。
上川氏自身は学生時代について、静岡県内発行の家庭教育雑誌の取材に以下のように答えている。
〈勉強は、あんまりうるさく言われなかったですね。ちょっと勉強するとものもらいができたり、7時ぐらいになると眠くなってしまう子だったものだから(笑)。やるときはすごく集中してやるということはあったけど〉(「ふぁみりす」1994年7月号)
雅子皇后の父親に師事
彼女は高校卒業後、東京大学文科三類に入学を果たしたが、当時の女性としては珍しく浪人生活を経ている。進学に際しての時代的な制約について、
〈東大に行くというのは、なかなか許されないところがあるじゃないですか。偏差値や点数がよほどよければ、「あなた東大に行きなさいよ」と先生も言うかもしれないけど〉(同)
とも語った上で、
〈いろんな壁があるから、なかなか乗り越えられない。それをいつも取り除いてくれたのは母かなという気がします〉
と感謝の言葉を述べている。そんな母親の支援を受けて念願の赤門をくぐると、3年時の進学振り分けで教養学部教養学科に進学。国際関係論を専攻したのだが、そこでゼミ生として師事したのが雅子皇后の父親で、外務官僚の小和田恆(ひさし)氏だった。小和田氏は外務省勤務の傍ら、東大で国際関係論の教鞭を執っていたのである。
『「学ぶこと」と「思うこと」 学び舎の小和田恆先生』という本で、上川氏は小和田邸に招かれた際の想い出をこうつづっている。
〈まるで旧制高校の先生と教え子のような率直で打ち解けた雰囲気。我々はついつい夜遅くまで無遠慮に居座ってしまい、途中で当時小学生だった雅子様と二人の妹さんが「おやすみなさいませ」のご挨拶に出てこられました。それでも話は尽きませんでした〉
ハーバード大学への留学が転機に
東大卒業後、三菱総合研究所に入所。事務職で入社したといわれている。時代は男女雇用機会均等法施行以前。東大出の才媛も、総合職の働き口を見つけるのは容易ではなかったのだ。もっとも、彼女はくじけなかった。
「就職後、社内試験を経て研究職に就いたといいます」(先の政治部デスク)
一方で、日本銀行職員の上川卓苗(たくなえ)氏(現在退職)と結婚。2女をもうけた。育児と仕事の両立について彼女は、
〈上の子のときには会社に勤めていて、育児時間というのもなかった。1時間とか30分とか授乳時間というのはあったんだけれども、結局それを取ることができなかったのね。仕事も残業で忙しかったし。だから、わりと無理しちゃった〉(前出「ふぁみりす」)
苦労をそう語っているが、ターニングポイントは86年、米・ハーバード大学へ留学したことだった。
「三菱総研を退社した彼女は、フルブライト奨学金を取得。恩師の小和田氏の推薦を得て、ハーバード大ケネディスクールに留学し、政治行政学の修士号を取得しています。彼女は“留学時代に海外から日本を眺め、改革の必要性を痛感したこと”が政治家を志した理由だと説明しています」(先のデスク)
安倍晋三元総理との関係
上川夫妻を古くから知る、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏が言う。
「晋ちゃん(安倍晋三元総理)が、まだ父親の晋太郎さん(元外相)の秘書だった時代に、晋ちゃんを囲む『晋三会』というのをやっていたんです。その初期メンバーが夫の卓苗君。彼は鹿児島の名門私立ラ・サール高校から東大に現役で進んだ経歴の持ち主で、実に優秀な男でした」
続けて言うには、
「卓苗君も政治家を志していた時期があった。だけど、“うちの嫁さんが選挙に出たいと言っている。彼女の方が私よりもチャンスがあるから”と言い出して、自分の代わりに陽子ちゃんを『晋三会』に参加させるようになった。だから晋ちゃんと陽子ちゃんは、両者が政治家になる前から互いを知る仲だったわけだ」
後編では、外遊に際して外務省の職員らが共有する「注意事項」の中身や、生真面目な素顔について詳報する。
「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載
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