福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由

2024/04/27

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汚染土壌の仮置き場。除染作業では大量の汚染土壌が発生した(写真:ロイター/アフロ)

汚染土壌の仮置き場。除染作業では大量の汚染土壌が発生した(写真:ロイター/アフロ)© JBpress 提供

 東日本大震災から13年が経った。事故のあった福島第一原子力発電所は、福島県双葉町と大熊町にまたがっている。事故の直後に日本各地に避難した町民の多くはまだ帰還できておらず、双葉町の前町長は、国の対応がおかしいと今も訴え続けている。

 彼は何を目指し、どうして闘い続けるのか。『双葉町 不屈の将 井戸川克隆 原発から沈黙の民を守る』(平凡社)を上梓した、原発問題を追い続けるジャーナリスト、日野行介氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

【日野行介に聞く】原発の町と前町長の終わりなき戦い - YouTube

──この本は、2005年12月8日から2013年2月12日まで、福島県双葉町の町長を務めた井戸川克隆氏について書かれています。井戸川さんとはどのような人物でしょうか?

日野行介氏(以下、日野):井戸川さんは双葉町の前町長で、2005年に町長に初当選しています。井戸川家は双葉町ではかなりの名家で、井戸川さんが持っている土地の地図を見せてもらったことがありますが、ものすごく広い土地を持っているので驚きました。

 思わず、「お坊ちゃまがそのまま町長になったのかな」と思うところですが、話を聞いていると、どうやらそうではありません。

 井戸川さんは高校卒業後に東京に出た後、井戸川家を継ぐため双葉町に戻り、水道工事の会社を立ち上げています。一度、その会社にもお邪魔したことがありますが、かなり大きな会社でした。

 双葉町は福島第一原子力発電所のある町ですが、実は財政的に潤っている町ではありませんでした。井戸川さんが町長になった動機が、破産しかけていた双葉町を立て直すことだったのです。

──原発の町というと、様々な補助金が出て裕福だという印象もありますが……。

日野:原発立地地域には「電源三法交付金」というものがあります。これは電気料金から天引きという形で、原発がある自治体に給付金を交付するものです。電力会社も寄付金を出しています。

 ただ、交付金がもらえるために、体育館、図書館、市民ホールなどを建設して、原発立地地域は箱物行政になりがちです。このため、一時的には建設業者を中心に潤いますが、造れば造るほど、やがて維持費がかさんでいってしまう。

 市町村の主な原発財源は固定資産税ですが、固定資産税は15年で償却なので、増えていくことはありません。このままでは財政が持たないから「新たに原発を増設してほしい」と国にお願いする。井戸川さんが町長になった頃の双葉町はそんな状態でした。

──そのような状況の中で、東日本大震災が発生したのですね。

井戸川さんが辞任を求められた背景

日野:井戸川さんが町長になった5年半後に、福島第一原発事故が発生しました。双葉町は原発のある町ですから、翌日には住民たちは避難を始めました。最初、双葉町から50キロほど離れた川俣町まで避難しましたが、そこにも放射能が来て、線量計がふり切れました。

 市町村は、こういう時には国や県の指示通りに行動するのが一般的です。ところが井戸川さんは、福島県庁に行き、混乱している役所の様子を見て、「これはアテにならない」と判断しました。

 そして、自分で調べ、伝手を辿り、埼玉スーパーアリーナだったら2000人ほど収容できると知り、町民を引き連れて埼玉に大移動しました。埼玉県知事や埼玉市長なども出迎えて、この時は英雄として称えられました。

 埼玉県の加須市に旧騎西高校という廃校になった高校の校舎が残っているのですが、交渉の末に、井戸川さんはそこに避難所と役場を移しました。そこを一時的な拠点にして、国や県と今後について決めていく予定でした。

 汚染しているので「1年や2年では福島に戻れない」と井戸川さんは考えましたが、国と県は除染や賠償など形ばかりの復興政策を次々と打ち出して「福島に戻ってください」と井戸川さんに迫っていきました。

 井戸川さんは国の要求を拒否し続けましたが、国策に正面から「NO」と言う人は、お金や人に関することなどで影響を受けます。真綿で首を締められるように追い詰められ、井戸川さんは、次第に身動きが取れなくなっていきました。

 そして、事故からわずか2年足らずで、足元の町議会議員たちから不信任案を叩きつけられました。「なぜ他の町と同じように賠償を受け入れないのだ」と辞任を求められたのです。

「こんな形ばかりの賠償ではダメだ」という井戸川さんの主張と、「いいじゃないか、他の町はみんな受け入れているぞ」「他の町と同じようにやろうじゃないか」という反対派の主張がぶつかった結果、2期目の任期半ばの2013年2月12日に、井戸川さんは、町長を辞任しました。

──井戸川さんが、国の対応が形ばかりだと感じるのはなぜなのでしょうか?

日野:大きく分けると賠償と除染です。

「年間1ミリシーベルト」無意味な除染目標

日野:まず賠償に関していうと、この原発事故の賠償は、実は「放射能の被害に対する賠償」ではなく「避難指示に対する賠償」なのです。ということは、避難指示が解除されると、賠償も止まるということです。

 汚染はずっと続くのに、「5年や6年足らずで打ち切られる賠償の仕組みをなぜ受け入れなければならないのだ」と井戸川さんは反対している。これは正論だと思います。

 次に、除染に関してですが、「年間1ミリシーベルトの放射線量」が本来の避難指示の基準です。でも、この放射線量の値を守っていたら、福島県中が避難指示区域になってしまう。あるいは、福島県ばかりではなく、近隣の県まで避難指示区域になってしまう。

 そこで、緊急時なので、この基準を「年間20ミリシーベルトの放射線量」まで引き上げるという政府の決定が2011年4月に出されました。緊急時だから基準値を引き上げた。ここまでは、まだ理解できるところです。

 この避難措置を解除する時には、最初の「年間1ミリシーベルトの放射線量」という基準に戻すのが道理ですが、2011年12月に野田政権が収束宣言を出した時に、政府は「20ミリシーベルトを下回ったところを解除」という、よく分からない方針を発表しました。

 やがて、早期解除のため、実質的に20ミリシーベルトを下回ることが除染の目標になったのです。「長期的な目標は1ミリシーベルト」となっていますが、この「長期」には期限がないので、無意味な目標になっている印象があります。

 除染とは、表面の土をはぎ取ることで、取った汚染土はフレコンバッグに詰めて、中間貯蔵施設に運ばれます。では、その中間貯蔵施設はどこなのかというと、福島第一原発のある双葉町と大熊町です。

「双葉町はそんなものを受け入れるいわれはない」「そんなものを受け入れたら帰れなくなる」と井戸川さんは訴え続けましたが、政治家、官僚、福島県知事などが井戸川さんを説得して追い詰めていきました。これが、事故が起きてから町長を辞めるまでの井戸川さんの孤独な闘いです。

──双葉町の汚染はどのような状況なのでしょうか?

国が避難指示の解除を求める理由

日野:双葉町と大熊町は福島第一原発のあるところなので、汚染の状態は最も深刻です。

 放射線量の高さに応じて「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」という3つの区分がありますが、「帰還困難区域」とは「戻れない」という意味です。その区域の土地や建物の価値がゼロであるという状態です。双葉町は全体の96%が帰還困難区域と判断されました。

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福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由

福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由© JBpress 提供

 やがて、一部は除染して避難指示解除が出ました。除染して避難指示を解除した区域を「特定復興再生拠点区域」と呼びます。現在、井戸川さんの双葉町のご自宅がある場所は、中間貯蔵施設の用地内です。ここはいまだに帰還困難区域です。

【関連資料】

◎特定帰還居住区域復興再生計画(福島県双葉町)

──そのような状況にもかかわらず、国は避難解除をして「皆さん帰還してください」と言っているのですか?

日野:いえ。国は「避難指示を解除させてください」とだけ言っています。避難指示を解除したら、賠償は打ち切られるし、避難している方々にも税金がかかってくる。ですから、今のような状況では、避難している人たちは解除されては困るのです。

「なぜ汚染しているところに帰らなければならないのか」ということです。でも、国は「帰りたい人もいますから」という説明を繰り返してきました。

 この状況が一昨年まで続いていました。本当に国は住民に戻ってほしいと思っているかというと、私は懐疑的です。

──つまり、避難指示を解除して賠償はやめたいけれど、本当に帰るべきかどうかは明言しない。

日野:そうです。「帰れとは言っていない」という表現です。とにかく避難指示を早く解除したい。避難指示の対象の方々が、その後どこに行こうが、戻ろうが、その部分に関しては関心がない。

大バッシングにつながった「美味しんぼ騒動」

──井戸川さんは埼玉県加須市に「東電原発事故研究所」を構え、毎月第一金曜日に「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」という集まりを開いてきました。この他に毎年、総会や学習会なども行っていると書かれています。

日野:井戸川さんが双葉町の町長を辞任した後に、双葉町、大熊町、福島県が、中間貯蔵施設を自分たちのところに作ることを受け入れました。この直後の、2014年9月に、井戸川さんは「双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会」を立ち上げました。

 私は最初、この協議会は中間貯蔵施設受け入れの反対派の集まりだと思っていました。ところが、井戸川さんの話を聞いている内に、そうではないことが分かってきました。

 この集まりは、町民がここで勉強して、それぞれが政府と闘えるようになることを目的にしているのです。「みんなで一緒に闘う」という発想ではなく、「みんな知識を付けて、それぞれが闘え」という考え方です。

 ただ、ここに集まっている方々は高齢の方が多い。井戸川さんは77歳ですが、集まっているのも同年代くらいの方々です。一番若い参加者でも60代で、なかなか熱心に勉強をするという雰囲気にはなりません。

 ところが、なぜか10年にわたってこの会は続いてきました。不思議ですね。コロナ禍の集まりは中断していたのですが、コロナ後も再び集まっている。全体では40人ほどいますが、毎回会に集まるのは実質10人ほど。私がこの集まりに参加するようになったのは5年前くらいからです。

──この集まりにはゴールはあるのですか?

日野:ないと思いますね。熱心に勉強するという気配はもはや失われています。「参加者たちのモチベーションは何なのだろう」というのが、私にとっては疑問でもあります。

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さいたまスーパーアリーナから加須市の廃校に移る時の井戸川克隆氏(写真:アフロ)

さいたまスーパーアリーナから加須市の廃校に移る時の井戸川克隆氏(写真:アフロ)© JBpress 提供

──福島第一原発事故の時に、独自の判断で町民を大移動させてヒーローとなった井戸川さんは、その後、ある出来事をキッカケに、日本中からバッシングを受けるようになります。何があったのでしょうか?

日野:双葉町から加須市に町民を連れてきた時は、旧約聖書でイスラエルの民を率いたモーセさながらの英雄としてメディアで語られました。ただ、町長を辞めて1年ほど経った2014年4月に「美味しんぼ騒動」というものが起きました(※)。

※美味しんぼ騒動:2014年4月28日発売の「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)で、連載中のマンガ「美味しんぼ」の主人公が福島第一原子力発電所を訪れ、後に鼻血を出し、双葉町の井戸川克隆・前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いる。言わないだけ」と語る場面が描かれた。その後、風評被害につながると批判が相次いだ。

──これは「美味しんぼ」の作者が井戸川さんと会って話をして、その時に井戸川さんが言ったことをそのままマンガに描いた。そうしたら、「デマを言うな」という批判の声が大きくなった騒動です。でも、井戸川さんはデマを言ったつもりはないという話ですよね。

井戸川氏は何を成し遂げようとしているのか?

日野:そうです。デマを言ったつもりがないどころか、井戸川さんの言葉をそのまま引用すると、「なんで、人の身体のことを見てもいないやつに言われなければならないのだ」ということです。

 ところが、安倍首相(当時)まで「非科学的なことを言わないでください」と、井戸川さんを批判しました。こうしたことがあり、英雄から一気に咎人扱いになり、井戸川さんはマスメディアに登場しなくなります。本人が出たくなくなったのではなく、「取扱注意」の人物になり、お声がかからなくなったのです。

 加須に町民を連れて行って英雄扱いされた時も、美味しんぼ騒動の時も、井戸川さんの姿勢や意見は変わっていません。世間が180°変わっただけで、彼のやっていることは全くブレていません。

──井戸川さんは、最終的に何を成し遂げようとしているのでしょうか?

日野:自分の正義を貫き通そうとしているのだと思います。放射能の長い時間軸を考えると、あそこを完全に除染して、町民がみんな戻るということは現実的ではないと思います。だけど、「俺は戻らないなんて言ってないぞ」というのが井戸川さんの主張です。

 国の帰還政策は名ばかりで、実際には「どこへなりとも行け」という棄民政策です。でも、そうではないだろう。避難指示を出したのだから「ちゃんと責任を取り、この政策は誤りだったと認めろ」と戦い続けているのです。

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福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由

福島第一原発事故の後始末から国は手を引いた……国が避難指示の解除を求める理由© JBpress 提供

 一つ分からないのは、井戸川さんがなぜ、まわりにいる双葉町の人々を見捨てないのかということです。自分の戦いを完遂することだけを目的にしているのなら、勉強会をする時間は無駄です。勉強会をしたからといって、町民たちが立ち上がって闘おうとしているかというと、そんなことはありませんから。

 井戸川さんは、双葉町の長(おさ)であることもやめられず、1人の闘士であることもやめられない。矛盾した2つの存在意義を呑み込んでいる怪物なのだと思います。

 2012年に最初に井戸川さんと知り合ってから、「この人はどう定義したらいいのか分からない」という感想をずっと抱いてきました。だから、10年間も取材を続けることになったのだと思います。

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長野光(ながの・ひかる)

ビデオジャーナリスト

高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。

 

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