【袴田事件】裁判長は「異臭がするので臭いに弱い方はご退席ください」 記者が再審法廷で目撃した異様な光景とは 2023年12月25日

支援者も増える(撮影・粟野仁雄)

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 12月11日、「袴田事件」の4回目となる再審公判が静岡地裁で開かれた。検察側の「有罪」の主張に対し、弁護側は「静岡県警の捏造」と真っ向から反論。最大の争点たる犯行着衣の「5点の衣類」が法廷に現れたこの日、裁判所は傍聴者らにどう対応をしたか。1966年6月に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺された事件で死刑判決を受け、無実を訴えている袴田巖さん(87)と姉のひで子さん(90)の戦いを追う連載「袴田事件と世界一の姉」の39回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

【写真】犯行着衣とされたズボンを巖さんが履く様子。サイズが小さく、太腿までしか上がらない

傍聴席の譲渡を防ぐ仕組み

 12月10日、袴田事件再審の第4回公判を傍聴するために静岡地裁に駆け付けた。庁舎前で5556番の整理券を腕に巻かれ、「外したら無効になります」と女性職員に注意された。季節外れに温かい駿府城公園で発表を待った。午前9時45分頃、公園に立てられた小さな掲示板に当選者番号が貼られ、当選を確認した。ひで子さんが法廷で語った初公判(10月27日)ほどの希望者数ではないが、それでも数倍の倍率だった。

支援者も増える(撮影・粟野仁雄)

 受付に行くと、今度は番号が書かれた傍聴券テープを再度手首に巻かれた。普通は小さな整理券をくれるので驚いた。しかも、傍聴券に書かれた3987番と一致する「指定席」に座れとのことだった。2つ目の紙の腕輪も「外したら無効になります」と言われたが、傍聴券を他者に譲渡しないためであろう。例えば、支援者たちが「一目でいいから歴史的な再審法廷を見たい」と思っても、当選した者の代わりに入ることはできない仕組みになっている。

 実はこの影響を一番大きく受けるのはメディア各社である。通常、裁判所の傍聴席は記者クラブに加盟している新聞社、放送局、通信社のため、座席に「記者席」と書かれた白いカバーがかけられた席が用意される。そのため、加盟社なら最低でも一社につき一人は入れるが、注目の裁判になるとメディアはそれで満足しない。「死刑判決です」とか「起訴内容を認めました」といった速報を出すために裁判所の外に飛び出す要員など、多くの記者を傍聴席に入れたいのだ。「法廷画家」の席も必要になる。このためにメディアはアルバイトを使って整理券配布の列に並ばせる。結果、記者席以外の傍聴席までをマスコミが占有してしまうことも多かったが、譲渡できなければそれもない。「メディアの占有」を防ぎ、平等になったという意味では、当選した本人しか傍聴できないのは悪いことではない。今回の裁判でも48席中、21席が記者席だった。

厳しい荷物検査

 2階の202号法廷で午前11時に開廷する予定だが、その前に荷物検査と身体検査がある。職員が「筆記用具とペン以外は持ち込めません」と繰り返す。カメラ、録音機、スマホ、パソコンなどは御法度である。これらのものは通常の裁判でも使用できないが、持ち込みはできる。

 さらに「身体検査で禁止物が見つかりましたら入廷できませんので、お気を付けください」とも注意された。せっかく当たった傍聴券が無駄になってはいけない。必死に確認して身体検査へ。今度は「ポケットの中の物はすべて出してください」と言われた。職員が検知器で背中まで検査し、「腕時計はOKです。はい、どうぞ」と通された。

 筆者の荷物検査の横で支援者の男性が職員と口論していた。携帯電話が検査で引っかかり傍聴できなくなったようだ。まるで法廷での復讐を防止する暴力団事件並みのチェックの厳しさだが、この再審公判でそこまでする必要があるのだろうか。

 実は11月10日の第2回公判では、入室できなかった西日本新聞社の男性記者が声を荒げたとかでパトカーまで呼ばれる騒動になった。出動を要請したのは庁舎管理権の責任者たる裁判所の所長だ。身体検査で引っかかれば、荷物預かりに戻って預ければいいのではと思う。裁判所という役所は「冤罪被害者を支援する輩は極左や過激派に決まっている」と考えているのだろうか。

最初から法廷にいた裁判官

 入室して違和感を覚えた。ひで子さんと弁護団、検察官、さらに、國井恒志裁判長ら3人の裁判官がすでに着席していた。通常、裁判官は最後に入室し、傍聴者も「起立、礼」をさせられるがそれもない。報道機関による廷内の代表撮影も傍聴人が入った後に行うが、すでに終わっていた。そんな中、審理が始まった。

 巖さんの補佐人であるひで子さんは、弁護団席の最前列で事務局長の小川秀世弁護士の隣に座っていた。検察官3人は若く、1人が女性だ。

 午前中は検察側の「有罪立証」の続きだった。検察は事件があったこがね味噌の当時の従業員の証言記録から、巖さんは「味噌出し」という役割で、大豆を潰したり味噌をタンクから取り出したりする仕事の頻度が高く、「被告人には犯行を実行する機会があった」と主張した。また「(発見された)1号タンクには160キロの味噌が入っており5点の衣類を十分隠せた」とした。

 さらに、殺された橋本藤雄専務と親しかったという同業の男性が、「2014年3月に再審になったことを知ったが、(5点の衣類は)捏造とは思えない」と証言していることを紹介した。それによれば、事件直後に警察が味噌タンクを捜索しようとした際、こがね味噌の望月という従業員が「商品が損なわれ大損害になる」などと抵抗してやめさせたという。そのため事件翌年に5点の衣類が発見された際、警察に「しっかり捜索していればもっと早く解決した」と怒られたと話していたことも紹介された。その上で検察官は「彼の話からすれば捏造はあり得ない」と主張した。

検事が不安になった

 また、検察は「従業員に警察の協力者がいたことはあり得ない」「他の従業員に気づかれずに5点の衣類をタンクに入れることは不可能」「血染めの服が入っていた味噌なんか気持ち悪くて誰も買わない。製品や会社のイメージが落ちてしまう。従業員がそんなことをするはずがない」と強調した。そして「こがね味噌は事件後にイメージが悪くなり、倒産しかけ、別会社と合併した。その後、5点の衣類が出て昭和47年に富士見物産に吸収合併された」と経緯を話した。

 さらに検察は、5点の衣類の発見時、警察が「とんでもない物が出てきた」と言ったと説明した。当初はパジャマを犯行着衣として裁判を進めていた吉村英三検事は、5点の衣類が発見されたことで「無罪になるのでは」と不安になり、「衣類の仕入れ先など証拠収集を指示した」という。吉村検事が不安になったことは県警の捜査報告書にも書かれている。このことから、少なくとも検察が証拠捏造を警察に指示したり、了解していたりしたわけではないと推測される。

 弁護側は、犯行着衣としたパジャマでは立件が危うくなり、警察が急遽、5点の衣類を捏造したとみている。検察の主張には、これを挫く意図があるのだろう。証拠はないが、捏造はなかったという印象になる。

生地の色に変化に疑問

 午前の審理が終わり短い昼休みになり、午後は1時20分から再開された。

 小川弁護士が弁論を始めると、男性検察官が「裁判記録の引用はおかしい」などと形式的なことでケチ(異議申立)をつける。小川弁護士は「5点の衣類がなければ有罪はなかった」と題して、廷内の壁に据えられたモニターに概要を示しながら説明した。

 小川弁護士は「5点の衣類が犯行着衣として有罪になったが、再審(請求審)では捏造とされた。検察が犯行着衣というなら、全く違う証拠を出さなくてはならないが、これまでと変わらない。血痕の付着から犯行着衣というだけ」と批判した。そして、当時の味噌タンクの状況について「味噌は80キロで深さは1・5センチにしかならない。隠せるはずがない」と反論した。

 この日、強調したのは、発見まで1年2カ月もの間、味噌に漬けられていたはずの生地の色がほとんど変化していないことだった。2010年に証拠開示された警察の写真では、5点の衣類のシャツは白く、緑色のブリーフも緑のままで、生地の色が変わっていないのは不自然だ。

返り血も矛盾

 この日の主眼ではないが、小川弁護士が強調したのが殺害時の状況である。

 小川弁護士は「検察は、犯人は(橋本)藤雄さんのA型の返り血を浴びたとしているが、殺された4人とも傷は刺し傷ばかりで右胸に集中している。これは被害者全員が身体を動かせないようにして刺されたことを推認させる。その場合、(抵抗されることもないので)犯人が大量に返り血を浴びることはなかった」とした。また、「犯人が立って格闘していたのなら、返り血は下に垂れるが、シャツやズボンなどに下に向かって垂れた痕跡はなく、360度すべての方向に染みて広がったような血痕」だとした。外側に履くズボンよりはるかに多くの血痕が下着のステテコに残っているきわめて不自然な写真がモニターに映された。

 白山聖浩弁護士は、巖さんの体重変化について指摘した。1971年に東京高裁の段階で、巖さんが5点の衣類のズボンの着装実験をした際、太腿でつかえて履くことができなかった。検察は「逮捕後に太ったから」とした。しかし、白山弁護士は、検察が事件発生時の体重とした数字は、ボクサーとして復帰するために大幅に減量した上で計測したものであり、実際には事件発生時に体重が増加していたと説明した。

 さらに加藤英典弁護士は、検察の「味噌に浸かっている間にズボンが縮んだ」との主張に対して「共立女子大学の間壁(治子)氏の鑑定で収縮率は最大1パーセント程度」とした。

ついに登場した「5点の衣類」

 休憩を挟み、午後3時20分から再開した。いよいよ5点の衣類の登場だ。

 裁判長が「異臭がするので臭いに弱い方はご退席ください」と言った時である。筆者の後ろの席の男性が「毒じゃないんですよね?」と言った。その途端、裁判長は「次に声を出したら退廷を命じます」と厳しい口調で注意した。それだけではない。「席の番号は?」と問い、職員に席番号を告げさせた。男性がしつこく発言したなら別だが、裁判長が「毒などありません。発言はしないでください」と言えば済む話である。いきなり権威を見せつけるように傍聴席を睨み「退廷させます」と大きな声を出す神経質さは異様だった。

 白山弁護士が「5点の衣類がなければ有罪判決はなかった」と題して、いよいよ5点の衣類が登場した。半袖シャツ、スポーツシャツ、ブリーフはなくステテコとズボンの2点、さらに、入っていた麻袋と色を示す札である。男女の職員2人がビニール袋から慎重に取り出し長机に広げた。当時、巖さんが履いていた茶格子模様のズボンも展示された。ステテコとズボンは経年変化もあって全体が濃い茶色に染まり、傍聴席から筆者が見てもどこが血痕なのかもわからなかった。臭いについては、比較的、衣類の近くにいた筆者も全く感じなかったが、法廷の扉が開け放たれていた。

 白山弁護士は「持って広げてください」と求めたが、職員は「破れる」「破損する」と拒否した。麻袋に至っては段ボール箱から出すこともせず、少し見えるようにして撮影させただけだ。これではよくわからないだろうと思ったのか、白山弁護士が「裁判長さん、どうぞ近くで見てください」と求めたが、國井裁判長は立ち上がっただけで左陪席の益子元暢裁判官を見に行かせただけだった。

 審理は午後4時20分頃に終了したが、マスコミを先に退出させて一般の傍聴者は待たせる。そんなことも普通はしない。3人の裁判官は最後の傍聴者が出るまで退廷しないで様子を見守っている。弁護団の水野智幸 弁護士(法政大学教授)は「裁判長が廷内の様子を最初から最後まで見届けるということでしょう」と話していた。どこまでも警備だ。開廷が午前11時と遅いのも、荷物検査や身体検査などで時間がかかるからだそうだ。

 巖さんやひで子さんの人柄、支援者の善意もあり、これまで袴田事件の取材でピリピリした雰囲気を感じたことはない。だが、事件を裁く裁判所には何か別の力が働いていると感じた。「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹事務局長は「後日、國井裁判長が担当する別の事件を傍聴しましたが、國井氏は最初から居て最後の傍聴人の私が出るまで見守っていた」と明かした。廷内に関しては「袴田事件ゆえ」ではないのか。

「捏造」をベースに考える

 弁護団の会見で団長の西嶋勝彦弁護士は「検察はこまごまとした主張を繰り返していた。5点の衣類が(事件直後の)捜索で見つからなかった理由などを説明していた。次回以降、こちらは取り調べの不当性を主張していく」と話した。3月に結審せず、ずれ込みそうだとも明かした。

 ひで子さんは「今日は裁判らしい裁判でございました。小川先生はじめ弁護士さんの反論は素晴らしかった」と語り、「検察はわけのわからんことをごちゃごちゃ言っていたけど、弁護団はすべからくバババっと返していた。検察が何を言おうと私はびくともしない。この調子でやってほしい」と弁護団にエールを送った。5点の衣類については「報道で見たことはあるけど、実物を初めて見た。けど、よくはわからなかった。ステテコやズボンであることはわかるけど……古いものですから」と話した。

 小川弁護士は「捏造」の言葉を繰り返していた理由を記者に問われると、「捏造だから、はっきりと裁判官にも皆さんにも認識してほしい。捏造を頭に置けば事件がよくわかることを裁判官に知ってほしい」と答えた。

 角替清美弁護士は「証拠物は博物館の宝物ではない。(地裁職員の扱い方が)神経質で物足りなさを感じた」と語った。

「裁判長はどうして(5点の衣類を近くで)見に降りてこないんですか」という質問も出た。笹森学弁護士は「今の段階でよく見てもあまり意味はないんですよ」などと答えた。経年劣化で色は変化しているのであまり意味がないかもしれないが、サイズを見ることは重要だろう。

協力者の存在

 筆者は「血染めの服を味噌タンクに入れたら会社のイメージが落ちるからそんなことするはずがない、という検察主張は、一定の説得力があるように感じる。従業員に協力者がいないと仮定し、警察だけで衣類を放り込めたということを主張できなければならないのでは?」と尋ねた。

 小川弁護士は「具体的な証拠はないが、誰か(従業員)の協力がないとできないと考えている。発見された時、タンクの味噌の深さは30センチもなかった。すぐに見つかるはずが、(取り出すまでに)30分もかかっている。捜査の最初から警察は袴田さんを犯人と決めてかかり、従業員が袴田さんを病院に送ると、そこで警察が待ち受けていたこともあった。従業員で逮捕された人もいる。従業員が警察の言うことを聞かざるを得ない関係にしていたと思う」と答えた。共犯とまで言わずとも、どこまで警察に協力する者がいたのか興味深い。

 さらに、田中薫弁護士に「第1次再審請求審で5点の衣類について、生地1平方センチあたりの糸の数まで検討されていた。久しぶりに(5点の衣類を)見てどう感じましたか?」と尋ねた。田中弁護士は巖さんが釈放された「村山決定」(2014年3月)の後、廃業していたが、昨年、弁護士会に再登録して奮戦している。

「高裁で証拠を閲覧して、マチ針を指して糸が1平方センチに何本あるかなど数えて、ズボンのウエストサイズなどを算出していました。西武デパート静岡店の紳士服店で(比較するための生地を)裁断してもらったりしたんです。はるか昔の話だったなあと思いました」と田中弁護士は感慨深げだった。

 小川弁護士と田中弁護士の2人は、40年以上前の第1次再審請求審から弁護団内で強く「警察の捏造」を主張していたが、当時の弁護団全員から「捏造などと言うものではない」と押し切られていた。ここへきて積年の思いを堂々と世に訴えている。

 この日の朝、ひで子さんは「静岡に行ってくるからね」と巖さんに声をかけたが、巖さんは起きてこなかったそうだ。最近の巖さんは、早起きしたり、遅くまで寝たりと、日によってばらばらだという。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

 

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