何故、日本に劣化ウランが?日本は濃縮ウランのOEM生産工場だった

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1941982.html#more

るいネットさんのサイトより

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=305004

<転載開始>

日本の原発ではウラン濃縮が行われていたとされる内容の記事を紹介します。

 

福島第一原発事故の真実

リンクよりhttp://www.link-21.com/atomicenergy/008.html

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何故、日本に劣化ウランが?

日本は濃縮ウランのOEM生産工場だった

巨大な電力が必要なガス拡散法による濃縮ウランの製造では、遠心分離法による濃縮ウランにコスト競争に勝てず、米国のユーセック社はウラン濃縮技術を、ガス拡散法から遠心分離法に切り替えを計画した。

ロシアは、1984年、ウラン濃縮をしていたチェルノブイリ4号機の爆発事故以降、ウラン濃縮を中止していて、現存する高濃縮ウランを商業用低濃縮ウランに変換していて、米国も旧ソビエト時代の高濃度濃縮ウランを核拡散条約にもとづいて引き受けていて、ガス拡散法による濃縮ウランの生産力を調整できる状況にあった。

この期に、米国のユーセック社は、ガス拡散法によるウラン濃縮施設であるパデューカ工場を閉鎖して、遠心分離プラントの建設に着手する。

ユーセック社は、ガス拡散法の設備と技術を日本に輸出し、日本の原発事業者と濃縮ウランのOEM生産の契約をする。

米国は、1979年のスリーマイル島の原発事故後、原子力発電が発電全体に占めるシェアは1982年には12%まで落ち込んだが、原子力発電所の数は、1990年末の112基から2008年末には104基にまで減少したにも関わらず、設備利用率の向上で発電全体に占めるシェアを20%まで回復している。

何故設備利用率が向上したのか。それは、ウラン濃縮に利用していた原子炉を発電プラントして稼動したからである。

そして、日本では原子炉の建設が急増し、次々と原子力発電所が稼動していった。しかし、同時にウラン濃縮で生まれる劣化ウランとう核廃棄物が日本国内で在庫として積み上がっていった。

そう、日本の原子力発電所は、ウラン濃縮の原子炉とそこに電力を供給するための発電用の原子炉があり、ウラン濃縮を行っていたのである。

だから、日本の原子力発電所は、ウランを鉱石として輸入しイエローケーキを作る精製技術も確立していた。東海村の臨界事故は、ウランの精製工程での臨界事故である。

そして、ウラン濃縮で生まれた核の廃棄物である劣化ウランは奇しくも、311日の東日本大震災の直後、コスモ石油(株)干葉製油所の液化石油ガスタンクが燃える大火災で、隣接するチッソ石油化学(株)五井製造所の劣化ウランの倉庫が延焼し爆発した。

劣化ウランは、1100度位で発火しエアロゾル化して空気中に浮遊し、体内に侵入しウラン238を内部被曝をする。

東京の湾岸地域周辺の市民は、福島第一原発事故による放射性物質の汚染を受ける前に、劣化ウランの延焼による放射性物質の汚染を受けていたのである。

日本の原発は、電力プラントではなくウラン濃縮プラントである。そして生産した濃縮ウランは、米国のユーセック社にOEM商品として提供されていたのである。

 

福島第一原発 3号機はプルトニウムの核爆発、4号機はミサイルで爆発された?

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=305012

なんとも恐ろしい内容ですが、日米両政府が4号機が無傷で残った場合に、ウラン濃縮プラントであることが世界中に知られてしまうことを恐れたために、4号機は沖合いに待機していた米原子力空母により爆破されたという記事を紹介します。

 

世界の常識や定説は真逆である

リンクよりhttp://www.link-21.com/earth/b06.html

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3号機はプルトニウムの核爆発、4号機はミサイルで爆発された

1. 3号機はプルトニウムの核爆発

1号機と2号機は発電プラントであるが、3号機と4号機の原子炉はウラン濃縮プラントであり、原子炉内には核燃料棒ではなく拡散筒が入れられていた。

これは、従来の六フッ化ウランガスを濃縮するだけではなく、六フッ化プルトニウムガスも同時に濃縮する新型の濃縮プラントであった。

 2011311日に日本の東北を襲った地震は、新型の濃縮プラントの原子炉を襲った。4号機は停止中で、稼動していた3号機は地震で緊急停止した。

職員はメルトダウンが起きる心配も、使用済み核燃料ではなく、拡散筒が入れられている燃料プールの水素発生はないと判断していた。

しかし、13日の14時に3号機の原子炉内の温度が急上昇した。原子炉内の拡散筒を覆っていた軽水の水位は下がり、拡散筒が高温状態になっていた。

これは、チェルノブイリ事故と同じで、地震の揺れで拡散筒内の濃縮ウランが臨界が起こしたのである。

この臨界で原子炉内の温度が上昇し、軽水が沸騰して水素が発生する。

1411時に、原子炉内炉内の濃縮中のプルトニウムを包むように水素爆発が起き、炉内でインプロージョン(爆縮型)の過早核爆発を誘発した。

原子炉はこの衝撃に耐え切れずに破壊。核爆発による衝撃波をともなう爆発がおきた。

 インプロージョン型(wikipediaから引用)

 インプロージョン型(英:Implosion)または爆縮方式は、英語のexplosion「爆発」という語のex-(外へ)という接頭辞をin-(内へ)に置き換えた造語で、「爆縮」はその和訳である。爆縮方式とはその名の通り、プルトニウムを球形に配置し、その外側に並べた火薬を同時に爆発させて位相の揃った衝撃波を与え、プルトニウムを一瞬で均等に圧縮し、高密度にすることで超臨界を達成させる方法である。長崎市に投下されたファットマンで採用された。 プルトニウムは自発核分裂の確率が高く、プルトニウム原爆は過早爆発防止の為にこの方式でのみ実用可能となるのに対し、ウラン原爆はインプロージョン型、ガンバレル型のどちらでも可能である。

過早爆発 wikipediaから引用)

プルトニウム原爆において、反応材のプルトニウム240含有量が7%を超過、爆縮が不完全、軽量化のため爆縮火薬を削減しすぎた余裕のない設計、などの場合では、爆縮方式であってもプルトニウム240の自発核分裂の発生する外向きの爆風が、TNT爆縮火薬の内向きの圧力に打ち勝ってプルトニウム239の塊が充分に核分裂を完了する前に吹き飛ばしてしまう。この現象が過早爆発であり、プルトニウム239の一部しか核分裂しないため、爆発力が計画値を大幅に下回ってしまう。2006年の北朝鮮の核実験は過早爆発だったと見られている。

 3号機の爆発は2回続けて起きているが、1回目は原子炉内の水素爆発で、二回目は、原子炉内での水素爆発で、炉の中心にあったと思われるプルトニウムが、インプロージョン(爆縮)により核爆発を起こした。ただし、この核爆発は、不完全な過早爆発である。

福島第一原発では、発電プラントとしての原子炉事故とウラン濃縮プラントの原子炉事故が同時におきたのである。そして、チェルノブイリ同様に、臨界を引き起こしたのは地震である。地震による揺れで臨界が発生し、チェルノブイリでは、拡散筒が干渉することで広島に落とされた原爆と同じガンバレル型の核爆発がおきた。

これに対して、福島第一原発では、水素爆発が、濃縮中のプルトニウムを核爆発させた長崎の落とされたインプロージョン型の核爆と同じ爆発を引き起こしたのである。

2. 4号機はミサイルで爆発された

311日の地震当日、4号機は原子炉圧力容器の上蓋が外されウラン濃縮は行われていなかった。拡散筒には濃縮前の六フッ化プルトニウムがガス化して充填されていたが、筒内のプルトニウムは臨界する量に達していないので、地震の揺れで3号機のような臨界が起きなかった。使用済み核燃料プールには、使用前の拡散筒が入っていて燃料プールの温度上昇は起こらない。4号機は1号機から3号機までの状況と違って危険はなかった。

しかし、この状況は、ウラン濃縮プラントである3号機が爆発した状況で、4号機が残ることは米国と日本政府にとってはまずい状況であった。ウラン濃縮の施設であることが知られてしまうからだ。

 日米両政府は、4号機が無傷で残った場合に、ウラン濃縮プラントであることが知られてしまうことを恐れた。日本の原発でウラン濃縮のOEM生産をさせていたことを表に出すわけにはいかない。この問題を解決するために、4号機は、沖合いに待機していた米原子力空母ロナルド・レーガンの艦載機のトマホークで爆破されたのである。

建屋の壁にはミサイルが撃ち込まれた跡があり、建屋内部の写真からは延焼した形跡はなくミサイルの爆破であることは明白である。この、ミサイルによる爆破は日本側も知っていたはずだ。朝6時の爆破後火災が発生するが、それまで、事故後静観していた米軍が消火活動に参加する。それまで、空母で静観していた海兵隊が原発事故現場に乗り込んできたのは、爆破の跡を確認するためと、ミサイルの残骸を収集することだったと考えるべきです。 4号機はウラン濃縮プラントであり、破壊による証拠を隠滅するために、米軍がミサイルを撃ち込んだのである。

 

<転載終了>