上杉鷹山


 

 昨日、2回にわけて観ました。


 素晴らしく、感動的でした。


 しらくもの健康を取り戻そう

 

 上杉鷹山(ようざん)1751年(宝暦元)9月9日


~1822年(文政5)4月2日、江戸中期、


日向高鍋藩主・秋月佐種美(たねみつ)の2男として


江戸屋敷で生まれ、上杉重定の養嗣子となる。


 妻は幸(よし)、重定の娘。


 1767年(明和4)17歳で米沢藩主となり、


江戸時代屈指の名君として知られる。


 幼名は松三郎、または直松。16歳に元服して


治憲(はるのり)と改名。


 家督を息子に譲り、


隠居後52歳に鷹山(ようざん)と名乗る。



 藩政改革に際して率先して粗衣粗食に耐えたこと、


師の細井平洲に対して終始門弟としての礼を守った。


 人材の登用、古い慣行の刷新と現実的な政策


の採用が改革を成功させた大きな理由とみられる。

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なせば成る 為さねば成らぬ何事も



成らぬは人の為さぬなりけり 



上杉鷹山の名言として伝えられていますが、



熊沢 蕃山(くまざわ ばんざん、元和5年(1619)~



元禄 4817 1691 99 ))江戸時代 初期の陽明学者


も言っていたようです。