だましだまし過ごしていましたが、自身が椎間板ヘルニアになってしまい、入院して手術して退院しました。

息子に付き添って入院していた際の簡易ベッドが理由の一つかなと思う。僕は身長が高いので(185cm)簡易ベッドから足が出てしまう。腰が痛くなっても寝返りがうてない。これが影響して一年ほど痛かったのですがいよいよ足が痺れて歩けなくなり、手術にふみきりました。

少しだけ切って内視鏡で椎間板を削る手術でしたが、初めての手術でとても怖かった。局所麻酔で眠る薬を入れてもなかなか眠くならず手術器具が目に入ってそれだけで恐怖を感じた。

息子は本当にすごかったんだな、と改めて思った。

退院して息子に伝えた。よく頑張ったね、それも三回も。息子はぜんぜん平気だったと言った。

生検の手術は朝9時頃からだった。早くに病院に行って待っていた。手術室の手前まで一緒に行くことを許され、妻と一緒に運ばれて行く息子といた。看護師の方々のおかげだろう、息子は不安になっている様子もなく、ニコニコと笑っていた。じゃあまたあとでね。ここで待ってるね。息子は手術室に運ばれて行った。

それほど時間はかからないと聞いていたが、なかなか終えたと知らせに来なかったので何かあったのではないかと気が気じゃなかった。午後になって無事に組織を採取できて強制的に眠らせてICUに移したと伝えに来てくれた。ICUに行き息子に会うことができた。ただとにかく終わってよかったと思ったのと、まだ2歳の子供が口や鼻に血の跡が残った状態で肌寒いICUの一画で眠らされている状況を見て息が詰まりそうだった。妻は目に涙を浮かべていた。僕はとにかく気丈に振る舞った。よく頑張った、これで結果がわかって治療に入れるね。そう話した。

この状態で三日ほど過ごすとのことだった。その間の面会はICUということもあり、一日20分ほどとのことで行ける時間も指定されていた。帰宅して妻と二人だけの数日を過ごすことになった。

妻はもっと早く気づけたんじゃないか、自分のせいなんじゃないか、とネガティブになっていた。そんなことは無いし、早くに気づけたのはすごいと医師も言っていたじゃないか、と話していた。面会出来る時間を除き、妻の息抜きになるように散歩したり、外食したりした。どこに行っても、息子はこれが好きだった、これをよく食べた、病院に持っていけるか、など気にしていた。それでも少しは気が紛れているのか笑う場面も少しはあった。だが、面会の時間になるとそういったものもすべて消えた。息子が眠っている期間は三日の予定が延期され五日になり、さらに数日増えた。もう気が気じゃなかった。生検で採取した組織の病理検査の結果もすぐには出なかった。非常に稀な腫瘍とのことで、複数箇所に病理診断を依頼していた。

この間、当時のメモやメッセージのやり取りを見返したり、妻に聞いてみてもどんな風に過ごしていたのかまったく思い出せない。

やっと息子が起きる日が決まり、覚醒したら連絡が来ることになり、それを心待ちにしていた。何かあって起きないのではないか、不測の事態が起きたらどうしよう、そんな不安に押しつぶされていた。

連絡を受け、二人ですぐに飛び出して病院に向かった。

シンチグラフィ検査がすぐに行われた。結果を聞く為に先日と同じ面談室に行き、そこで医師を待っている間、妻と少し話していた。息子は元気だがいよいよ起き上がれない様子で早く治療したいと言っていた。

医師が入ってきた。息子の病気を見つけてくれた小児科医だけだった。前と同様、息子は別室で看護師と一緒にいた。

シンチグラフィの説明を改めて説明してくれた上で、その結果について話してくれた。どうやら息子の病気はなぜなのかシンチグラフィには反応しなかったようで、腫瘍のある頭蓋底や頭頸部も含めて、全身反応が無かったとのことだった。通常、何らか反応があるはずなのに、と不思議がっていた。

僕は口には出さなかったが、これはこの結果は悪性腫瘍ではない可能性もあるのではないか。そう考えていた。良いように解釈することで心のザワつきをおさめようとしていた。

息子と少し会えた。元気そうだった。ただ、これまでより言葉少なだった。息子は2歳なのによく喋る子だった。声もとても可愛くて女の子のようだった。けれど、名前を呼んでいろいろ話しかけても、ニコッと笑うだけだった。毎日テレビ電話をしていてもあまり喋らなかったのは実際に会っていないからかな、と思い込んでいた。でも違った。多分話すこと、声を出すことが辛くなり始めていたのかと思う。

下の売店で買物をするからと妻も一緒にエレベーターに乗って降りた。少し痩せたように感じた。それを伝え、元気になれる食べたいものがあれば買ってくるから、とも伝えた。妻は頷いていたが、あなたもね、と言った。僕も妻から見たら痩せたようだ。言われてみれば食事した記憶があまりない。あとは髭も剃って無かった。自分のことや身嗜みに無頓着になっていた。それよりも息子が喜び、妻が喜ぶことが重要だった。

帰宅して仕事をした。オンラインで会議をし、資料を確認し、メールやメッセンジャーでくる連絡に返し、判断し、意思決定する。まだまだベンチャー企業で赤字経営であることから課題も多く、特に資金の問題やこれから力を入れるべき事業、見切りをつけて止める事業、付随して起こる人員の整理、会社を成長させる新たな事業など、毎日考え議論していた。まだ息子の状況については詳しくは伝えていなかった。仕事をしながらも常に息子を案じていた。妻から、病院からの連絡に対応できるようにしていた。だからあまり仕事も上手く回っていなかったように思う。

そんな仕事のやり取りの中で、以前より一緒に事業をやろうと声をかけてくれているSさんからの連絡もあった。ベンチャーとはいえ企業を経営している状況で、他の事業を片手間でやることは難しく、まあ無理矢理やっても中途半端になってしまうから、と彼には伝えていた。それでも折を見ては連絡してくれて、話している中で息子の状態について話した。

手術になった場合、今の病院では出来ないから出来る病院を探しているがなかなか決めかねていること、早く治療に入りたいがまずは生検して結果が必要なこと、誰か専門医の話を聞きたいと思っていることなど、矢継ぎ早に話していたようだ。オンラインでの打合せだったけれど、そう話していた中で知らないうちに泣いてしまっていたようで、それでも彼は何も言わずじっと聞いてくれていた。終わりになって彼は、ちょっと僕の知り合いに聞いてみるよ力になれることがあると思う、今は息子さんに集中すべきだから仕事の話は止めよう、近いうちに会って話そう、そう言ってくれていた。ありがとうと伝えて切った。

夜になり妻に連絡して病院に行った。必要な物を買って届けた。帰宅してソファに座ってテレビをつけた。すぐに消した。じっとしてられなくて外に出てただただ歩いていた。公園のベンチに座って息子とブランコに乗ったことを思い出したり、線路脇の石垣に腰掛けて息子と一緒に走ってくる電車を待っていたことを思い出したり、そんなことをしていると陽が上がってきていた。帰宅してソファに横になって、少し眠ったりしたがすぐに目が覚めてしまう。そんな毎日だった。

そして生検の手術日になった。