この2ヶ月スッキリしない、絶不調だったようで、5、6キロ痩せたというからかなり心配しました。
弟は未熟児で、尚且つ、チアノーゼ状態で生まれて来ました。
だから、泣かなかった、産声も上げなかった❗
首にぐるぐると臍の緒が巻き付き仮死状態でした。
慌てて先生が足から持ち上げ逆さまにした状態で水を吹き掛けお尻をペンペン叩いたらしい。
私は生まれて直ぐに大きな産声をあけたのに。余りにも違いすぎる私達です。
その後、一週間、お風呂も入らせず、入れた振りだけして看護婦さんは母の手に弟を渡していたらしい。
真実は、虫の息で、いつ死ぬかわからない状態だったのです。
そんな事とは知らず、両親は全く泣かない、何ておとなしい赤ちゃんなんだと話していたという。
この事実を知らなかったのは産院では母ただ一人。
それでも、生命力があったのか、息を吹き替えし、お乳をぐびぐび飲み、徐々に体重が増えていった。
弟は中々言葉が出て来なかった。言っていることは理解していたが、うなずくだけ。そして、いつも片目を眩しそうに閉じていた。
五つ違いの弟は、色白で、優しい子供でした。
私が麻疹や水疱瘡を家に持ち込み、なんども弟は危篤に近い状態に追い込まれました。
私はすぐ回復しても、弟は2ヶ月は引きずり、回復が遅かった。
病弱な弟はガリガリで太股なんて握れるほどの細さだった。
そんな細い股に太い大きな注射を一本ずつ打つ光景は今でも私の瞼に残っている。
子供心にその医者を殺してやりたいと思ったくらいだ。
体が細くて小さい弟は、いつも他人の後ろに回っていた。
トイレに行きたくても、人が自分の後ろに並ぶと、その後ろに並び、そうしている間に、漏らしてしまう。
毎日、保育園から濡れた下着とズボンを持って帰宅していた。
そして、小学校に入学してからは毎日虐められて、血だらけで帰宅していた。
でも、誰にやられたかは、言わなかった。脳に障害があることも当時の医学ではわからなかったし、本人も言わなかった。
今でも、「学校に行かないか!」と
玄関で父が弟を叩き、泣きじゃくる弟を忘れられない。ただ、泣くだけの弟だった。
いっぱい、言いたいことがあっただろうに。
両親も児童相談所や全国の相談所を渡り歩いた。しかし、解決策は見つからなかった。
変な祈祷師まで家にやって来ていた。
お祓いをしてもらったり、占ってもらったり。
両親としてはあらゆる方法を模索していたに違いない。
このような状況下でスピリチュアルライフコーチがいたら、我が家全員の人生は変わっていただろうなあ。
皆が模索し、悩み、苦しみ、解決法を見つけようと必死だった。
私も幼いながら、何故こんなに弟ばかりが虐められるのだろうかと不思議に感じていた。
学校も当時は、今で言う、学級崩壊状態にあり、担任も手の施しようのない環境であった。
不登校のお子さんを持つお母さん、
生き方は一つではないです。
学校に行かなくても大丈夫!
世間の目を気にしないでください。
私の親はそれを気にしていました。
条件付きの愛です。
学校に行くから良い子で、行かないから悪い子。
そんな気持ちがあったに違いないです。
小さな村に住んでいたため、親は
世間体や人の噂を気にして、「みっともない!」 こんな思いがあったと思います。
問題は親の方にあったのです。周りの大人達にあったのです。
そんな大人の感情や価値観、人生観に弟は潰されてしまいました。
子供をどう見るかは、あなた次第です❗
どうか自分の子供を信じてください。
無限の可能性を秘めています。あるかままで良いのです。
大人達が作り上げた、学校が作り上げたルールに何の意味があるのでしょうか?
宇宙は人間一人ひとりを
最高の作品として作り上げこの世の中に送ってくれていると私は信じたいです。
そう思えれば、自分も子供たちも
最高の存在なんですよね✨
子供は神様からの最高のプレゼントなのだから🎵
そこに、早く気づいて上げてくださいね。☺️
By 子育てを200%楽しんださとまま
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スピリチュアルライフコーチ
☆さとままこと佐藤和子☆
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