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ありがとうございます。


「弱さ」について考えた。の前回の続きです。


若い時はイキっていれば、

何とかなっていたことも、

結婚して、子供が産まれたら、

色々と自分自身が厄介になってきた。


私がバカにされていやだな、、は。


「子供が、私が馬鹿にされたら嫌だろうな。」

「 こんな嫁、主人は嫌だろうな」に

変わって行きました。


過去を知られるのが辛い。

友達から嫌われたこと。無視されたこと。

容姿もいけてなかったこと。

男の子からブスと言われたこと。


弱いを見せたくない。


見せたら、、夫は離れてしまう。


嫌がる。子供も失望する。


中学生も高校生も社会人も切り離して。


卒業アルバムは、全て捨てました。


子どもを、私みたいに育ててはいけない。


この気持ちが強かった。


当然ですが、自分軸もなく、自分で解決もできないから、私はヒステリックに子育てをしました。


「強く」見てもらいたくて、出来ないくせに、ワーママしたり。

( 当時は特に働かなくてもやっていけた)


「 出来る私がほしかった」


出来ない私を知られるのが嫌だった。


この気持ち、実は5日前まで握りしめていました


ある日突然、朝ごはんを作るために冷蔵庫を開けたら、そんな自分の惨めさに泣けてきたんです。


「弱い私はだめなん?」って。

涙が溢れ出ました。

、、とある会話を、ふと思い出したのです。


「〇〇は強いよ。いろんなこと、跳ね返してた。

めげないから。」  

頑張っても頑張っても、認めてももらえず、強くなってなかった。弱かった。

どうして、ここまで思い込んだかはわかりませんが。

ある日の会話で、ブスッと刺された気持ちでした


強くなったつもりでも、本当は小心者だった。

いちいち、こんな会話で悩み、傷ついてしまう自分にもうんざりした。


すぐにめげる。

すぐに逃げる。

すぐに拗ねる。

すぐに結果を求める。


気がつけば自分の弱さが、どんどん出てきた。


飲み込むのが辛いなぁ。

弱くてもいいんじゃないかな。

だから、上手くいかないのかな。


そんな事を泣きながら考えました。


こじれまくりの私の心をシンプルに、

ただただ「自分は弱い」を認めて、それに合った道を歩むだけなのに。


今、どうしてこんなにも、この感情が苦しんだろう。思い出すのだろう。


今もまだ「弱い」と「強い」を思う。

善悪ではないのに。

無意識にジャッジし、強がってしまう。


まだまだ続きそうです。

読んでくださってありがとうございます。