自分は自分でベストを尽くすこと
自分のミスは自分で取り返すこと
少しでも仲間やチームに貢献するためにはを考えられる気持ちを持つこと
仲間とともに目標に向かい
全員で達成することを目指し頑張ること
小さな変化が見られました。
「なんで入らないんだよ」
というもっともな意見に
「そういう事は言っちゃダメだよ。
あいつはあいつなりに頑張ってる。
俺らは俺らで頑張ろう。
次全員で入ればいいじゃんか。」
そんな会話が聞こえました。
今まで
この4年間でチームになかった会話でした。
自分が高校の時
合宿の2~3日目
一番疲れている中で山道1000mを10本をタイムありで走るという死ぬほどつらいメニューをやりました。
もちろん、タイムに入らなかったら1本に加算されない。
10本入るまでは宿舎には帰らせない。夕飯も抜きだ!というものだった。その時
数本走り終わると、後輩の一人が足を痛めて足を引きずっていました。
みんな
「痛いなら無理するな」と言い
先輩である僕らが先生たちに伝えにいきました。
「先生、こいつ怪我しています。走るのは厳しい用なので休ませてあげて下さい。」
後輩を思いやる気持ちで言ったつもりだった。
しかし
先生は僕ら全員の顔をしっかりと見たあと
「お前らふざけるな!」
そう激怒した。
そして
「走りはやめだ。」帰るぞ。
と言って解散になった。
何が何だかわからなかった。
宿に着き僕らは集合させられた。
先生は僕らを座らせて話し始めた。
「俺はガッカリしてるんだ
この1000m10本というきついメニューをみんなで乗り越えるのが今日の練習最後の目標だったはずだ。
目標に対してみんなで達成しようとするのがチームなんじゃないんか?
俺だったら、足を痛めた後輩が走れないと言うのならおぶってでも一緒にクリアーしようとするけどな。
お前らは、後輩のことを心配したフリをして、足の速い自分たちだけでタイムに入り、アゲインなしでメニューを終わらせようとしてなかったか?
それがチームメイトを思いやるということか?」
死ぬほど心が痛くなった。
走るツラさより辛くなった。
なんてことをしてしまったんだ、仲間を裏切ってしまったんじゃないかというつらさに襲われた。
これなら走るツラさのほうが楽だとすら感じた。
今でもあの衝撃は忘れられない。
決して
自分が楽になりたいから後輩のを休ませよう先生に頼んだわけではなかった。
ただ、もしかすると無意識に心のどこかで、こいつとは一緒にクリアー出来ないからなと思っていたかもしれない。
と気付かされた。
苦しい時に
人は無意識に自分のを事を優先する。
だからこそ
日々精進し、とらわれることなく
何が良いことなのかを周りを見て
人の気持ちに反応しながら
最終的にはニュートラルな状態で
自分で判断・決断していく気持ちを持たなくてはならない。
自分は自分でベストを尽くすこと
自分のミスは自分で取り返すこと
少しでも仲間やチームに貢献するためにはを考えられる気持ちを持つこと
そして
仲間とともに目標に向かい
全員で達成することを目指し頑張ること
何が思いやりか?
今日も子どもたちから学びました。
小さな小さな
積み重ねの中で
少しずつ少しずつ
良い変化が、見えない変化が
表面的なものではないものが
出てきているんじゃないかと思いました。
自分はまだまだです。
もっともっと
見えないものが見え
それをより良い方向に自然と導ける心や技術や力をつけなきゃです。
足りないものだらけ
だからこそチャレンジしたい
☆PURAVIDA☆