私のアラフォーからアラフィフ | かずのブログ

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その頃ブログが有ったら私は何を書いたでしょう。振り返ってみることにしました。

岡田茂日本橋三越社長の鶴の一声で新作ネクタイのデザイナーとなり、新聞雑誌各テレビ局とカミングアウトさせられ、元々主婦で素人の私はやる気は無く5年で放り投げパリに逃げ出しました。三越はその頃創業300年記念パーティーを武道館で派手に取り行い、パリ店でもパーティーをやる事になり、社長初め主な社員役員が集まっていてばったり遭遇しました(よっぽど縁があった)先生ご苦労様ですなんて言われて苦笑いでしたね  …本日たまたま パリはNotre-Dame大聖堂の火事で騒然としています。芸術品の殆ど難を逃れたと聞き胸をなでおろしています



三島事件の当日は仲人をやっていた日で和服の正装のままテレビに釘づけになりました。未解決三億円事件、浅間山荘事件、特に浅間山荘は軽井沢のうちの通り道の山の上でよく見えました。テレビの報道は生々しく昨日のように思い出されます


ゴルフを始めたのもアラフィフの頃、新聞広告でスクール生徒募集に思い切って参加(それまで家族や友人から勧められてましたがやる気はなかった)プロになるのか、などと冷やかされながら毎日猛練習。コースも3日にあげず出てましたね 。レディスの仲間と東南アジアから中国台湾ハワイアメリカ西海岸とゴルフに飛び回ってました。特に印象的なのは台湾のゴルフ場。海からの風が強く歩くのもやっと。百三十ヤードの池越えのショートホールにドライバー持ち出しました。懐かしい思い出です。


こうして書いてみても私には野心とか欲がなくただ家族の理解と(無理やり?)健康を良い事に自由に飛び回り遊びまわっていましたね


60代からが私の最も劇的な変化に富んだ人生が展開するようになるとはお釈迦様でもです。


人生わずか100年?夢幻の如くなり  です^_^