ん〜じゅうねん前の甲子園球場 | 我が麗しき君と摩天楼

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沢田研二さんへの想いを胸に秘め、ニューヨークに14年滞在後2013年帰国。
変わり果てた日本で逞しく生きる日々。

今年も気が付いたら高校野球が終わっていた。あら。

知っていたとしても見れるわきゃあないので、だから何だとも思うが。
それにしても我が県代表校、1回戦で終わってしまって残念です。

高校野球と言うのは当時16歳の私にとっては少し思い出深い出来事のひとつだった。

今からさかのぼること、ん~十年前私はブラスバンド部に所属しており、母校の甲子園出場の為あの甲子園球場に初めて連れて行かされました。

ついでに、関西地区へも、生まれて初めての第一歩である。
九州より都会~~。

それまで球場などという所とは全くの無縁だった。
ましてや人が大勢集まるようなホールなんて所にも行った事もなく、せいぜい映画館に年に数回行くくらいだった。
この頃全盛期だった沢田研二様のリサイタルにも全く無関心。
来てたんだな~私の街の文化会館にも。う~ん。

初めて見る野球場、甲子園球場はとてつもなく大きく、観客席が空を覆うほどそり上がり、自分が巨大なお椀の底に沈んでいるのではないかという錯覚を覚えている。

ほ~~これが球児が憧れる甲子園球場か。

当時私の母校の野球部は、県内では「日田林工」「津久見」「柳ケ浦」を良きライバルとし、甲子園出場は常連だった。

強かったのなんのって、プロ野球に行った選手もおりましたがね~。
長島さんがスカウトに来た時は町中ソワソワだったしね~。

その時スカウトされた岡崎郁選手がちょっと前までヤンキースでコーチ術を学び、現在ジャイアンツ一軍のコーチをしているじゃあありませんか!ほんと?
来てたんかい!NYに!

甲子園出場を夢見る球児達、青春の甘酸っぱい匂いと汗くっせ~匂いが混ざって、輝いて見えるもんですね~。

応援する方もそりゃあ大変でしたけどね。

甲子園近くの幼稚園を貸し切って、私らブラスバンド部と応援団、全員一緒に寝泊まりしました。
私達ブラスバンド部女子1年~3年は、確か「ひまわり組」のお部屋に雑魚寝でした。

布団ちいせー、枕低いー、お手洗いのドア低いー、スリッパちいせー、先輩こわー。
お風呂は近くの銭湯、試合当日の朝食は選手でもないのに「トンカツ(勝つ)定食」、先輩から呼ばれると、何気にこれってパシリか?と思えるようなことを言われたりして、めくるめく楽しい数日間でした。

九州からはフェリーの一番底の3等室で男女一緒くたに雑魚寝でしたね~~。

私がいた頃のブラスバンド部はこんな事でもなきゃあ、お呼びではないというくらい廃部寸前でしたから、そらもーぎゃんばって甲子園でも何処でも行くというノリでした。
野球部があんなに強くなかったら、存在すらしていなかったでしょう。

今も母校の応援をする時にブラスバンドが演奏する「サウスポー」と「ルパン三世のテーマ」、私らの時代からなんですよ~~!
私の先輩が選曲したんですよ!

今の高校生は「サウスポー」が誰の歌だったかなんて知っているのでしょうか?
トランペットだった私は「ルパン三世のテーマ」の高音がなかなかうまく出なくてね~苦労しました。

部員も20人に満たなかったもんで、全部のパートが埋まらなかったりして大変でした。
あ、そうそう、部員数が少なすぎて、甲子園応援の時はOBが数人旅費自腹で駆けつけてくれました。
その節はどーもー!お元気ですか~皆さん。

それが、ん~十年経った今、ブラスバンドの部員は3倍にも膨れ上がりまして、昔「来年は廃部だな」と毎年のように噂されていたことが嘘のように成長しておりました。
あの狭くて薄暗い部室には60人は入らんな~。
きっと奇麗な部室もらっているんだろうな~。
いいな~。

そんなもん考えるだけ無駄だ、と部員の間では封印されていた「吹奏楽コンクール」にも出場し、見事、県大会では「金賞」を取っちゃってくれちゃって、先輩は感激です!

それがどーしたもんか、現在母校の野球部が非常に怪しい。
ここ10年以上、もしかすると20年近く甲子園に行っていない。
今年は県大会さえ参加していなかった。
どーした?
大分県民の方、どーなってますの?
岡崎郁選手を生み出した、ん~十年前甲子園常連校は如何な事になっているのでしょうか?

と言う感じで、甲子園と言えばブラスバンド部だった花の高校時代をつい思い出してしまうのですが。

お!まだその当時使っていたトランペットのマウスピース、持ってたかも。
日本の実家に。
大好きだった先輩に貰ったんだったなぁ~。第二ボタンと一緒に。