石炭をいかした人々・・・四回目 | 隠居の暇つぶし

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そして、松下村塾関係の人物紹介です。



盛衰を握る権力者・・・頭取「敬称略」
宇部興産発祥の沖の山炭鉱が、創業時の苦難の数年を経
て、初めて配当をした翌年、明治三十六年六月、渡辺祐
策は船木税務署長の内田新八郎から一通の手紙を受け取
った。

所得税調査の必要上、炭鉱の資本金額、組合員の氏名と
出資額など知らせてほしい、という問い合わせで、

それに対する祐策の回答はーー

「前略、さかのぼって創業の当時をかんがみるに、拙者
の信用あるものに対し、別に約束を結び、鉱業費を助け
しむる、即ち、組合員なるものあるが如しといえども拙
者の信用に関係し、したがって本炭鉱の盛衰に及ぶ・」

から明らかにできない・・・

季節掘り、一散掘り採炭時代のその昔、石炭は収穫の終
わった田をひっくり返し、秋から春にかけて農民の小グ
ループの手で行われた。

お金を出し合い簡単な南蛮「なんばん」をすえつけ、ま
るで稲刈り作業を共同で行うような調子で・・・。

だが、海底採炭、戦争による活況を経て、企業規模が拡
大すると、投資をしようとする人がふえる。

そして確立されたのが、宇部式匿名組合という、宇部独
特の企業形態。

頭取は父親のような絶対権力を持ち、成功するかどうか
は、頭取の腕次第。

明治二、三十年頃形づくられ、中小鉱では昭和三十年代
初頭まで続いた。

役所の問い合わせに対する、一見素気ない回答は、内部
的には頭取の信頼で成り立ち、対外的には、頭取個人の
企業である、という匿名組合の性格をよく語っていた。

組合員「出資者兼職員や蔭歩「かげぶ、職員でない出資
者」は、渡辺祐策を信頼し企業の盛衰をゆだねる。

祐策は、信頼にこたえ、身を粉にして働く。

出資金を着服したり、悪いことをすれば宇部の社会に出
られなくなる。

「戦後、二十二年から宇部市小串で、藤山炭鉱の頭取を
した伊藤幸隆の話」という規制が働いた。


例えば、その生活は。

「食事は事務所で会社から出たが、晩に昇坑すると、お
酒が出た。

炭が余計に出ると、その日はお銚子が一本多かった。

藤本閑作「東見初炭鉱創始者」頭取も、国吉信義「宇部
曹達社長などを経て・市長」副頭取も、皆同じ釜の飯で
この点、幹部と職員の間に、和気あいあいたるものがあ
った」

大正四年当時の東見初炭鉱職員、若松寿之介「宇部興産
六十年の歩み」への投稿。

日給は全員いっしょ。

祐策の場合は創業当時、一日十五銭。

毎日四時に床を離れ、朝食前必ず一回提灯をつけ、現場
を一周するを常とした。「素行渡辺祐策翁」

戦後、この組合を学問的に研究した、金沢大法文学部の
和座一清「商法」の分析による組合の利点は・・

組合株発行の方法によって、多数の人から巨額の資本を
集中するのに適し、株式会社のように、設立、増資、減
資、解散などについて、何らの法的規制を受けず、投機
性の強い鉱山業にピッタリの方法。

一人に権限を集中、万一の場合の緊急避難とした。

宇部の社会に出られない、と言う伊藤の言葉は、共同議
会がつくりあげた、強固な地域主義に裏打ちされ、組合
員、蔭歩の資格は、宇部人に厳しく限定された。


組合が破綻し、蔭歩らに損失の分担を求めた例は、大正
年間に鵜島炭鉱の一例だけ。

地域社会の助け合いが原点で、勤労農民の庶民的平等性
が強く支配した。「和座一清」

システムではあったが、明治中葉からの近代化創草期に
資金調達の容易さと機動性、その結果得られる利潤の村
への還元、蓄積をもたらし、地元資金による化学工業へ
の原動力だった。

次回につづく