寅次郎の生涯「講演」・・・百二十一回目 | 隠居の暇つぶし

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松下村塾の教育「講演」

殉難と復活・・・一回目
安政六年五月十四日の午後、兄の梅太郎は野山獄

に来て、松陰先生が江戸に送られることになった

旨を伝えました。

松陰先生は、このたびは、もう再び郷里へ帰って

くることはあるまいと覚悟して、

 

父母や妹達、親戚、知友、門下生達に告別し、ま

た、志すところを書きつけた、文章や詩や歌を残

されました。

父にあてた別れの詩の中に「斯行独識慰厳君」こ

の行独り識る厳君を慰むるをという言葉がある。

今から私は国事犯人として、江戸幕府の調べを受

けるために江戸へ行くことになりましたが、この

ことを、厳君すなわち私の父は喜んでくれると信

じている、と。

これは、すごい言葉です。

親が、喜んでくれていると信ずる、といって江戸

へ行かれるのであります。

また、門人たちに残した言葉がある。

「至誠而不動者未之有也吾学問廿年齢亦而立然未

能解斯一語今茲関左之行願以身験之・・・」

至誠にして、動かざるもの未だこれあらざるなり

という言葉が孟子にある。

私は学問をすること二十年、年もまた而立「三十

才」であるが、しかし今だこの一語を真に了解し

ているとはいえない。

誠があれば人間は動くものだということが、まだ

本当にわからないというのです。

つまり、自分の誠で、人を動かした経験がない。

「今ここに関左の行」今、私は関東に行く。

「願わくば身を以てこれを験さん」幕府の役人が

取り調べるであろうが、その時こそ、自分が平素

研究し考えていたことを一々よく話し、

幕府の、政策のあやまりを論じて、政策を変える

ように意見を申し述べよう、話せば幕府の役人だ

ってわかるに違いない。

そうして、幕府の外交政策なり、国内政策を改め

させれば死んでも本望だと。

つまり、命をかけて私の誠で幕府を説こう、そし

て幕府が政策を、変えるか変えないか身をもって

これをためしてみたい、

 

「身を以てこれを験さん」と。

これもまた、実にすごい言葉であります。

こうして松陰先生は、自信と決意を秘めて、江戸

へ行かれるのであります。

次回につづく