うーん、なんだかなあ。

すべて終わって改めて思うのはシリーズ構成の福井晴敏氏に翻弄されたなという事。

もちろんいい意味でも悪い意味でも。

監督の羽原信義氏は良くも悪くも画面構成に重きを置く監督であり、全体の物語構成に関しては福井氏主導で動いたのは想像に難くない。

それゆえなのか比較的初期の段階から観念的な方向性に物語は誘導され、原作では黙して語らない印象であった大帝ズォーダーが愛についての観念を全編に渡ってぶつぶつ述べ立てるという特異な作品になった。

このヤマトのリメイクシリーズ、2199においては「イスカンダル編は古代進が主人公なのではなく、実は沖田十三の物語であった」事の確認作業であったし、2202はガトランティスに意味合いを持たせすぎたことで「人間になりきれない人工生命体でありながら人間の業を背負ってしまったズォーダーの物語」になってしまい、最後の最後で必死に古代に主人公の座を戻す強引な筋立てでなんとかしたものの、結論では「ガトランティス物語」になってしまったというように、主人公古代進の立場はどうなる?なシリーズと言ってもいい様相を呈してきた。

 

まあね、70年代では「宇宙の愛」の大義のために自己犠牲をいとわない主人公の物語が現代日本を生きる人間に説得力を持つかというと決してそんなことはなく、何かしらの説得力は必要だったという事はわかる。

2199では無責任に「蛮族」として扱えたガトランティスに敵としての意味合いと「イスカンダルとの約束」を反故にする理由付けを与えるための方策と考えればやむを得ないのかもしれない。

でもまあ、窮屈だったよなあ。

この先も福井ヤマトが続くのは正直しんどいかもしれない。

 

ていうかさ、微ネタバレだけど徳川さんとか加藤とかないがしろじゃない?

そこは納得できんぞ。

ディレクターズカットとかあるなら修正してほしいなあ。