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大相撲横綱伝『三重ノ海剛司』

第五十七代横綱・三重ノ海剛司

三重県松阪市出身

本名、石山五郎

出羽海部屋

母子家庭に育ち、貧乏に決別するために力士を志したというハングリーな力士です。
幕内に定着してからも、肝炎と怪我に悩まされる苦労の連続でした。
相撲は上手く、特に前さばきが絶妙で、低い姿勢からの速い寄りには定評がありました。
時には激しい張り手で相手を圧倒したり、立ち合いからの猫騙しや蹴手繰りなどの小技も使い、派手さはありませんが、内に秘めた闘志を感じさせる相撲でした。
大関に上がっても関脇に転落したり、万年張出しに甘んじたりで、「大関の窓際族」とまでいわれました。
しかし、黙々と稽古を重ね、31歳でついに横綱にまで昇進しました。

三重ノ海の新入幕は古く、横綱柏戸引退のあくる場所の昭和44年9月場所でした。
前頭11枚目で8勝7敗と勝ち越して、次の11月場所も5枚目で8勝7敗と勝ち越しました。
翌45年1月場所は、初めての上位挑戦の場所で、残念ながら役力士すべてに負けて、4勝止まりでした。
3月場所は、9枚目まで落ちて8勝7敗、5月場所は好調で11勝を上げ、翌7月場所に新小結に昇進しました。
ここで、三重ノ海は上手い相撲を見せ、当時全盛期だった玉の海、北の富士と、大横綱大鵬の三横綱を総ナメにします。
ちなみに、この全盛期の「北玉」に勝つのは容易なことではなく、それも同じ場所に倒したというのは三重ノ海ただ一人です。
この場所は8勝7敗で殊勲賞となります。

次へ続きます。