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大相撲横綱伝『常ノ花寛市』

第三十一代横綱・常ノ花寛市

岡山県岡山市出身

本名・山野辺寛市

出羽海部屋


常ノ花寛市は、明治29年、岡山県岡山市に生まれました。
13歳の時、大錦卯一郎より一日遅れで出羽海部屋に入門します。
初土俵は43年の1月場所で、大正6年5月に入幕すると、8年1月には小結を飛び越えて関脇、9年5月には大関と、師匠の出羽海に可愛がられてとんとん拍子に出世しました。
大正13年1月には31代横綱に推挙されました。
常ノ花は身長こそ178㌢ありましたが、体重は入幕当時で78㌔、もっとも重かったときでも115㌔しかありませんでした。
しかし、出羽海部屋に入門し、大錦、栃木山といった技能派のよき兄弟子に巡り会ったのが彼には幸いしました。
変わり身の早いスピード相撲を身につけ、やぐら投げや上手投げといった技は多彩で鮮やかな取り口を見せました。
特にその土俵入りは、同じ出羽海部屋の男前力士、太刀持ち武蔵山、露払い天龍を揃えて、「目もくらむほどのきらびやかさ」と評されるほどの華麗な横綱でありました。
相手横綱の三代西ノ海は問題にせず、もう一人の宮城山には、優勝を争う相撲で、一度敗れましたが、勝敗では大きく上まっています。
10回の優勝を飾った常ノ花は、昭和5年5月場所で3敗目を喫すると、後の土俵を宮城山に任せ、兄弟子の栃木山を見習って潔く引退しました。
しかし、後に残された宮城山の苦闘は、計り知れないものでした。
現役時代は順調そのものであった常ノ花ですが、年寄となってからは波乱の連続となりました。
年寄藤島を襲名した直後、相撲界を揺るがす春秋園事件が起き、その収拾のため東奔西走の働きをし、どん底にあった相撲界を復活させます。

次へ続きます。