渡部のたよりシリーズ-ピクチャ02140002.JPG
渡部のたよりシリーズ-ピクチャ02170002.JPG
渡部のたよりシリーズ-ピクチャ02310001.JPG
渡部のたよりシリーズ-ピクチャ02320001.JPG
渡部のたよりシリーズ-ピクチャ0233.JPG
渡部のたよりシリーズ-ピクチャ0235.JPG


大相撲横綱伝『谷風梶之助』

四代横綱・谷風梶之助

宮城県仙台市出身

寛延3年8月8日生

本名・金子与四郎

伊勢ノ海部屋

谷風は小野川とともに、吉田司家から正式に横綱免許を受けた初めての横綱です。
それゆえ、谷風を初代横綱とすべきとの声もあります。
江戸の強豪大関として活躍し、寛政の第一次相撲黄金時代を築いた功績は大きく、幕内成績は258勝14敗36分預。
勝率九割四分九厘は横綱としては、初代梅ヶ谷に次ぐ歴代2位であります。
63連勝という記録も双葉山に破られるまで不滅の大記録といわれました。
その連勝は小野川に止められましたが、その後また43連勝しているので、もし勝っていれば107連勝でした。
谷風は現役中に流感で亡くなりました。
人々はこの流感のことを「御猪狩風」とよんで恐れたといいます。
谷風は、力量だけでなく、人間的にも立派な品行方正で、横綱の中の横綱でした。
こんな逸話も残ります。
興行で、病身の母親を持つ力士に、現在、問題になっている八百長相撲で負けてやり、懸賞金をその力士に与えましたが、当時の人々は、拍手万雷で讃えたといいます。

寛政3年、徳川家斉の上覧相撲で、結びの一番前に雷電が負けるという波乱の後、東西の両大関(横綱)の対戦となりました。
念入りの仕切りから、気合いの入った両者、立ち合い、行司の軍配が反りました。
谷風が気合い諸共立ち上がると、小野川は立ち遅れて『待った』。
すかさず行司の吉田追風は、谷風に軍配を上げました。
相撲通の家斉公が訝しげに問うと、追風は、上覧相撲で待ったなどなく、小野川の気負けとして谷風の勝ちとしました。
その時に、家斉公から授かった弓で弓取り式を谷風が行ったのが、現在の弓取り式の始まりです。