扉絵
扉絵は、今回の主役であるアイリーン。
アイリーンが扉絵なんて珍しいなと思いましたけど、話を読むと納得です。
今回はまごう事なき母親としてのアイリーンの回だった。
扉絵は、エルザを出産して当時は娘への愛情を感じていたシーン。
複雑な境遇から娘への愛情を見失ったアイリーンでしたが、確かにこの時この瞬間はエルザを愛していた。
アイリーンを母たらしめる瞬間でした。
セレーネを死なせる訳にはいかない
セレーネさん、ウェンディの中に入り込んでいた謎の魔力を取り除こうとしてくれていたんですねー。
その正体はアイリーンの残留思念で悪しきものではなかったですが、内部事情まで知らないセレーネはウェンディの中に何か良からぬものが入り込んでいると考えるか。
アイリーンは強大な魔力を持っているからウェンディには不釣り合いだと思っていたようです。
その読みは間違っていないし、そこまで見据えて行動しようとしていたセレーネが格高い。
アイリーンの残留思念とウェンディは共存できていたので退治する必要性は全くなかったわけですが、それでもわざわざ「セレーネはウェンディの中にいる巨大な魔力を取り除こうとしていた」と描写されたのがセレーネの評価上がって良かったなー。
ギルティナの五神竜というと、アクノロギアと同格とまで扱われる存在。
であるなら、確かにスプリガン12を超越するような視点も持っていてほしかった。
本来見えないはずのアイリーンが姿を現しただけでなく、セレーネ側もアイリーンの存在に気付いていたと分かったのが良い扱いでした。
セレーネが人間のウェンディを心配していた事で改めて「おまえのような竜はこの先も必要になる 死なせる訳にはいかん」と感じたアイリーン。
イグニアの攻撃で死期が迫ってるセレーネですが、アイリーンはそれをよしとしていませんでした。
前回から続いて一貫して死を受け入れているようなセレーネですけど、アイリーンは「いいや『人間』として生きる未来を語っていた時 おまえの顔は希望に満ち溢れていた」と核心を突く。
確かに前回人の愚かさと尊さに「ドラゴンと同じではないか」と感じていたセレーネは、全て諦めて「死」を受け入れているようには見えなかったですね。
元々人間として生きたいが為にこれまで戦ってきて、その目的はそう簡単に諦められるものではなかった。
願うなら「人間」として生きたかった。
核心突かれたセレーネは「動揺」の表情を浮かべていて良かったです。
セレーネは根底では「生」を望んでいるのだと分かった。
二人の願い
本当は生きたいと考えているセレーネに気付いたアイリーンは「おまえの『門』の力と私の『付加』があればおまえと私両方の願いが叶う」と提案します。
これがアイリーンとセレーネが交わった理由でした。
まずは、セレーネの死の回避。
「ドラゴンがドラゴンに付けた傷は治らない」なら、付加術で傷を違う人物に与える。
アイリーンは自分を通してウェンディに付加しました。
そうすると次はウェンディが死ぬのか?という話になりますけど、アイリーンは「すまないねウェンディ 少し我慢してちょうだい」と言っていたあたり、我慢する時間は「少し」なので、致命傷がそのままウェンディにいくわけではなさそうです。
ウェンディは「うぅ うぅ…」と唸っていて、痛みを感じているのは間違いないんだけど、完全に傷を受け継いだというより「痛覚」だけなんじゃないだろうか。
紆余曲折経て人間とドラゴンの共存を望めるようになった今のアイリーンがそう簡単にウェンディの命を奪うような事をすると思えない。
傷自体は自分に付加し、その過程でウェンディは痛みを感じたという状態じゃないかと思います。
これでセレーネの死は回避。次はアイリーンの願いですが、それというのが「私は今一時的にウェンディと分離してる…そのスキに私という存在を"門"で別世界に…」です。
「そんな事をしたらそなたは死…」とセレーネが言いかけたところで「!!」と気付きます。
アイリーンの願いは「死ぬ」事だった。
自分は元々死んでいる存在であった事、ウェンディの体に憑依する事で今一度エルザを見て「自分が奪おうとしていたものの大きさ」「自分の罪の大きさ」に気付いた事。
それが理由で本当の意味でアイリーンは死のうとしていたのでした。
今回の話は、事前に真島先生がTwitterのスペース機能で「作者が推す回」として予告されていました。
気合いが入った話であるのは間違いないけど、まさかアイリーンが死ぬとは…。
FAIRYTAILって良くも悪くもご都合主義で進む事があるので、てっきりアイリーンもこの状態のままずっと残るのかと。
それをしっかり物語に誠実に向き合って、在るべきかたちに戻ろうとしているのが意外でした。
本編の延長線上にある続編でもあるし、ここまで真正面から向き合った話がくるとは思わなかった。
母である証明
セレーネはその姿を見て「死して罪を償う…か」と感じていましたけど、アイリーンとしては「少し違う」ようです。
「母である証明をする為に…あの時の死をなかった事にはできないのよ」。
「母である証明」とは、エルザとの戦いの末、娘を想うが故に自害した事でしょう。
本編の最終戦争、アイリーンは自分が娘を愛していた事を思い出し、娘を手放した時と同じように決心が鈍らぬ内に自分の狂気から娘を守ったのではないかと思います。
一瞬の愛情を忘れぬように、自らを殺した。
この選択は、アイリーンが母故でした。
悲しい境遇を抱えていると言えど、結果的に狂ってしまったアイリーンはどうしようもない人だったけど、最後の最後で自分を取り戻した。
狂気の狭間に取り残された理性は、彼女の母親としての最後の善性でした。
この選択こそアイリーンにとって「母である証明」だったのだと思います。
自分でも自分の事をどうかしてると思っていたけど、僅かでも娘を愛する気持ちはあり、その時だけは自分を母にしてくれた。
アイリーンがもし霊体のまま現世に残り続けていたら、あの時の選択の意味を無くしてしまったんじゃないでしょうか。
こんなかたちで意識を残し、これからも娘の成長を見守り続けてしまうとしたら、それは死んだ意味がなかった。
あの時、全てが終わる覚悟をしてまでも娘を守った事に意味があった。
確かに愛する娘だからこそこれからも成長を見守りたいという気持ちも愛ですが、ことアイリーンにおいてはあの時自分を殺す事に大きな意味がありました。
母親らしい事ができなかった自分の唯一の母である証明。
「あの時の死をなかった事にはできないのよ」というアイリーンの言葉が深かったです。
基本的に「生きている」事が何より尊重されるべきだし、他の誰もアイリーンが霊体として現世にい続ける事を否定しなかったと思う。
これは真島先生の判断で動く物語にも言える事で、アイリーンを簡単に許容しこれからも舞台に立たせ続ける事はできた。
それなのにそうしなかったのは、真島先生が登場人物に真摯に向き合った証拠で、アイリーンが己の宿命を全て背負ったからでした。
本当にアイリーンがここでフェードアウトすると思ってなかったし、何なら100年クエスト最終話でいてもおかしくないと思ってたから、それだけにこの展開、めちゃくちゃ良かった。
厳しい荊の道でも向き合って進んでいく物語は好きです。
アイリーンの最期
アイリーンの意を汲み取り、正しく取り計らってくれたセレーネ。
門を開く事で霊体のアイリーンは別世界へと飛んでいきます。
「これでやっと終われる…私は消えていく」という言葉が切ないな…。
「終われる」という表現をするのは、アイリーンにとってこの人生が終わる事は「解放される」「楽になれる」という意味があるからで、それってアイリーンの人生が悲劇に満ちた望まぬものだったからです。
夫には悪しき竜扱いされ、もう人間の人生は送る事ができなくなり、愛する娘すら手にかけて殺そうとした。
自分が自分じゃない何かに変わっていくようなそんな嫌悪感がアイリーンの中にはずっとあったと思います。
だから、この人生が終わるのは「やっと楽になれる」って想いがあったんだなぁ…。
本編読んでこの人も悲しい人だと分かってるけど、基本的には敵として見据えていました。
究極のところでは倒すべき悪で同情の余地はないと。
でも100年クエストのアイリーンは改心した状態から出てきて、少しずつ己の過去と向き合い、自分の人生の見方を変える事ができ、ついに解放されるに至りました。
色んな想いがあったけど、やはりアイリーンにとっては自分の人生は呪われていて「救い」は無かったんだろうなぁ…と思い知らされた。
「本来は愛しているはずの娘をこの手で殺そうとした」という1番大事なアイデンティティでさえ自分で否定してしまったのがアイリーンを追い込んでしまったと思う。
悲しいですが、アイリーンにとって最期だけは望む未来を選べたと好意的に受け取るべきなのかな。
微かですが、最後は「エルザ…強く生きてね…」とメッセージを残します。
「強く生きて」…素敵な言葉。
FAIRYTAILにとって「生きる」って大きなテーマですし、エルザにとっては大切な人であるジェラールも「エルザの為に生きる未来」を選んだばっかりですね。
「強く生きてね…」と思えるのは強くは生きられなかったアイリーンだからこそ出た言葉だし、同時にこれからのエルザにとっても凄く大切な言葉になると思う。
新たな生へ
別世界に生き、成仏したアイリーンですが、別世界といっても魔力があるところでは意味がないという話もありました。
何故かというと、魔力が高すぎるせいで消えずに残ったアイリーンが勝手に誰かに取り憑いてしまい罪のない人を殺してしまう恐れがあるからです。
魔力が高いとどこへ行っても誰かを呪ってしまう恐れがあるの怖いですね〜。
満足に自分の意思で成仏すらできないのか。
そこでセレーネが飛ばしたのは、アイリーンの付加が使えない、魔力のない世界。
それは、エドラス───────。
まさかの月神竜編の開幕として訪れたエドラスが再登場するとは。
完全にエレンティア編までの繋ぎの回の意味しか感じていなかった。
しかし、事前に現在のエドラスを描いていた事で違和感がない。
月神竜編はエドラスで始まりエドラスで終わる、対比構造の物語になってると思える。
そのエドラス、扉を開きミストガンが出てきた先では、エドエルザが自分の娘・アイリーンを出産…!!
アースランドから別世界に移動する事で成仏したアイリーンはエドラスでエドエルザの娘として輪廻転生した。
名前は単なる偶然ではなく、アイリーンがアイリーンとして新たな生を受けたのでしょう。
最初こそアイリーンの死の受け入れ方に寂しいものを感じましたが、まさかその先で新たな生を手に入れるとは…!
しかもそれは赤ん坊として生まれ完全に新しい人間になった事で、アイリーンだけどアイリーンじゃない。
これまでの呪われた人生から完全に脱して新しい人生を歩めるんです。
これほどまでに祝福できる事があるでしょうか。
作中では敵だったと言えど、どうしようもなく悲しい過去があるのも知っていた。
それでも敵としてしてきた所業は簡単に許す事はできなかった。
だけど反省し罪を認め死んでいき、そこから完全に新たな人間に生まれ変わったなら話は違う。
生前の命が尽きる間際に十分過ぎる程母としての答えは見せてくれたので、これからは新しい人生で幸せに生きてほしいと願うばかりです。
アイリーンのフェードアウトは寂しかったけど、これ以上ないくらい大きな救済措置だった。