EDENSZERO第68話『ヴァルキリー』
瀬和ヒロ💭HERO'S@umki23340EDENSZERO第68話『ヴァルキリー』感想 ー アメブロを更新しました#EDENSZEROhttps://t.co/Jq50PflrNZ
2019年11月10日 00:21
惑星サン・ジュエル編、終わりましたねー…。
うん。多分、68話で一区切りついて69話『レベッカの見た夢は…』からは、新章に入ると思う。
サン・ジュエル編としての、明確な区切りは68話でついたと思う。
サン・ジュエル編は、色んな意味で特別なエピソードになったかなぁ…。
初の主要キャラのバックボーンに大きく迫ったエピソード(シキレベはまだ更に深いものがあるであろうし)であり、やんわりではあるけど初めて「魔王」という言葉の持つ意味が分かったエピソード。
多分、今回を転機に魔王ジギーが「かつて桜宇宙を支配していた」意味が明かされていくのかな。
そして、今までで一番面白い章になったと強く思ってる。
ヴァルキリーが既に亡くなっていた事が発覚した第58話『沈黙の再会』は特に面白さの瞬間風速が凄まじかった。
ひたすらに衝撃的だったし、全然予想していなかった意外な展開ではあったのにポールさんの発言や50話ラストのヴァルキリーの姿が伏線としてちゃんと機能していて何度も読み返した。
その後、ミルディアンバトルコロシアムのようなイージーゲームではない状況下で言ったら、初のエデンズゼロメンバー一人一人がネームドの敵キャラと対峙したエピソードとなって、王道バトル漫画として熱かった。
ワイズの新たな武器に、レベッカのエーテルギア覚醒に、ホムラのバトルは初戦で開示された情報が伏線となって回収されてる面白さがあったし、シキはグラビディインパクトの凄まじい破壊力と垣間見えた魔王としての片鱗…。
規模なんかはFAIRYTAILや今後のEDENSZEROと比べるとまだまだ小さい状況での戦闘だっただろうけど(パワーレベルや勢力の大きさという意味で)、だからこそなのかな。話の濃さに見合った力の強さを感じました。
多分、作品が長期連載になるに連れて、「EDENSZEROはサン・ジュエル編が一番面白かった」って言う懐古厨大量に出てくると思う…w
さて。前置きを思った以上に長く書いてしまったけど。
今回書こうと思ったのは「ホムラ・コウゲツ」のこれまで。
惑星サン・ジュエル編終了を機に、今回バックボーンに迫ったホムラ・コウゲツという人物のパーソナリティをまとめたい…って書くと大袈裟なんだけど。
自分なりのホムラ・コウゲツの解釈をまとめてみたいかな。
と言っても、今まで感想記事で書いた事のまとめになりそうだけど。
①ヴァルキリーと出会う以前
まず、出自。
ホムラの最も幼い頃が描かれているのが、第47話『言葉は強さを与える』で回想されたヴァルキリーとの出会い。
当時戦争中だった惑星オオエドで絡まれていたゴロツキから助けてくれたのがヴァルキリーであった。
その時のホムラはというと、今のような「思った事がつい口に出てしまう」姿とは真逆なんですよね。
当時の幼いホムラは、見たところ「言葉を発しようとしても口から出ない」ように見えた。
これ、今考えると…なんですが。もしかしたら当時の幼いホムラは何かしら言語障害を抱えていたんじゃないかなー…なんて。
ゴロツキに囲まれた時も涙を瞳に浮かべつつ「……」、ヴァルキリーに斬られた事で突然倒れたゴロツキを見ても「……」、ヴァルキリーからの質問にも全部首を振るか頷くかで返事をし、最後に過ぎ去ってしまうヴァルキリーに声をかけようとした時は「あ…あ…あ…あの…」と単語を発するまでに時間がかかっていた。
当時読んだ時も言語障害の可能性は考えはしたんですが、「今考えると」と思ったのは母・クレナイとの因果関係。
母親が自分の前から姿を消してしまった悲しみから心に強い傷を負って…というよりは、ホムラのこの言語障害と推測する病気は元から抱えていたんじゃないかと思う。
ただ、そんな出来損ないはクレナイには存在意義を見出せなかった…。
クレナイってあんなクズですが、仮にも自分が望んで結婚し娘を産み、その娘にぬいぐるみを与えるくらいはしていたから「家族を持つ事」は自分の理想の姿の一つだったんじゃないかと思うんですよね。
60話でクレナイのパーソナリティが象徴されている(と思ってる)台詞があります。
「涙は弱者の穢れ」「勝者は常に笑い続ける」。
クレナイにとって「家族を持つ事」は、「人生の勝者」として理想とする要素の一つだったんじゃないだろうか。
ただ、クレナイにとってはそんな理想は持っていても家族に愛情は抱いていなかったんだと思う。
だから((おそらく))夫も離れていき、言語障害を持っているような娘はいらなかった。
クレナイにとって、家族なんてその程度の存在だった。
②ヴァルキリーと過ごした日々
ヴァルキリーと出会い、ソウルブレイドの修行を受けていた時点では明確に「10年前」という表記がありますね。
扉絵の時系列は53話あたりでしょうね。
第57話『機械の母』で過去が描かれた時点では、ホムラは問題なく話せるようになっている。
患っていた言語障害は、ヴァルキリーと過ごす日々の中で回復するに至ったのかな。
「心の病気」でもあったから、あんな紛争地域じゃなくしっかり町の中で健康的な生活をしたら治ったんじゃないかな。
治ったどころか、今度は「何でもかんでも思った事」を言ってしまう今のスタンスに近い状態になっていますw
個人的に、ミルディアン編の47話を読んだ時からずっとホムラがヴァルキリーに弟子入りを志願した瞬間が描かれなかったから、今後感動シーンで回想するんじゃないかなーと思っていたんです。
ただ、こうやって読み返してみると、そのシーンはそこまで重要なものではなかったかもしれないと思えた。
何故なら、ホムラがヴァルキリーを何より象徴したものは「母」だったから。
67話のラスト、ホムラがヴァルキリーを何と言ったかというと「あなたは私の師であり友であり…母だった」と。
ホムラにとっては「師」でも「友」でもあるけど、何より「母」だったんだと思う。
ヴァルキリーが「母」たる証明は、ホムラの言語障害が完治している様子から分かる。
師弟関係と違って、家族関係は「なってください」「よし、なろう」と言ってなるものじゃないから。
大事なのは、「キッカケ」じゃなく「過程」だったんだと今は思う。
③本編でシキ達と出会った当初
本編に初めて登場したのは、惑星ギルスト編。
ホムラの第一印象としては、今とは比べものにならない程、ミステリアスな雰囲気があったな。
「エデンズゼロ…」と呟く謎の美少女。第18話『風の鳴くハイウェイ』を読んだ時点じゃ仲間になるとも思ってなかったし。あの時点じゃギルスト編のゲストヒロイン的なポジションかとw
この頃のホムラって「思った事がつい口に出てしまう性分」を自称していても、その表情からは全然「思った事」が伝わってこなかったんですよね。
「敵ではないゆえ」だとか「代わりに捕らわれた仲間の救出を手伝おう」だとか本当にそう思って言ってるのか?何か裏があるんじゃないか?という不信感が拭えなかった。
表情は基本的に強張っていて、挙げ句の果てには「本物のシスターのビジュアルを知っていたのにシキには言わなかった」事が一番の不信感に繋がっていた。
当時は良い解釈を見出せていなくて、一人で自分だけ魔王四煌星の前に辿り着いた構図がただただ不可解だったんですよね。
「そろそろ本当の目的教えてくれねーかなァ」「いいや…アンタは何か隠してる」と思ったワイズの気持ちもよく分かるw
今思えば、シスター・イヴリィを前にして「間違いない」と確信を持てたのは、額にある「E2」という数字が見つかったからかな?
ヴァルキリーの胸の部分にも魔王四煌星たる証明である「E1」という数字が書かれたバッジを付けていたから。
幼少期ずっとヴァルキリーと過ごしていたホムラだから、あの瞬間こちらが本物のシスターだと確信を持って気づけたのかもしれない。
④ホムラにとってシキ達はどんな存在になったのか
そんな掴み所のない、イマイチ信用しきれなさを感じていたから、デジタリス編での裏切りには緊迫したものです。
きっと他でもないホムラの裏切りだったから、読者としてはガチである可能性を少なからず考えれた気がする。
まぁ、偽物だろうと分かったけどね!!(
というも、あの時点でのホムラでもよく見ていたらちょいちょい表情に「思った事」が出ている瞬間があった。
まず、第28話『新たな仲間たち』。
ギルスト編とデジタリス編の中間みたいな位置の話ですが、この回はサブタイトルの如く、ワイズ、ホムラ、イヴリィ、モスコと続々「仲間」が増えた回。
そのメインとして強調して描かれたのが、ホムラだった。
強張っていて変化が薄かった当時のホムラの表情が一気に崩れたのは、シキの口から出た「友達」という言葉であった。
「友達とはケンカしたくないんだけどな」と唐突に「友達」扱いをされたホムラは「と…友達?」と一気に表情がギャグ調になったというか猫のようというかいきなり顔のパーツがゆるーくなった。
その後も、キリッとした表情をしながら流暢な口振りで話をしていたそれまでと違って「う…うむ…手合わせはケンカではなく"試合"だ」「と…友達だからこそとも言える」と動揺が見られた。
こんなにシキの「友達」認定に動揺してしまったのは、ホムラにとってシキ達がヴァルキリー以来初めてできた「友達」という存在だったんじゃないかと思うんです。
実際、ヴァルキリーに偏見の目を向ける惑星オオエドの周りの人間と「友達」になりたいなんてホムラは思わなかっただろうし。
「友達」認定をしてもらったホムラの方も「私もこの船に乗せてくれないだろうか」と応えるんだけど、その時の「かたじけない」と返事した時のホムラ、凄く良い顔しているんですよね。
嬉しそうで、ずっと肩にのしかかっていた重いものが取れたかのような、楽な表情をしている。
それまでの堅苦しい表情がずっと続いていた事もあって、あの時のホムラの表情はトップクラスで印象に残ってる好きな顔だなぁ。
あれをキッカケに29話のレベッカ&ハッピーと浸かっていたエデンの湯であったり、ウィッチの理性崩壊拷問&快楽マッサージを受けたりして色んな表情を見せてくれるようになった気がする。
⑤惑星サン・ジュエル編
そして、ホムラにとって人生で最もと言って良い程の転機が訪れる。
第58話『沈黙の再会』で、最も望まぬかたちで会いたかったヴァルキリーとの再会を果たす。
間接的には自分のせいで、クレナイによってヴァルキリーが殺されてしまった事実と直面する事になる。
これを、乗り越え前に進めるようになるには時間がかかりましたね…。
実際に物語の中で過ぎた時間は一日も経っていないだろうけど、話数としては再び前を向けるまで7話もかかっていた。
サン・ジュエル編はホムラにとって天国も地獄も見て、それを乗り越えた激動のエピソードだったと思う。
ホムラの口から出た「私はもう…立ち上がれないかもしれん…」そして「いや…もう二度と…私は…」という弱音からは、そりゃメタ的に考えたらこのタイミングでエデンズゼロを降りるなんて事はないと予想できるけど、それでも本当に降りてしまうんじゃないかと思える程の悲痛さを感じた。
そんな状況に陥っていたホムラが前を向き乗り越えるに至った数々の「言葉」。
まず、第59話『きっと前に進める』よりシキの言葉。
個人的に一番意味を感じたのがやっぱりシキの「友達」という言葉。
「オレのじいちゃんが死んじゃった時もオレはすげー落ち込んだんだ」「でも…マイケルや町のみんなが…友達がいたから立ち上がれた」「ホムラにも友達がいるだろ?」。
ここ、シキは「オレ達がついてる!!」というような直接的なニュアンスは避けている。
ハーミットがトラウマから立ち直った時もそんな様子だったように思うんだけど、やっぱりシキにおける「友達」の持つ意味はジギーが言っていた「どんな時でも支える」存在なんじゃないかと思う。
直接的なニュアンスはしていないも「ホムラにも友達がいるだろ?」という言葉を予感するかのように、その直前のコマで描かれたホムラは下唇を噛んでいるというか、目元は髪の毛で隠れて見えないも、涙腺が緩まったんじゃないだろうか。
この表情がシキが「友達」という言葉を使う直前に描かれたのは、ホムラ自身も心底シキを「友達」だと認識しているからかな…と思う。ああ言うまでもなくシキが「友達」として自分を支えてくれているのが分かった。
そして、もう一つホムラを支えた言葉はレベッカの「伝えたい事は…伝えられた?」。
レベッカが「伝えたい事」と言うニュアンスで示したものとは、直前で回想していたホムラがミルディアン編で言っていた「師匠に会って伝えなきゃいけない言葉」。
レベッカの「きっと伝わると思うよ」「その想いは必ず届くよ」と言う言葉は優しかった…。
⑥ギャレット戦=前に進む為のホムラの立ち上がり
7話もかけてヴァルキリーの前で立ちあ上がれずにいたホムラは、第65話『剣士は動けない』でギャレット戦をキッカケに立ち上がる。
あの時、ホムラはギャレットにくらっていた遅効性の毒によって「体に力が入らない」でいたんだけど、あれはまるでホムラの精神状態を象徴しているかのようだった。
「いつまでもこうしてる訳にはいかぬゆえ…」「立ち上がらなくては!!!」と奮起するも、心がそれに追いついていなかったかのような。
そんなホムラが立ち上がれた時にこう言っている。
「この状況でどうやって勝てたの?」と言うレベッカからの問いに「師匠のおかげだな」と答え「いいや…それだけじゃない…」「シキやレベッカ…みんなの言葉のおかげだ」「みんながいたからまた立ち上がれた」と付け加えて答えていた。
ホムラにとってはギャレット戦は、自分が立ち上がるに至れた最後の試練のような意味も込められていたからこういうニュアンスだったんじゃないかと思う。
65話の感想当時は「ギャレットの攻撃によってヴァルキリーの頭部が地面に落ちた事でホムラは立ち上がるしかない状況になったんじゃないか」と書いたんだけど、こう今一度書きまとめていて思ったんだけどホムラが立ち上がれたキッカケはやっぱり「ヴァルキリー言葉」だったんだなって。
回想で実際にホムラの前でヴァルキリーが発言していた箇所を読み返して、シキの「きっと前へ進める」やレベッカの「その想いは必ず届くよ」に相当する言葉を探してみたけど、それが特に該当するものは見当たらない。
ただ、「ホムラの前」に限定しなければホムラを立ち上がらせた言葉はこれなんじゃないかと言うものが確かにある。
第68話でヴァルキリーが鉱石生命体との死闘の末、最期に思った「心の声」。
「そういえば…言ってなかったな…」「私もおまえを愛している…」。
ただ、この言葉はホムラには届かなかった。届かないまま亡くなってしまった…。
と思われていたけど、ヴァルキリーの「私もおまえを愛している」という想いは一緒に過ごしていた日々の中で「言葉」の節々からホムラは感じ取れていたんじゃないだろうか。
⑦ヴァルキリーの「躾」によるホムラの「成長」
惑星サン・ジュエル編クライマックスである第67話『愛する者』。
クレナイに対してホムラはどんな対応を見せるか…というのは、これヴァルキリーが惑星オオエドを出るに至ったキッカケとなった傷害事件の裁判の模倣なんですよね。
惑星オオエドでの傷害事件…と言ったら、5年前にホムラがヴァルキリーを侮辱された事に怒りからかってきた子供に暴力を振るった。
その時、ホムラはヴァルキリーの教えにも反して絶対に謝らなかった。
「謝るのはあいつ等なのに…」と悔し涙を流していました。
そして、今回のクレナイに対して見せた対応の仕方。
それは「産んでくれた事には感謝」して、「それ以外の感情は持ち合わせていない」と説明。
自分にとって必要だったのは「母」ではなく「愛する者」だったと、「たとえ他人であっても機械の体であっても愛があれば必要なのだ」と考えを主張し、最後に「これから私の人生に金輪際関わらぬようお願い申し上げます」と親子の縁を切った。
クレナイに対して「産んでくれた事の感謝以外の感情を持ち合わせていない」と説明をしてはいたけど、ホムラがそんな事は絶対にないと思う。
愛していた、大切だった、かけがえのない存在だったヴァルキリーの自分達家族を想ってしてくれた気遣いを無下に扱い、いたずらに命を奪う事で、存在そのものを侮辱した…。
どう考えても、クレナイはホムラにとって許す事のできない存在だったと思う。
それこそ傷害事件の時のような「暴力」に留まらず、ソウルブレイドで斬り伏せたいくらいの憎悪を抱えていてもおかしくなかったと思う。
ただ、それでもそうせず「家族の縁を斬る」事で前に進む為のベストな対応ができたのは、やはりヴァルキリーが「子供の躾」をできたという証明になった。
傷害事件の時の裁判じゃ「弱き者に対して"力"を使えばそれは暴力…喧嘩ではなく暴力だ」という躾を聞けず「謝る」というベストな対応はできなかった。
本当に「思った」ままに行動する事しか、あの時のホムラにはできなかった。
ただ、今回はホムラは「思った」ままの怒りをグッと堪えて、大人な対応を見せてくれた。
この行動は、ヴァルキリーが「真似事」ではなく「母親」たれた証明になるんですよね。
労働区にいたハンター達は最初「オレたちで締め上げてやろうぜ!!」と「暴力」による制裁をとろうとしていたけど、あれは言ってしまえば5年前のホムラの姿と言えるんじゃないだろうか。
その後、どうするかを任されたホムラは「同情なんかで許しちまうようじゃ困る」と念押しされていたけど、その上でああいう対応ができたのは「ヴァルキリーの躾によるホムラの成長」だと分かるんですよね。
⑧ホムラの「師匠に会って伝えなきゃいけない言葉」
ミルディアンバトルコロシアムでホムラが言っていた「師匠に会って伝えなきゃいけない言葉」。
それは、第67話『愛する者』の最後に言っていた「あなたは私の師であり友であり…母だった」。
57話の回想では、ヴァルキリーの方もどうしても気になってしまう、本心では欲していたと思う「母親の証」であるぬいぐるみを渡してヴァルキリーが「母親」として肯定された瞬間です。
あのぬいぐるみは、最初こそホムラからしたら「クレナイとを繋げるもの」でしかないのに、ヴァルキリーに渡す事に意味はあるの?なんて思ったけど、何より67話が意味を証明していた。
「母親からもらった物ゆえ」「母親が私を見つけられるようにずっと持ってるゆえ」と、あのぬいぐるみを取り囲む思い出は全部ヴァルキリーで塗り替えられているんです。
そして、何よりクレナイはあのぬいぐるみに対して何の思い出も抱いていなかったから。
第58話のサブタイトルと言うと「沈黙の再会」ではありましたが、結果的にホムラとヴァルキリーの二人にとって「沈黙」ではなかったと思う。
ヴァルキリーの「私もおまえを愛している」と言う心の声はホムラに届いていて、またホムラの「あなたは私の師であり友であり…母だった」という「師匠に会って伝えなきゃいけない言葉」を伝える事ができた。
お互いがお互いを想うが故にすれ違っていたと思われていた「想い」は届いていたんですねー。
あんな状態での再会は悲しかったけど、悲劇にはならなかったと思う。
⑨ホムラの「これから」
第68話『ヴァルキリー』では、ホムラが新たに「私がヴァルキリーになりますゆえ」と宣言しましたね。
クレナイと家族の縁を切ってヴァルキリーに「母親の証」を渡した事で、「ホムラ・コウゲツ」から「ホムラ・ヴァルキリー」になるのかな?
みんながいたから立ち上がれた。これからもずっといてくれる「みんな」と一緒にこのエデンズゼロでマザーを目指して。
ホムラにとっても惑星サン・ジュエル編でマザーを目指す意義が確立したエピソードとなりました。
これからもホムラもそうだし、他のエデンズゼロの仲間達の旅路とその度に重なっていく「心」の動きを見守りたいな、なんて。
あ、そういえば「秋」はホムラ・コウゲツの季節ですね。
先日、京都の嵐山と金閣寺に行きました。
紅葉、綺麗だったなー。
その時の写真を載せて今回の記事を〆ておく。