去年9月10月、夫婦で四国霊場88ヶ所(お遍路)を自転車で回りました。大阪の自宅から出発して40日間かかりました。
お遍路と言っても、昨今では98%以上が、自家用車や観光バスを使って回るのが実情です。
かつて弘法大師が回ったように、歩いて回る人は一握りの僅かの人です。自転車もデータを見れば、歩く人より少ないです。
歩く人は、長い1300㎞の距離を、途中で親切で優しい同行遍路の好意のお誘いを受けて、その人たちの自家用車に便乗させてもって、その日の1日を一緒にお寺を廻ったと、よく聞きます。
或いは、歩くのがしんどくなって公共交通機関を使う場合だってありますでしょうし、お遍路あるあるでもあり、可能です。路線バスや鉄道が常にお遍路みちに沿って走っています。
しかし、自転車はそうはいきません。全ての行程を自分の足で自転車を漕いで回り、或いは山の天辺のお寺に登るのに自転車を押して登ったり、自転車を山麓に置いて、歩いて登るしかないのです。
しかし、歩いてお遍路を廻るのが、一番ふさわしい、弘法大師が歩いたその気持ちに寄り添い、感じ、その苦労や思いを感じられる唯一の手段だろうと思います。やはり、お遍路は歩き遍路に限りますね。。。少しは楽だろうと選んだ自転車は、やはり邪道か・・・笑笑
そこで、今日の話に入るのですが、
四国お遍路を88ヶ所廻ってみて、よくあった出来事なのですが、各々のお寺のお参りが終わった最後に、お寺の納経所と言う場所でお金を払って記帳してもらいます。そこのお寺の人によく聞かれます。
「ご苦労様です。本日はお車でお越しですか?」
僕達は、「いいえ、私達は自転車で回っています。」
しかし、その質問の後、その坊主は何も言葉を言いません。
何故かというと、納経所の人の優しい声掛けと思っていたので、
「今日は、よく参拝してくれました。」という労いの言葉と信じて疑いませんでした。
だから、自転車と言えば、「それはそれは大変ですね。これからも気を付けて、ご安全にお遍路を続けて下さいね。」と言う様な言葉を期待していたからです。。。笑笑
同じような質問を、88ヶ所廻ったお寺の中で、かなりの数の納経所で聞かれましたから・・・よく覚えています。
しかし、僕がピュア―でバカでした。(笑)
後に家内に指摘されましたが、
「あれは、自家用車で来ているかどうかを確かめているのです。」
「自家用車なら、駐車料金を払う必要があるからです。」
大体、どこのお寺も300円か500円を徴収しています。
その、駐車料金を払わずにお参りする人が多いと言います。
殆どのお寺の駐車場には係員が居ません。
だから、自己申告で納経所の事務所で支払う必要があるのです。
歩きと自転車の人は払わなくていいのですが、他の人は払う必要があります。しかし、お寺側の人は、そのお遍路さんが何で来たのかは分からないので、払わずにスルーする参拝者が多いのです。お寺の境内のそこら中に駐車料金の値段や支払い方をしつこい位看板で案内しているので、見落とす人は居ません。
払わない参拝者も昨今では、いっぱい居そうです。また、その払ってくれない多くの参拝者に苛立っちるお寺の坊主や住職も現実いっぱい居ます。
考えたら面白い話です。
何をしに参拝に来るのでしょうか? 何の目的で足を運び手を合わすのでしょうか? それでも、多くの人が、その300円か500円が惜しいのです。払いたくはないのです。
お寺の坊主は坊主で、折角、お参りして頂いた参拝者の事を思い、無料にしてはどうかと思いますが、お寺も経営があるのです。死活問題です。出来るだけ、お金が欲しいのです。
全ては金なりです。。。笑笑
お寺側は駐車料金を徴収する為に、わざわざゲートを作り、係員を常設する程のお金も余裕もないのです。
いったい、参拝に行く人は、お寺を訪問して、何が得られるのでしょうか~~。そんな謙虚な祈る気持ちや感謝の気持ちがあるのなら、僅かなお金くらい払ってやれよ!って思うし、しかし、一方で、チリも積もればって考えれば、僅かなお金でも何十回も行けば大きなお金になる。。。節約したくなるのかもしれません。一般の人は数百円だって、勿体無いのです。。。
お寺側も、その更に大きな器で、広い広いお心のお釈迦様の救いを求めて来る、苦しい人を救っているのなら、小さいことは気にしなくても良いんじゃないのか? 参拝してくれるだけで嬉しいと考えてあげて、駐車場は無料にしてあげればよさそうなものだ。。。笑笑
どっちもどっちだよね。。。(笑)
僕の正直な気持ちは、88ヶ所を一気に回ってみて、多くのお寺で感じたこと、多くの参拝者に接して感じたこと。。。。
僧侶も、参拝者も、日常の社会にある一般社会の世界だなあと感じました。。。(笑)
お寺を廻る人が特別でも偉くも無く、坊主だって、人に説法を施すから凄く出来た仙人のような人でも決して無さそうです。。。(笑)
「ありがたい」 と思うのは、それぞれの心の内に在り・・・
感謝の念、謙虚な想いは、口で言うは易しだが、行動に移し実行できるには、余程の修行が必要なのかなあと、感じました。
これは、今日の日曜日の朝の「宗教の時代」を見て、感じたことでした。詰まらない話で、済みませんでした。ありがとうございました。
かず