奈良市のゴミ問題を考える!

今回は、地元(奈良市東部地域)の住民を委員に加えず、身勝手ともとれる判断で、クリーンセンター建設計画策定委員会が平成25年3月に移転候補を決めた奈良市東部地域の東里地区について、地元交渉が進まなかった経緯、さらにはゴミ問題に関する地元事情の歴史をふまえ、平成29年7月に市長が「東里地区での建設計画を白紙撤回」した事情を振り返り、のちに市が現在の候補地案を表明するまでの経緯と策定委員会の役割を確認します!


1.移転候補地とされた東里の歴史

策定委員会が候補地選定した東里地区(中ノ川町)は、昭和の高度経済成長期に奈良市のゴミ最終処分場があった場所です。国道365号線沿いに最終処分場として、焼却灰ではなく、収集されたゴミがそのままの状態で埋設処分された地域です。今もその最終処分場はそのままの状態で存在します。


奈良市中ノ川町国道365号線沿い


東側から撮影


北側から撮影


西側から撮影


三枚の写真は令和6年5月14日撮影です。高さ1m程度の簡単なコンクリート擁壁で囲まれただけの小高い山が確認できます。これは自然の山でもなく、盛土でもありません。奈良市のゴミの最終処分場だった山です。環境に関し、法改正される前の時代の最終処分場であったことから、現在の処理過程と比べ簡易な覆土のみの処理を終えただけで現在も存在しています。


折れ曲がった鉄筋、維持管理されていない草木、放置された小屋...写真を見るだけでも、いかにひどい状態かが理解していただけると思います。再度申し上げますが、これは民間事業者によるものではなく、奈良市によって行われた事実です!

最終処分場として稼働していた期間は、ゴミ搬入車両による汚水の垂れ流しにより路面は汚染され、異臭も発生し東部住民の健康被害も疑われる状況でした。さらには塩分濃度の増加で通行車両の腐食被害も疑われていました。私は昭和46年生まれですが、幼少期・小学校低学年の頃、両親が運転する車でこの場所を通過する時、子ども心に臭さに耐えられず鼻をつまんでいたことを記憶していますし、山の上に登り搬入車両がゴミを荷卸しする光景も記憶しています。


策定委員会による候補地選定の過程で、現地視察も行われたはず、この現場と、この場所が最終処分場であったことも確認していながらも、東里地域に移転先を押し付けた策定委員会の選定過程とその行為には、大いに疑問があります。しかし、先ほども申し上げましたが、平成29年7月に市長が「東里地区での建設計画を白紙撤回」されました。市による過去の過ちを認めたうえで、策定委員会が決めた結果をNO!とした市長の英断です!


2.現候補地「七条地区」決定の過程と理由

令和元年12月定例会 山本による質疑の議事録


現候補地の「七条地区」が公になったのは、令和元年12月です。当時の自民党会派の代表質問を担った私からの質問に、市長は「七条地区を最終的に候補地として絞り込んだ」と答弁されました。


5市町による広域化を示す答弁議事録


決定の過程と理由については、上記の議事録でも明らかですが、「5市町による広域化」です。

「七条地区 🟰 広域化」これは大前提のはずです!

しかし、その後も広域化の協議は進捗せず、結果として広域化は頓挫しました。

急がれる移転候補地確定段階において、根本的な問題は、広域化が頓挫した以降も、市はあらたな候補地探しを怠ったことにより、当初、地元にも議会にも理由説明していただ広域化ではない計画を強引に推し進めたことによるものです。さらには、この七条地区を候補地と決めた選定課程はクリーンセンター建設計画策定委員会に諮られていません。まずこの点を問題指摘しておきます。


下に続く

次回は、調停条項とクリーンセンター建設計画策定委員会規則を確認し、策定委員会としての問題点を確認し、そのうえで移転計画における私なりの考えをのべます。