藤田信雄の捏造記事を書かないといけない産経新聞?ライブドアの伊藤徳裕の事情 | 藤田和彦のブログ

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捏造、藤田信雄については1985年のテレビ放映後、嘘がバレて捏造作業は頓挫しました。


この藤田信雄の記事は、ライブドアの伊藤徳裕が書いた記事ですが、彼は昨年3月24日に無免許運転で人身事故を起こしています。


背後に、問題のあるグループに入って捏造作業に参加しないといけない関係があるものと思われます。


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免許取り消し中に運転して交通事故…産経新聞記者のモラル大欠如
http://npn.co.jp/article/detail/19820085/ 

群馬県警前橋署は3月24日、自動車運転過失傷害の疑いで、産経新聞前橋支局記者・伊藤徳裕(のりひろ)容疑者(48=同県前橋市下新田町)を現行犯で逮捕した。伊藤容疑者は「職場へ向かう途中だった」などと供述しており、容疑を認めているという。


逮捕容疑は同日午前1時15分頃、同市石倉町の県道交差点で、車を運転中に出合い頭で代行運転会社の車と衝突。乗用車を運転していた男性(47)と助手席の男性(31)に、頸椎(けいつい)捻挫などの軽傷を負わせたとしている。現場は信号がなく、伊藤容疑者の側に一時停止の標識があった。


伊藤容疑者は1月16日に、交通違反の累積で免許取り消し処分を受けていた。同署では、道交法違反(無免許運転)の疑いでも調べている。


産経新聞東京本社広報部によると、23日は休日で、伊藤容疑者から免許取り消しの報告はなかったという。同社は「社員が逮捕されたことを重く受け止めています。事実関係を確認の上、厳正な処分をします」とのコメントを出した。


新聞記者とて、聖人君子ではない。ミスをすることもあろうが、免許取り消しになっていながら、それを会社に報告せずに、無免許状態で自動車を運転した行為は、社会人として許されることではない。


ふだん、新聞記事を書いている新聞記者が、法を犯して、自ら新聞記事になったのでは、シャレにならない。ぶつけた相手の車の運転手、同乗者が軽傷だったのは不幸中の幸いだったが、伊藤容疑者のモラルが欠如していたというしかない。(蔵元英二)

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http://news.livedoor.com/article/detail/9397339/
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米本土爆撃した「藤田信雄中尉」の義理堅き「米国への恩返し」

2014年10月25日 12時23分
産経新聞

10月10日付の産経新聞を読んでいたら、下段に載っていた新刊書の広告が目に入った。
「アメリカ本土を爆撃した男」(毎日ワンズ刊)。サブタイトルは「大統領から星条旗を贈られた藤田信雄中尉の数奇なる運命」で、日本人で、いや世界で唯一、米国本土の爆撃に成功した旧日本海軍のエースパイロット、藤田信雄氏(1911~97年)の生涯を追ったノンフィクションだ。
すぐに本を買い求め、一気に読んだ。この作戦は、オレゴン州ブルッキングス市のエミリー山に焼夷(しょうい)弾を投下して山火事を起こすことが目的。米国は本土防衛に目を向けることになり、日本国民の士気高揚にもなる。何より民間人の殺傷を避けたものだった。藤田氏は1942年9月、潜水艦から飛び立った水上機から2回にわたり爆撃を成功させる。前日の豪雨のため延焼効果はなかったが、米国を揺さぶるのには十分だった。
藤田氏の波乱に満ちた人生は、まだ続く。復員後に当時の大平正芳官房長官に呼ばれ、ブルッキングス市から招待されていることを知る。半信半疑のまま62年に渡米。そこで全市を挙げての大歓迎を受ける。本土を爆撃した勇敢な英雄としてたたえられたのだ。不測の事態に備えて自決用に持参した軍刀は同市に贈られ、友好の証となった。
68歳の時に会社が倒産し、航空隊の教官時代の教え子が経営している会社に雇ってもらい、月3万円の貯金を始める。「ブルッキングス市への恩返し」と、85年開催のつくば科学万博に同市の高校生を招待するための資金だった。歓迎会の席ではロナルド・レーガン米大統領からホワイトハウスに掲揚された星条旗が藤田氏に贈られた。
この本に興味を持ったのは、広告に「元産経新聞記者 倉田耕一著」とあったこともある。倉田さんとは同じ水戸支局勤務だったという因縁(?)がある。3年前に退社され、執筆活動を続けていることは知っていた。「あとがき」には「イラナのドキュメンタリーは2015年にも完成するはずだ。(中略)それまでに原稿を書き上げよう」と記している。「イラナ」とは米映画監督のイラナ・ソルのこと。オレゴン州で犠牲者を出した日本軍の風船爆弾を題材に、その後の日米の絆を記録した映画「紙の翼に乗って(On Paper Wings)」を手掛けている。彼女はバート・ウェーバー著「Retaliation(報復)」で藤田氏の米本土爆撃を知り、新作の題材に選んだ。倉田さんは昨年4月にイラナの取材を受けている。
確かに藤田氏の人生は波瀾(はらん)万丈で、映画にするにはもってこいの題材だ。実は本書の中に興味深い記述がある。藤田氏と親交のあった米誌「タイム」の記者が映画用の脚本を書き、ブルッキングス市在住の映画制作者に直談判する。そのプロデューサーこそが、真珠湾攻撃を日米双方の視点で描いた戦争大作「トラ・トラ・トラ!」(1970年)のエルモ・ウィリアムズだった。「オレゴンの日本刀」と題された脚本の映画化は結局、日の目を見なかった。
本書を読んでいて思ったのは、この本を映画にできないかということだ。爆撃作戦のスリルやスペクタクル、ドラマチックで感動的なエピソードの数々…。重厚な作品ができると思うのだが。(WEB編集チーム 伊藤徳裕)