昭和の横浜港の風景「日本郵船の貨物船」 | kazuhi49の船の写真館

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得意は、花、山、飛行機、鉄道ですがこのブログでは
鹿島港,東京湾をメインに船に特化して掲載しています。

昭和40年(1965年)前後の横浜港の風景

   「日本郵船の貨物船」

 

  かなり古い写真をデジカメで撮り直していますので画像の悪さをご了承願います。

 

太平洋戦争で壊滅的損害を被った日本の商船ですが、戦後6年後の昭和26年に

優秀貨物船Aクラスの建造に着手して復興が始まり、

そしてこの年に商船に日の丸を揚げる事が許されました。

 

Aクラスは三菱横浜造船所で東日本の地名の付く「赤城丸」「熱海丸「「秋田丸」「會津丸」「浅間丸」

の5隻、三菱長崎造船所で西日本の地名の付く「阿蘇丸」「有馬丸」「粟田丸」

「粟田丸」安藝丸」「熱田丸」6隻の11隻がニューヨーク航路や欧州航路に就航しました。

 

小さい時から可愛がって頂いたY氏が船長に昇格して初めて横浜港からの中南米航路

でロスアンゼルス(記憶が正しければ)に向けての出帆を見送ることができました。

 

  「粟田丸 」  1952年竣工-7,569総t-8,400HP-航海速力16.0ノット-船客12名

 

時化る太平洋を横断して行くのでデリックを降しています。

アンカーは港外に出るまで緊急時に備えてすぐに打てるように構えていますが、

今はあまりこの様な風景は見られません。

 

SクラスはAクラスをグレードアップさせて1955年(昭和30年)から36年までの6年間に

改良や馬力をアップして15隻造られました。

 

  「摂津丸」1957年竣工-9,376総t-12,000HP-航海速力17.8ノット-船客12名

 

SクラスもAクラスと同様のネーミングで三菱横浜で東日本の地名の付く「相模丸」「佐渡丸」

「駿河丸」「静岡丸」「埼玉丸」「隅田丸」「札幌丸」の7隻、

三菱長崎で西日本の地名の付く「讃岐丸」「薩摩丸」「摂津丸」「島根丸」「滋賀丸」佐賀丸」

「瀬田丸」「西京丸」の8隻を6年間で建造しました。

 

東京オリンピックのあった1964年(昭和39年)に海運集約化があり三菱海運を吸収合併し、

「ぼすとん丸」「はんぷとん丸」のSクラスと同性能の高速船2隻が加わり、

ニューヨーク航路に就航しました。

 

 「ぼすとん丸」   1962年竣工-9,071総t-13,000HP-航海速力18.3ノット-三菱広島

 

Iクラスは高速貨物船のYクラスKクラスと見た目は変わらず、少し小さくまた馬力を

落とししたスタイルで1965年(昭和40年)から2年間に8隻建造されました。

短期間に作られたため、今までの三菱重工オンリーでなく、三菱神戸1隻,名村造船1、

日本鋼管清水2隻、日立向島2隻,石川島相生2隻と分散して建造しています。

 

「伊豫丸」  1965年竣工-9,509総t-10,000HP-航海速力18.2ノット-名村造船

 

他には「伊勢丸」「茨城丸」「出雲丸」「岩手丸」和泉丸」「磐城丸」「岩代丸」が造られました。

 

こちらは、WEIGHTのWの頭で始まる重量物運搬船の「若戸丸」です。

1964年(昭和39年)に広南汽船から購入して船名が「若戸丸」に変わりました。

本船は200屯デリック搭載ですが、昭和62年には500屯デリック搭載の

「若菊丸」「若竹丸」が誕生しました。

 

「若戸丸」1959年竣工-7,036総t-5,700HP-航海速力14.0ノット-三菱広島造船所

 

日本郵船傘下の岡田商船から傭船していた当時南米西岸航路に就航していた「協優丸」で、

長い煙突からも分かるように定期貨物船としては珍しいタービンエンジンの優秀船でした。

 

「協優丸」1952年竣工6,646総t-6.000HP-航海速力15.0ノット-石川島重工