連載の途中ですがお口直しに軽い話題ですwithふるさきさん。 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。




お久しぶりの、ふるさきさんにお会いしてきました。


イマイチ自撮りになれない
東西オタク対談。
ふたりともカメラ見てないわぶれてるわ。


マイワールド×マイワールド=
ほぼ誰にも通じない会話の3時間。


もう、面白かったことはたくさんたくさんあるのですが
ひとつとても心に響いたこと。


ふるさきさんのあの
底が盤石な感じ。
ハートに真っ直ぐな感じ。
その謎がちょっと解けた気がしてね。


ふるさきさんは田舎で育って
食べられる葉っぱとか
スーパーにものがなくなっても
水が飲める場所とか知っていた、

飲める水じゃなくても
飲めるようにする方法はなんとなく知っていた、

傷ができたら、ヨモギの汁を塗ると
治りが早いことを知っていた、って。


そのことってすごいことだ。


およそ人間が感じる全ての恐怖は
「死に対する恐怖」
に、最終的には繋がっているのだという。


だとしたら
スーパーに食べ物がなくなっただけで
生きていけないんじゃないか!
って感じる人と
スーパーになくなったら山に行ったらいい、
って思える人とでは
恐怖の閾値がぜんぜん違うのではないかと思った。


山のものをいただく時に
ほんとうに
「いただきます」
という感謝が湧くのだとも。


自分が何か、
大きな生命の循環の中にいるという感覚があり
そこと切り離された存在ではないことを
肌で知っていることもまた
生きている事自体の盤石感を
圧倒的に増すだろうと思う。


なんだかさ
都会で、自然を感じることも
自分で食べ物を取ることも
水を汲みに行くこともなく
頭のなかでグルグルと考えをいじくりまわしていたら
そりゃあ孤独感は増えるというか
生きていることの基盤を支える感覚が失われていくだろうなあって
とても腑に落ちたのでした。


子どもは自然に触れさせよう!
と決意した、虫嫌いな母でした・・・(自信なしorz)。