私はなんの、プロであるか5 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。

最終回だろうさすがに。

私はなんの、プロであるか
私はなんの、プロであるか2
私はなんの、プロであるか3
私はなんの、プロであるか4




関連して書いておきたいことがあって。

今年の4月のこと。
娘が嘔吐下痢で軽い脱水症状を起こし救急病院にお世話になったことがあった。

診察してくれた若い男性の医師は、
乱暴に娘のおなかをぎゅうぎゅう触診して、
その一瞬以外はPCを見続け、娘の方を見ようともしない。
対応もぞんざいな感じで、私は心底むかっ!と来ながら待合室に戻り
数時間の点滴の間をそこで過ごした。

こんな時、電子書籍は便利ですな。
寝こける我が子をエルゴの中に見守りながら、
iPhoneで一冊読破。



検査結果が出るはずの時刻になってもなかなか呼ばれず、
看護婦さんに何度か催促した後やっと呼ばれて検査結果を聞いた。
軽い脱水なので点滴を外してもう帰ってよろしいとのこと。

ほっとしながら点滴を外してもらうのを待っていると、
医師の携帯が鳴る。
どうやら救急車で子供が搬送されてくるらしい。

その時、彼に、「かちっ」と何かのスイッチが入る音がした。
すごい勢いと剣幕で看護婦たちに指示を飛ばし、にわかに動きが慌ただしくなる。

医師も動きながら初めて私たちの方をしっかりと見て、
「ごめんね、外で外してもらってくれる?
ここ、慌ただしくなるから」


待合室に戻り看護婦さんを待っている間、

「ああ、ここは”命の現場”だった」

とやっと思い出した。


ボディーワーカーという仕事柄(??)、
人はこういう風に扱うべき、
というこだわりを人一倍強く持っているのだった私は。
(完全に投影ですがな。)

存在全体として関わって、
スペースを与えて、
こちらは嘘がなくリアルな存在でありながら、なんたらかんたら、みたいな。
そしてこの業界にいると、そのように扱われることに慣れて行き、
そうでない時に驚き、反応するのだ。この時のように。


しかしここは、命の現場だった。

ふんわりと優しく人を扱うことに心を砕いている場合ではない。
命を救うことが、彼の担っている責務なのだ。

全く違った意図でそこに存在している人に、
自分のこだわりを押し付けようとしてジャッジしていた自分を恥ずかしく思った。

命を救うことのプロに対して、
”信じることのプロ”と同じありようを要求してどうする。


診察室の中で、ものすごい勢いで何かが展開しているのを感じながら、
その時はもうその医師に対して感謝しかなかった。




余談ですが・・・
ずっと隣で一緒に過ごした小学生の坊ちゃんとパパのおふたり。
同じくらいに終わって待合室でまた合流。
おなかが痛くて来ていた坊ちゃん、「浣腸」を指示されたらしく、
「ぼくなんで浣腸されるの?!誰にされるの?!看護婦さん?!
看護婦さんの手で浣腸するの?!」

とパニック状態。
そうか、小学生男子。
浣腸と言えば、「カンチョー!!」しか知らないのね^^;