一人の時間を満喫しつつ鎌倉に到着。
セッションルームでまずは体の近況報告を。
10セッションに先駆けてしてもらったメンテナンスの時は
一番おかしな体になっていた時で、
左腰がはまっていなくて歩きずらいったらもう・・と泣きついたのでした。
そういえば、妊婦時代から左の仙腸関節に違和感があったので
もともとそのあたりにウィークポイントがあるのですよね。
さらに言うと、右側の梨状筋(お尻の真ん中辺の筋肉)が
やや梨状筋症候群気味と以前言われました。
そのセッションの時にアドバイスしてもらってズバッと効いたのが。
「股関節の位置を、今より1.5cm内側にイメージして歩いてみて」
ということ。
すごいすごい!
がんばらなくても歩ける!
そう。
それまではなんだか思うように足がついてこない~っ、って
表面の筋肉で足を持ち上げるような感じでがんばって歩いていたのです。
正しいボディイメージってすごく大事だなあ・・・。
自分の体の構造を、正確に把握しておくことで、最小の力で
楽に体を使う事が出来るんですよね。
これ実感として一度でも経験すると、ものすごく驚くと思います。
・・・やばいなあ。
これ系のレポートは脱線しまくって超絶な長さになるんだったそういえば・・。
サクサク行こう。
そしてこの1.5cm内側を意識することによって、足首の痛みが
劇的に改善したのでした。
でもそれまでずっと間違ったイメージで歩き続けてきたものだから
筋肉がもうそうなってしまっている訳で、
かなり意識的に動いて、正しい筋肉を目覚めさせる必要があります。
だからまだ今の時点では時々「おっと1.5cm、1.5cm・・・」とつぶやいています。
孝太郎さんの見立てでは、前回よりかなり体の状態は改善しているとのことで、
これは私も自覚していたところ。
ロルフィングというのは通常10回のセッションを連続で受けることで、
”眠っている可能性を引き出ためのボディーワークです。
筋膜という組織に働きかけて、からだのバランスを進化させます。”
---孝太郎さんのHPより
セッションごとにテーマが決まっていて、第一回は「呼吸」。
軽く歩き方など見てもらったところで、マッサージテーブルに横たわって
施術を受けるんですが、まずは頭蓋をかなりじっくり
時間をかけて調整してもらいました。
調整と言っても、圧はほとんどかけない。
クラニオセイクラルを受けた事がある方には分かってもらえるかと思うんだけど、
ほとんど手は”触れている”程度。
マッサージテーブルに横になるだけで・・・うれしんで大の字になる私。
なんとゆう贅沢な時間なんだあ~!!!!大の字大の字。
それを暖かく見守る孝太郎さんでありました。
しかし静かに横たわると改めて感じる私の体のややこしさよ。
首回りと腕の付け根の緊張を解く事が出来ないんですよ、想像以上に。
ベットに重みをゆだねて行く感覚、それがうまく作りだせない。
いやはや・・・と思っている私を、じっくりやさしく触れて、
変化するのを待ってくれている孝太郎さん。
しばらくすると、目玉がふわっと軽くなるのを感じました。
それをきっかけに頭の周辺がどんどんほどけ始めた気がします。
目玉がこんなに疲れていたなんて。
いや、疲れていたというより、目玉ががんばっていたとでもいうのかな。
神経ががんばっていたんだね~。
それ以後も同じようなやさしいタッチで、腕や胸郭の周りをふわっ、ふわっと
ほどいてくれました。
本当に触れているだけみたいなんだけど、しばらく待っていると
結び目がほどけるように、するするする・・・と体の中心で何かがほどけて
外に向かってゆるんで開いてゆく。
弛緩・・・とも違う、もっとクリアで、風通しが良くなる感じ。
ふぅ~っ、とため息が出る。
何度も何度もため息ついたなあ。
あ、これが本来の体の感じなんだ・・。
そして、ひとつひとつほどけて行くに従って、
その中で「ぎゅっ」とがんばっていた力がリリースされ、
期せずして気付きの嵐。
わたし。
ほんっとうにがんばってるよ・・・って。(自分でゆうな)
結婚して8年。
マイペースで好き放題やって、世界中飛び回っていた私。
沢山の人に会って、どんどん世界を広げて、学んで学んで、ワクワクして。
育児というのは、それと全く対照的な世界。
深くせまくギュッと濃縮された空間と時間。
ほとんどの時間を赤ん坊と二人で過ごす。
そして何の訓練もなくいきなり人の命を預かってしまうのだ。
そこに「過剰な」責任を感じていたなという事。
いやもちろん、責任ありまくりですよ。
そして赤ん坊にとっては「ママ~♪あんたが頼り~♪」であって、
それはとっても幸せなことなんだけど。
「誰よりも」責任を負っていないといけない、とか
「誰よりも」ママが一番頑張って大変な思いをしていないといけない、とか
何かあったら私のせい、とか
私の表情一つが、言葉一つが、態度一つが、
赤ん坊の中の原初的な何かを形成してしまうというちょっとした恐怖とか。
怪我をさせちゃいけないとか、病気させちゃいけないとか。
自分の事を優先させちゃいけないとか、
楽しい事とか言ってる場合じゃないよねママなんだからとか。
人の助けを借りるのは申し訳ないとか。
これから先もうずっと、私よりこの子第一の人生なんだろうな、とか
じゃあ私がこれまでやってきた事どうしたらいいんだろう、とか
いやいやそんなこと思っちゃいけないよな、とか
私がシアワセがっているのが一番果歩ちんにいいんじゃないかやっぱり、とか
でもそれは一般的にはただのわがままと微妙なラインだ、とか
なんだろう、もっと全ての瞬間はじけるようにハッピーかと思ってたのに、とか
そんなこと思う私は親にむいてないんじゃないか、とか。
とか。とか。とか・・・。
赤ん坊は、私の体を通って生まれてきたけど、
私だけのものじゃないよなあ。
昔namiさんがね、
「"私のせい”って一杯思う人は
”私のおかげ”も一杯思うんだって」と素晴らしい誰かのセリフを教えてくれたんだ。
責任感もたいがいにしないと、
かえって果歩ちんを縛り付けるというおかしな結果になるかもねこれ。
そもそも考えすぎだし。深刻すぎるし頑張りすぎてるし。
そのほどかれていく感覚の中で気付いたことは。
ずーっと私の中にあった、
「なんかヘンなんかヘン・・・」は、
子どもを育てている緊張感から
考えすぎていろんな悩み苦しみを作りすぎてたんだということ。
一人で歩いた横浜駅の構内。
「あれっ!
今までと一緒だ。
キラキラ輝いて見える。
全てが美しくて、人生は素晴らしくて、全てが大丈夫って言う感覚が
今までと一緒にある!!」
って驚いたんでした。
・・・ど、どうまとめたらいいんだこの話(動揺)。
その、アバター以降、それまで当たり前に毎日感じていた世界のベーシックな印象、
「キラキラ輝いていて、
全てが美しくて、人生は素晴らしくて、全てが大丈夫」
この感じが、出産以降私の中で薄れて行った事に
実はものすごく動揺していたのでした。
もっとシアワセを、「感じなければいけないのではないか」?!
「感じるはずではないのか」?!
そのことを、11ヶ月、ずーっと考えていた気がする。
なんかヘン、なんかヘン、って。
それを身近な事に(例えば夫の何かの言動が気にくわないとか、笑)こじつけて、
これのせいだ・・・なんつて強引に結論付けて安心しようとしたりとか。
しかしそれは違った。(すまんす>いろんなみなさん)
私はものすごく頑張って、かほちんを育てることに集中してたんだ。
そしてかわいい赤ん坊を感じる以外の時間は、
ひたすら神経を張って、「今ここを感じる感覚」を閉ざしていたんだと思う。
果歩ちんが目の前にいないだけで、
実家にいるから安心だ、という感覚があるだけで
あれだけ世界がふわりとイキイキ明るく見えるんだもの。
果歩ちんといる時も世界は輝いているけれど、私の全神経はかほちんに
向いているということなんだろう。
動物ってすごいなあ。(という感想でいいんだろうか??)
しかしこのあたり、もうちっとやりようがあるはずなので、
というかいらん信念が多すぎる気がするので今後探求いたしまする。
大変過ぎるわこれじゃあ。周りもな。
孝太郎さん曰く、
額関節とか頭蓋底のあたりががちっとロックしてしまっていたので、
背骨全体が自由に使えなくなっていたとのこと。
そりゃあ、それだけがんばってたら目も疲れ頭も疲れあごも疲れ
背骨もふにゃらけさせられない訳だよ。
ふは~、呼吸が深い!!!
体がスルスル。(ゆるゆるじゃないんだよ。ここ重要。)
なんといいますか、
引越し以来一度も掃除していなかった家じゅうの換気扇やエアコンのフィルターやらを
ダスキンさんに一気に掃除してもらいました!!
という経験をしたらきっとこんな感じでしょう、たぶん。
わたし、がんばってたよなあ。
こんな小さなただの私が。
と思ったらちょっとじーんと来た。
アバターなんかやっていると、母親に対する創造ってみんなものすごく
沢山あるけど、それだけ大きな存在だってことだけど、
母親って、子どもを産んだというだけで、実態はただの一人の私なんだよ。
何が「母は強し」じゃあ、強くなんかないわい!!と世界の中心で叫びたい。
・・・よく分からなくなって来たので続きます。