「関口宏のサンデーモーニング」の石原バッシング | 西陣に住んでます

「関口宏のサンデーモーニング」の石原バッシング

西陣に住んでます-サンデーモーニング



10月も終わり、京都の紅葉シーズンも間近です。


そんな紅葉シーズンを目前にして
私も紅葉に専念したいところなんですけど、
マスメディアがまた目に余るような偏向放送をしたので
ここで取り上げてみたいと思います。


この記事で問題にするのは、
10月28日にTBS「関口宏のサンデーモーニング」
石原慎太郎氏に対して常軌を逸した情緒的批判を行ったことです。


西陣に住んでます-サンデーモーニング


この「サンデーモーニング」という番組は
放送法でテレビ放送に求められる不偏不党の保障を脅かす
非常に危険な番組であるかと思います。
稚拙な論理的誤謬(ごびゅう)印象報道を駆使して
無理に世間を一定の方向に誘導しているのが節々で見えます。


今週の放送における石原慎太郎氏のバッシング報道は特にひどく
改めてこの番組がアンティ石原路線を突く進んでいることが
浮き彫りになりました。


ちなみに以前この番組では、
石原慎太郎都知事の発言を捏造したテロップを出すことで
石原氏を完膚なきままに批判したという前例があります。
テロップが捏造であったことが判明すると、
番組スタッフは書類送検され、
番組を制作しているTBSは石原氏に謝罪をしました。


そんな「サンデーモーニング」、
今回新党を結成することを表明した石原氏に対して
司会者とコメンテイターが呼応して
集中砲火のように批判を行いました。


この記事では、その一部始終を紹介したいと思います。



メモメモメモメモメモ



まずは、女子アナウンサーの橋谷能理子氏が
いつもの棒読み口調で石原氏の新党結成の経緯を説明します。


橋谷氏:突如都知事をやめて国政復帰の意欲を明らかにした石原氏、その足跡から今回の決断の意味を探りました。・・・


説明ヴィデオが終わると
司会の関口氏のネガティヴな感想を起点として、
コメンテイター全員による誤謬を多分に含んだネガティヴ発言が続きます。


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関口氏:まぁ思い切ったことを言いね(はい)、すぐに行動するって雰囲気に見えますから(ええ、ええ)人気が高い人なんだろう(え~え~)と思いますが、こうやって振り返ってみるとじゃあ功罪何だったんだろう?(う~ん)都知事としてね(はい)。え~まぁ~排ガスは確かに東京都民にとっては良かったね(はい)。でもその他のことはどうだったんだろうな?(う~ん)皆さんはどういうふうに受け止めていらっしゃいますか?


橋谷氏が関口氏の発言を正当化するように
いちいちうなづいてサポートするのはまるで漫才のようです(笑)


関口氏はまず浅井信雄氏に話をふります。
この人物は、反ダライ・ラマのスタンスを取ったり
先般の中国船尖閣侵犯問題やテロともいえる中国反日デモにおいても
中国の批判を一切することなしにひたすら日本の対応を批判しまくったり、
常軌を逸したように中国の国益に資する中国共産党の言い分を代弁する
かなり特殊な人物と言えるかと思います。
この日もまた中国を絡めて発言します。


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浅井氏:あのさっきの最後の話題で出てきましたけれど、やっぱり尖閣問題、東京都が買うと言いだしたことですねぇ。え~結果的には、まぁ中国にもまぁかなりの経済的に打撃が生まれてますけど、日本経済にもものすごい打撃があるわけですよ。ですから日中関係よく戦略的互恵関係って言うんだけれども、戦力的互損関係だと、お互いに損してる関係になっちゃうんだと、そういうその辺のことをですねぇ、まぁ野田さんのですねぇ、え~何と言うか稚拙な外交もプラスになってたんでしょうけども、やはり石原さんがそういうことを最初に手をつけたということについて、ようやくこのごろですねぇ、どうなんだという、必ずしもプラスでない評価が出てきてますよね。このへんはやはり、今後もやっぱり注目しなくちゃいけないし、議論しなくちゃいけない問題だと私は思ってますねぇ。


まず最初に、こんなに脈絡がなく内容のない発言をして
コメンテイターという仕事を務めることができるというのは
本当に大笑いですね(笑)
尖閣問題と言うのは、一義的には中国の度重なる領土侵犯の問題であり、
その解決プロセスに伴って生じた経済問題のみを取り上げて批判する
浅井氏の見識の低さを私は強く感じます。
ここで関口氏がさらに浅井氏を煽ります。


関口氏:中国とあまりうまくいかないって感じはありますね。石原さんを見てるとね。


浅井氏:基本的にまぁ嫌いなんでしょうね。その思いがあまりにも強く出ておりますから、その辺がもっとこれが現実的になればですね、今までだって外務大臣になったかもしれないし、総理になっていたかもしれない人ですが、そういう国のですねぇ、最高のポストをお任せできるのかどうかなぁというそういう疑問は呈してますよねぇ(う~ん)


中国共産党が好きという思いがあまりに強く出ている浅井氏にとっては、
中国の軍拡や領土拡張政策による日本の危機を唱える石原氏は
看過できない人物であることは間違いないと思います。


上記の浅井氏のコメントは次のような定言三段論法となっています。


(1)中国が嫌いな人物には国の最高のポストを任せられない
(2)石原氏は中国が嫌いである
(3)石原氏には国の最高のポストを任せられない


石原氏が中国を好きか嫌いかはわかりませんが、
仮に石原氏が中国を嫌いであるとしても
上記の論理は言語の曖昧性を利用した詭弁と言えます。


さらに上記の(1)(2)の文書をよく見てみるとわかるのですが、
(1)で用いられている「嫌い」は感性に基づく好き嫌いであり、
(2)で用いられている「嫌い」は政治的な分析に基づく好き嫌いです。
一定の国を感性に基づいて「嫌い」とする人物には
国の最高のポストに就いてほしくありませんが、
政治的な分析に基づいて「嫌い」とする人物が
国の最高のポストに就くことについては問題とは思えません。
もちろん、石原氏が政治家である以上、
石原氏が中国を嫌いというのは政治的な分析に基づくものです。

これは石原氏が中国に対する論理的な批判を

いくつかの著書で行っていることからもわかります。


つまり(1)と(2)の「嫌い」の意味が異なっているにもかかわらず、
同じと判断して(3)の結論を得ているわけです。
このような誤謬を「四個概念の誤謬」といいます。


対中国外交のストラテジーにはいろいろな選択があるかと思いますが、
常に中国に対して恭順するスタンスで
それに反対する人物に対してはことごとくこの番組で批判する
浅井信雄氏こそ真の危険人物であると私は考えます。
そして、そんな浅井氏を起用し続けるこの番組の偏向したスタンスこそ

危険であると思います。

関口氏は次にこれまた親中派政治家の河野洋平氏に意見をききます。


関口氏:まぁ河野さんは昔からよくご存じだろうと思いますけど


関口氏は河野洋平氏のコメントに思い切りうなづきます。


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河野氏:ぼくはあの辞職の記者会見を聴きましたけどね、もう異常~に不愉快でしたね(う~ん)。諸般の事情に鑑みて辞めるという諸般の事情とは一体何なんなのか?あれ見る聞く限りね、自分の都合ですよね(うんうん)。もう自分がここが最後のチャンスだと思うからこれで都知事の方は辞めて国政やるって(うん)言っているように僕には聞こえました(うん)。そしてね、あのいろいろおっしゃるけれども、もう一方的にあれはダメだこれはダメだと、自分の意に添わないのは、あいつはバカだと(う~ん)。もうどうしてあんな立派なその小説を書く方がね(う~ん)、ああいうその話をするときにはあんなに口汚くね(う~ん)罵るかと。もう少し都知事の会見って言うのはちゃんとした言葉でちゃんと相手の言葉も考え、自分の主張も冷静に述べるということがなぜできないのか?私は人間的に相当欠陥があるんじゃないかと私は思いました。


「都知事の方は辞めて国政やるって言っているように僕には聞こえました」
というのはあくまで河野氏の推測であり、
情報番組でこのような推測を述べるからには
何らかの客観的な根拠を述べることが必要であると考えます。
そうでなければ単なる憶測による中傷に過ぎないと思います。
「自分の意に添わないのは、あいつはバカだ」と言っているのは
むしろ河野氏の隣に座っている浅井信雄氏です(笑)


また、言葉遣いで政治家を批判するというのは
論点に的中しない別の論点を根拠として立論する
「論点変更(論点すり替え)の誤謬」といえます。


「相手の言葉を考えて自分の主張を冷静に述べることができない」
などという個人的憶測を基に「人間的に相当欠陥がある」
と結論付けてテレビで公言することは、個人の品性について

社会から受ける客観的評価を低下させる誹謗中傷であり、
名誉棄損にあたると考えます。


さらに「人間的に相当欠陥がある」とするのは明らかな「対人論証」です。


関口氏:そうですか。う~ん。あの議員をおやめになった時は何が原因だったんですかね。国会議員をね。


河野氏:あれはつまり永年勤続25年の表彰を院議を持ってするというんでみんな本会議場に集まっているときにあの~俺は辞めるというわけですよね(あれなんだった?)。なんか、あの時の演説を見ると、何やってもみんなうまくいかないからダメだと(う~ん)、みんなだらしがないと、なんか


岸井氏:激烈な国会議員批判をやりましたね。(う~ん)


河野氏:それでもうこんな国会なんかいられないって言って辞めたわけですよね。


関口氏:それでまた出ていらっしゃるんですよね。


河野氏:また出てくるんですね~(嘲笑)


発言の経緯を説明せずに、言葉の表面の一部をとらえて
必要以上に問題視して批判するのはこの番組の得意とするところです。
河野氏の論理で言うと、
国会議員を批判することは悪いことであるということですが、
それって河野氏や関口氏も含めて
この番組で毎回やっていることではないでしょうか?
それと国会議員を辞職した人物が
再び国会議員に立候補することも道義上問題ないと考えます。
再び国会議員に当選するか否かは国民が投票で決めることであり、
河野氏や関口氏がテレビという全国放送のメディアを通して
レトリカルクエッションの形で堂々と揶揄することは
極めて危険な行為と言えます。


このように河野氏と関口氏の一連の論理は、
理由として挙げられていることが理由となっていないことから
「不当理由の誤謬」であると言えます。


関口氏:女性たちはどう思いますか? 西崎さん


関口氏は大学教授の西崎文子氏にふります。


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西崎氏:別に男性女性は関係なくなんですが、とっても特徴的だと思いましたのは、それは、次はだれですかって言ったときに、猪瀬副知事で十分だというその表現もちょっと面白いなと思ったんですが、しかしあの本当におやめになる方が、それも途中でおやめになる方が、後任人事のことを口に出す、選挙で選ばれるべき後任人事のこと口に出して、それ自体をすごく違和感があるんですけれども、それがふと考えると日本の政治ってそうだったのかっていうところに思いをみたらしてなんとも暗澹たる気持ちになったんですが。やはり石原さんっていうのはこう、自分は別だ、自分は特別だという意識が非常に強い方だと思うんですね。ですから言いたい、おっしゃりたいことをおっしゃって物議を醸してその場を突き進むと。で多分周りもこの人は特別なんだっていう意識で接してきているんだろうと思います。そのへんのところはやはり考えなくてはいけないというふうに思ってます。


西崎氏は「猪瀬副知事で十分だ」という石原氏の発言をどんどんふくらませ、
「日本の政治ってそうだったのか」という考えを経由して
最終的には「石原氏は言いたいことをいってその場を突き進む」
という結論を導いています。
これは「滑りやすい坂論証」といわれる誤謬です。
前提から結論への飛躍が小さい論証を繰り返すことで
最終的に最初の前提とはかなり飛躍した結論を導くものです。
言葉の一部を問題視して最終的に極悪人を作ってしまうという
子供のイジメによくあるパターンです。


ただ、今回の西崎氏の立論の場合、
その小さい論証の中にも大きな飛躍が認められます。
それは、石原氏がいくら後継を猪瀬氏であると発言したとしても
投票もしないで猪瀬副知事が都知事になるわけでもありません。
つまり石原氏は後任人事に口を出したわけでなく、
あくまで猪瀬氏を推薦しただけであり、
まったく批判にあたることではありません。
西崎氏は論証能力の低さを露呈させてしまいましたね。


関口氏:大崎さん


関口氏は大崎麻子氏と言う
これまたなんとなく社会情勢のキーワードばかり
適当につなげて物を言う人物に話をふります。


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大崎氏:はい、あのリーダーシップ、政治に求められるリーダーシップって何なのかなってすごく考えさせられまして、あのこの間IMFと世界銀行の年次総会で各国の首脳級が集まってましたけど、ある国の大統領がリーダーシップの資質?を問われて、他の人をモティヴェイトする、他の人の話を聞いてやる気を起こさせてその人たちが動けるようにする、それがリーダーに必要な資質であるということをおっしゃっていたんですね。それってやっぱり人の話を聞く?っていうのが基本としてあると思うんですけれども、今のこの一週間見てますと、非常にこう、こうやればいいんだっていう廃除的で威圧的で一方的に話をするというような人がこの政治のリーダーシップというふうにちょっととらえられてしまっているような感じがあって、本当にそうなのかな?っていうことを今ちょこっと考えています。


はっきりいってこの方、何を言っているのかよくわかりません(笑)
ある国の大統領が「人の話を聞く」ことがリーダーシップの資質である
と言ったことから「人の話を聞けない」石原氏は
リーダーシップの資質を持たないと言いたいのかと思いますが、
そうだとすると、典型的な「権威論証」と言えます。
これは、ある国の大統領のような権威者の言うことは
常に正しいということを根拠に立論する誤謬であり、
まったくナイーヴな考え方と言えます。


また、このコメントでは、「廃除的」「威圧的」「一方的」などの
レッテル貼り(name-calling)や固定観念化(stereotyping)に頻出の
ネガティヴな情緒的言語(emotional language)を多用していますが、
これによって、逆にこのコメントが
この手の番組の制作側が好むような単なる批判のための作文であることが
顕在化してしまっていると私は思います。


関口氏:ただそういうもの言いをするから人気があるっていう


石原氏は威圧的な物言いをするから人気があるという
明らかに根拠を欠いた論理で関口氏が石原氏を批判すると、
石原氏は過激な物言いをするから人気があるという
これまた根拠を欠いた論理で岸井氏が賛同します。


岸井氏:まぁそうでしょうね。


関口氏:そうでしょう


岸井成格氏:過激なところがうけるっていうかね


関口氏:ねぇ


結論に至る根拠が妥当であれば発言に意味はありますが、
根拠を欠いて批判的結論に至っているのであれば、
誹謗中傷以外の何物でもありません。
岸井氏が次のように発言すると、関口氏もうなづきを繰り返します。


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岸井氏:はっきりしてるってところがね。まぁ今日たまたま河野さん。我々メディアから言うといつも対極なんですよ。石原さんと河野さんがね(はぁ)。つまりかつての自民党の中でもタカ派右が石原さん(うん)、左ハト派を代表するのが河野さんっていうね(うん)、そういう対局的な存在ではありますけど、私この新党作ること自体はそう新しいあれじゃないんですよね。出ては消え出ては消え(あぁそうですか)ず~っときててここにきて80歳になってやっぱり自分の一生をどう締めくくるかってこと考え始められたんじゃないですかね(うん)。中々今までいろいろやってきたことうまくいかなかったけれども(うん)、やっぱり一貫して石原さんが言い続けていることは、戦後の日本人はダメになった。日本もダメになった。そんなんじゃ沈没する。それはなぜかっていうと、アメリカから押しつけられた憲法と日教組の教育だというこういうところから始まるんです(ふんふん)。もう一つ付け加えると、中央の官庁、中央官僚制度だと、これをぶっ壊したい。変えたい。これでいいよね。それをまぁ最後の人生賭けて(うん)国政に戻ってそれをやりたいということじゃないですか(うん)。そのためにこういろんな勢力結集したい。やれればですけどね(うん)。そういう気持ちを持ったんだろうと思いますね。だからそれは尖閣の領土問題がそれが追い風になったり(あぁ)、あるいは息子さんがあの自民党の総裁選で敗れましたよね。もしあれが総裁にでもなってたらね、いろいろなこと考え、そりゃあなかなかこう出馬ってことはできなかったと思うんですよ(うん)。そのへんが吹っ切れたと(うん)。いろんなことが重なったんじゃないですかね。


岸井氏は、石原氏の今回の行動の要因として
「80歳になって自分の一生をどう締めくくるかということを考え始めた」
「最後の人生を賭けて国政に戻ってそれをやりたい」
「尖閣の領土問題が追い風になった」
「息子が自民党の総裁選で敗れた」
という単なる憶測を並べ「いろんなことが重なった」と結論付けています。
これらのファクターはけっして岸井氏が初めて言ったことではなく、
ワイドショーなどで頻繁に言われていることです。
もちろん政治家の行動に対して
いろいろと分析をするのは必要なことかと思いますが、
その分析結果に対して裏付けを取らないで
このように何度も何度もただただTVで繰り返していると
あたかもそれが真実のように独り歩きしてしまうことになります。
毎日新聞という大新聞の主筆がそのような不確定情報を
先頭に立って広げている姿を見ると絶望してしまいます。


関口氏:でもこれによって中央政界がねぇ、相当また動きますわねぇ。


岸井氏:そうですね。動かざるを得ないでしょうね。


関口氏:ではそれをコマーシャルを挟んでお伝えします。


ということで、得意の政局の話を始める「サンデーモーニング」でした。

重要なことは、
上記の批判のほとんどが石原氏の政策に対する批判ではなく、
石原氏の人物に対する批判、
つまり対人論証の誤謬を犯していることがわかるかと思います。
このような論証に値しない批判が一部の視聴者に浸透して
世論の形成に一役買っていることを考えると落胆せざるを得ません。




テレビ風をよむ


「サンデーモーニング」では番組の最後に「風をよむ」という
世の中の現状を情緒的に批判するコーナーがあります。
ヒーリング系の音楽が流れ、
病に陥っている世の中を信頼のおける番組コメンテイターが
静かに治療するみたいなコンセプトで作っているのでしょうが、
私が考えるにこのコーナーほど危険なコーナーはないかと思います。

明らかに番組のスタンスに合致するような意見の
街頭インタヴューから始まり、
ヒーリング系の音楽によって脱力&思考停止させられた視聴者が、
リラックスして油断しているうちに
コメンテイターの言葉を受け入れてしまうという
一種の悪徳新興宗教の手口とよく似ているかと思います。

風どころか世間の空気も読めないようなコメンテイター(笑)が
音楽の助けを借りて、論理では論証できないような内容を
情緒に訴えて説くという極めて悪質な手法です。

今回のテーマは「保守」でした。


橋谷氏:石原都知事の新党結成表明以来良く耳にする言葉。その言葉が本当に意味するものとは何なのでしょうか?


ここで街頭インタヴューを含む説明ヴィデオが流れ、
それが終わると一息おいた絶妙なタイミングで関口氏が話し始めます。


関口氏:御厨さんがね(はい)先鋭的って言う言葉をお使いになったけどね(はい)。先鋭的な保守的考え、やっぱり竹島とか尖閣の問題聴いていると、有権者も走りがちになる(う~ん)、ちょっと僕は危険な空気が世の中にあるかなっていう気がしてるんだよね(はい)。ええ。


関口氏は、いつもオキマリなんですけど、
「何か地球がおかしい」とか
「人々は何かを忘れている」とか
「これは人類に対する警笛のように感じる」とか
「危険な世の中になっている」とか
終末理論に似た言葉を発します(笑)
そして、この後で各コメンテイターが深刻な顔をしながら
関口氏の言葉に合致するような路線で話を続けます。


関口氏:そう河野さんどういうふうにお考えになっているか


河野氏:あの~保守って言うのはさっきも出ましたけど辞書を引けばですね、昔のものを変えないっていうこというんですけど、やっぱり政治の世界では、物事はやっぱり日々改良改善を加えていかなきゃいけないですね。改革されていく必要があるんですよ。ただ保守の場合にはそういう変えていく進歩していくときには、やはりその穏健な穏やかな前進というものが保守の一番重要なところだと思うんですね。これを過激に急進的にやると、なんかこう世間にかっこよくアピールするからっていって過激な言葉を使って過激に変えていくっていうのはこれは保守ではないんですね。むしろそれは改革、革新的だというべき、保守と言うのはもっとその権力を使うときにも非常に抑制的な権力の使い方をすべきであって、穏健な慎重なしかし前進をしていかなきゃいけないというものが保守だと私は思います。


現代の意味で「保守」と言うのは、
過去の歴史の成功例や失敗例に学び、
その伝統の精神をアナロジーとして
現在の様々なイシューにアプライしていくフィロソフィー
であると私は理解しています。
つまり成功例についてはそのアイデアを積極的に活かすことに使い、
失敗例についてはその失敗を再び繰り返さないための分析に使うことで、
前進していくために利用する論理であると考えます。
河野氏のいう「穏やかな前進」と言うのはその通りであると考えますが、
「抑制的な権力の使い方」というのはあたっていないかと思います。


関口氏:下手すると時代逆行する考え方も出てきちゃいますからね。いかがですか?


浅井氏:その先鋭とかですねぇ過激とかいうことは、あの~民主主義の中からも生まれてくるんですねぇ。これは。そこがやっぱり世論というものは、あの衝動的・感情的に動くことが非常に多いんですよね。ですから例えば昔、ワイマール憲法と言う非常に民主的な憲法を持っていたドイツがですね、その中からヒトラーを生み出していったんですよ(あ~)。だから今の日本はやはりですね。保守と言ってもその中のこうかなり右によりすぎた部分がですね、さらに先鋭化するんじゃないのかなぁって不安があるわけで、それに対する抑止力っていうか、歯止めをかけるようなそういう存在が期待されると私は思ってますね。


河野氏のコメントは、日本に保守が台頭すると
まるで軍国主義になるような論理ですが、
それこそ時代錯誤の空論であると考えます。
ちなみに、浅井氏が支持する中国共産党は
ヒトラーよりも多くの人を粛清していると考えられていますし、
左のスターリンに至ってはその上をいっています。
世論を感情的に動かしているのはまさにこの番組です。


関口氏:う~ん、西崎さん。


西崎氏:確かに何が保守かっていうと混乱してくることありますし、あの今保守って言われている方々の政策なんかもかなり多様ですけれども、一つは私あの共通しているところがあるとすればそれは歴史認識とそれから教育問題だろうと思うんですね。やはり安倍さん、橋下さん、石原さん、三方ともあの日本の伝統に誇りを持てる教育をしなきゃいけないとおっしゃっている。ただ、それはそれでよろしいのですけど、ただ誇りを持つっていうのこれ人それぞれだと思うんですよね。(どこが誇り?)そうなんです。何に誇りを持つのか。それをなんかその政治が主導で教育にまぁコントロールしていくと、介入していく。それは非常に危険で、それは逆の方向でも危険ですね。中身をコントロールすること自体が危険なんであって、そこからなんとなく違うんだけども保守だっていうところに共通して見えるのではないか。そこに対して私はまぁ教育に携わる者として本当にこう危惧を感じております。


教育の議論をするだけで危険と言うこと自体、かなり危険です。
日本の伝統に誇りを持てる教育というのは私は賛成です。
日本の伝統に誇りを持てる教育がこれまでなかったこと自体、
特定の団体にコントロールされた状態にあったものと考えます。


関口氏:大崎さん。


大崎氏:VTRの最初の方で若い人達がわかんないってことをおっしゃっていて、それはもう思想とか理念、保守の理念・思想と言うものってももう一つあるとは思うんですが、今これだけグローバル化とかIT技術の革新とか少子高齢化が進んでいて、こういうことも本当に産業構造も雇用形態もその職に求められるスキルというのもものすごく変わっているんですよね。その中でその一番やっぱりこれからどうなっていくのか、ちゃんと食べていけるのか、子供持てるのかということ心配してるのは若い人だと思いますし、それから子育て世代だと思うので、そこらへんのとき急激な環境変化がある時に「保守は」という考え方は何をこう未来に提示するのか、そこらへんがものすごく乖離していて生活者から見ると本当にわかりづらいという印象を持ちます。


相変わらず何言っているのかわかりませんが(笑)、おそらく
現代のような変化の時代に変化を拒む「保守」という概念は適応しない
と言いたいのではと思います。
そして、そうだとしたらその論理は破綻しています。
「保守」と言うのは、過去のメソドロジーを尊重するフィロソフィーであって、
当然環境変化にも追従するものです。
言語曖昧の誤謬か、知識不足であると考えます。


岸井氏:そうですね。あの~VTRであったように若い人たちがね、なんか保守と言われてもよくわからないっていうのは、私それ無理もないって思うんですよ。こういう言い方当たっているかどうかわかんないんですけどね、失われた20年と言う政治経済の混迷がずっと続いてきているトンネルの中に入っているっていうんですけど、実を言うとこの20年で保守とは何か?って問われ続けた20年でもあるんですよ。というのはね、メディア的にものすごく大きなことが起きたのは先ほどVTRにあったように細川内閣ができて村山内閣ができてあっという間に革新と言う言葉がメディアから消えたんです(そうでしたね)。革新が消えちゃうと保守も影が薄くなってね。保守って何なのってなってきちゃったんです。それを今もう一回再構築。55年体制の時は、冷戦下で導入選択をするかという選択だったんですね。それは冷戦も終わったバブルの時、55年体制も終わった。新しい保守と革新と言うのは定義しなおすとそういう時期を迎えているというんだと思うんですよね。


何を言いたいのか、本当にわかりません(笑)
主筆がこんなだと、
毎日新聞はさらに売れなくなっちゃいそうですね。



メモメモメモメモメモ



以上、石原慎太郎氏に対する
「サンデーモーニング」のバッシング報道を
詳しく見てきました。

当事者が反論の機会のない番組で
偏った考えを持つ司会者とコメンテイターが
一斉にこれだけ不適切な対人論証による批判を行うのは
極めてアンフェアであると考えます。


特定の政治家に対して批判を行う場合には、
当事者を番組に出演させるか、
異なる考え方をもつコメンテイターを出演させるなどして
放送法でテレビ放送に求められる「不偏不党」の原則を
保障すべきです。


番組製作者および出演者は猛省し、
このような有害なセッションを
二度と放送すべきでないと考えます。