平安京の四神相応を考える
桓武天皇は京都を四神相応(ししんそうおう)の地として選定し、
平安京遷都したという説があります。
四神相応の地というのは、
古代中国に始まった風水のキャラである四聖獣(四神)が
東西南北の各方向の地形とフィットする地のことです。
この四神相応を深く考えるための基礎知識として、
ここでちょっとだけ風水の重要な考え方である五行説について
触れておきたいと思います。
五行説とは、
世の中のすべてのものは、木、火、土、金、水の5つからできていて、
それらは互いに関連してるというものです。具体的には、
木から火が生まれる(木が燃えると火ができる)
火から土が生まれる(火に焼かれて灰が生まれる)
土から金が生まれる(土を掘ると金が出てくる)
金から水が生まれる(金属の表面に水滴がつく)
水から木が生まれる(水を吸収して木が生長する)
という五行相生と、
木は土に勝つ(木は土の中に根を張って養分をとる)
土は水に勝つ(土は水を吸い取ってせき止める)
水は火に勝つ(水は火を消す)
火は金に勝つ(火は金属を熔かす)
金は木に勝つ(金属は木を傷つけて切り倒す)
という五行相克から成ります。
陰陽道の陰陽五行説は、この五行説をベースとしています。
五行相克の図は、陰陽師が魔除けに使う
五芒星(ごぼうせい:Pentagram)として有名ですね。
五行は、
TVゲームとかカードゲームのキャラにある属性みたいなものと考えると
話は楽です(笑)。そして、この5つに対応したキャラが実際にいるんです。
木:青龍(せいりゅう)
火:朱雀(すざく)
金:白虎(びゃっこ)
水:玄武(げんぶ)
土:黄龍(こうりゅう)
これらの各キャラは、方位や季節や色などの属性をもっています。
木:黄龍 東/春/青(緑)
火:朱雀 南/夏/赤(朱)
金:白虎 西/秋/白
水:玄武 北/冬/黒
土:黄龍 中心/土用の丑/黄
(行:聖獣 方位/季節/色)
このうち黄龍は5キャラのリーダーです。
土地の中心を守る聖獣で、な・・・なんと
宇多天皇の時代に天に昇るところが目撃されています(笑)。
ちなみに扶桑略記という歴史書に書かれているようです。
東スポのような歴史書ですね(笑)。
一方、黄龍を除いた4キャラは四聖獣(四神)と呼ばれ、
東西南北の各方向の守護神となります。
そして、この四聖獣が東西南北の各方向の地形とフィット(相応)するとき、
その土地は四神相応の地となるわけです。
この土地は、龍穴とも呼ばれます。
以上が四神相応の基礎知識ですが、
日本では、四神相応の地かどうかを判断するのに、
北→山、東→川、西→道、南→池という
「山川道澤説」がよく知られています。
ところが、この山川道澤説って
平安時代の後期に日本で成立したということらしく、
オリジナルの中国で考えられている四神相応の地形とは
違うということなんです。
そこで、この記事では、
一体全体、桓武天皇は中国・日本のどちらの説をベースにして
京都を四神相応の地としたのかを考えてみたいと思います。
中国式の四神相応と日本式の四神相応の二つに分けて
どうなのか見ていきま~す。
中国式の四神相応
まずは、中国と日本で四神に相応する地形が違うということで、
どこがどう違うのかしっかり調べてみようと思いました。
ところが、いろんな本を見てもネットを見ても、
基本的に山川道澤説ばかりで中国の原型が見えてきません。
そこで、「中国のウェブサイトを実際に訪問して調べみよう!」
と一大決心をしました。
というのも、
私にも中国語の知識が全くないわけではないからです。
実は、子供のころにちょっとだけ勉強したことがあるんですよ。
↓こんなに難しい中国語でも簡単に読めます。
立直一発門前清自摸和!純全帯ヤオ九三色同刻一盃口!
(リーチイッパツツモ!ジュンチャンサンシキイーペーコー!)
凄いでしょ~(笑)
早速、中国サイトを訪問したところ、
自信を持って読めたのは、トン・ナン・シャー・ペーくらいでした(汗)。
途方に暮れていたところ、
もしかして英語サイトだったら何かわかるかもと思い、
英語サイトを訪問してみることにしました。
[風水サイト1]
[風水サイト2]
[風水サイト3]
[風水サイト4]
その結果、作戦は成功しました。
日本の山川道澤説は見当たらず、出てくるのは次のような説でした。
北:玄武(Black/Dark Tortoise)→高い山
東:青龍(Green/Azure Dragon)→低い丘
西:白虎(White Tiger)→青竜よりも低い丘
南:朱雀(Red Phoenix/Vermilion Bird)→平地(川、池、野原、道)
この説をベースに京都の地形を見てみると・・・
平安京周辺の地形がかなりよく四神に相応していることがわかります。
北:玄武→北山(丹波山地)
東:青龍→東山三十六峰
西:白虎→嵐山
南:朱雀→淀川水系、巨椋池、西国街道/京街道
つまり、次のような解釈です。
北に北山の高~い山々、
東に大文字山などの東山三十六峰という低い山々、
西に東山に比べてやや低い嵐山を中心とする山々、
南に淀川水系の合流点や巨椋池(現存しません)や重要な大街道
さらに、平安京の重要な政府機関が集中する大内裏だけを見ても、
北:玄武→船岡山
東:青龍→吉田山
西:白虎→雙ヶ岡
南:朱雀→神泉苑(御池)
山の高さに目をつぶれば、結構いい線いってます。
(大内裏についても 四神相応となっていることが重要だったと思います。)
ちなみに、風水の本家本元の中国の長安を見てみると、
たいしたことありません(笑)。
北に川、南に高い山、東に低い山、西にも平地といった具合で、
どちらかといえば、四神不相応の地です(笑)。
中国も言い出しっぺのわりには実践していないんですね。
・・・ということで、中国式の考え方をベースとした場合、
平安京はまさに四神相応の地ということができます。
日本式の四神相応
日本式の四神相応の根拠となっている「山川道澤説」が
最初に出てくる文献は作庭記(さくていき)といわれています。
作庭記は、平安時代後期に書かれたと考えられている
有名な庭造りマニュアルです。
その原文がこちらの[ウェブサイト]
で公開されています。
重要な部分を引用すると、次の通りです。
人の居所の四方に木をうゑて、四神具足の地となすべき事
経云、家より東に流水あるを青竜とす。
流水なもしそのけれバ、柳九本をうゑて青竜の代とす。
西に大道あるを白虎とす。若其大道なけれバ、楸七本をうゑて白虎の代とす。
南側に池あるを朱雀とす。若その池なけれバ、桂七本うゑて朱雀の代とす。
北後にをかあるを玄武とす。もしその岳なけれバ、檜三本うゑて玄武の代とす。
かくのごときして、四神相応の地となしてゐぬれバ、官位福禄そなはりて、
無病長寿なりといへり。
つまり、この文章を読むと、こう解釈することができます。
北:玄武→丘
東:青龍→流水
西:白虎→大道
南:朱雀→池
それで京都が四神相応の地としてよく言われる根拠が次の解釈です。
北:玄武→船岡山
東:青龍→鴨川
西:白虎→山陰街道
南:朱雀→巨椋池
確かにこの解釈もよく対応してますね。
この日本式の四神相応の解釈は、
確かに中国の風水でいう四神相応の解釈とは違っています。
そして、「作庭記が平安時代後期に書かれた」ということから
桓武天皇はあくまで中国の風水にしたがって平安京を創生したのであり、
日本式の四神相応は
平安京のレイアウトを参考に生まれた後付けの俗説と言われています。
本当にそうでしょうか?
私は、この日本式四神相応の解釈は、
平安京を創生したときからあったんだと思っています。
つまり、俗説ではあるかもしれませんが、後付けではないということです。
どうやら
後付けであるという根拠は、「作庭記が平安時代後期に書かれた」
ということによるもののようです。
文章として残っている最古のものは、平安時代後期かもしれませんが、
だからといって、「その解釈が平安時代後期より前にはなかった」
とは言えないはずです。
事実、「平安中期に造られた」寝殿造の東三条殿は
山川道澤の四神相応の庭に見えます。
(山→建物、川→池への水路、道→西側の空間、澤→池)
また、「平安時代前に造られた」平城京だって、平安京ほどではないものの、
よく見ると、山川道澤の四神相応になっています。
(山→北の丘、川→佐保川、道→大和街道、澤→南の低地)
そして、「平安時代初期に造られた」平安京の大内裏を見ても、
やっぱり山川道澤の四神相応の地になっています。
まず、北の山としては船岡山、南の池としては神泉苑があります。
次に東の流水ですが、東に集中している河川がこれにあたると思います。
そして、西の大道ですが、京都一番の大道である二条通の延長で
聖徳太子が建てた広隆寺への道である太子道がこれにあたると思います。
北:玄武→船岡山
東:青龍→南北小河川群
西:白虎→太子道(二条通)
南:朱雀→神泉苑
私は、山川道澤説は平安時代前からあって、
桓武天皇は確信犯的に大内裏の場所をここにしたのだと思います。
なぜかといえば、ここに大内裏を作って開発すれば、
黙っていても大内裏は山川道澤の四神相応の地になり、
黙っていても平安京自体も山川道澤の四神相応の地になるからです(笑)。
・・・というわけで、平安京の四神相応について、
中国的解釈と日本的解釈を織り交ぜて考えてきましたが、
私の結論としましては、
桓武天皇は、日中両方の四神相応の解釈にベストフィットする地に
平安京と大内裏をレイアウトしたんだと思います。
陰陽師にはお疲れさまと言ってあげたいです(笑)。
最後に、日本の他の都と比較してみますと、風水的には
やはり平安京が抜群に優れた地となっていることがわかります。
こうやって見てみると、山科も結構いい線いってるんですけど、
ちょっと狭いですかね(笑)。
四神相応の地、京都をこちらで眺望してください。