比叡山延暦寺東塔の根本中堂 | 西陣に住んでます

比叡山延暦寺東塔の根本中堂

比叡山延暦寺

(どの写真もクリックすると拡大します)



比叡山延暦寺は多くの名僧を輩出しました。


わかりやすく言えば、延暦寺は仏教界にとって
手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄を輩出した
トキワ荘のような存在なんです(笑)。


とりわけ、社会の教科書に名前が出てくるような有名人として
次の方々が比叡山延暦寺の出身です。


浄土宗法然
浄土真宗
親鸞
臨済宗
栄西
曹洞宗
道元
日蓮宗
日蓮


この人達は、同じ仏教とはいえ、思想がかなり違う人たちです。

例えば、

法然と親鸞は、

念仏さえ唱えればすべての人が浄土に行けるという考えですし、
栄西と道元は、

形式にとらわれず悟りを重んじる禅宗の考えですし、
日蓮にいたっては、

法華経のみをリスペクトしてほかの宗派を否定する考えです。


なぜ、一つの延暦寺からこんなに様々な考えをもった人たちが

巣立って行ったかといいますと、
最澄が天台教学・戒律・密教・禅とういう非常に幅広い4つの思想を輸入して
教えたことによります。


こちらは、お坊さんたちの勉強の場である講堂です。

比叡山延暦寺

比叡山延暦寺


さて、延暦寺の中心となる建物がこちら国宝根本中堂です。


比叡山延暦寺

(パノラマ写真です。ぜひクリック拡大してみてください)


そして、こちらが根本中堂の門です。


比叡山延暦寺


中はもちろん撮影禁止なので、何があるかを文章で紹介します。


長い回廊の向こうにあるお堂には秘仏薬師如来立像がありますが、
残念ながらこれを見ることはできません。
秘仏というのは、厨子の中に保管されているもので、
1年に1回とか50年に1回とか100年に1回とか

開扉する日があらかじめ決められているんです。
このため、たとえ住職のお坊さんであっても一度も見ることができずに
一生を終えてしまうこともあるんですよ(笑)。
そして、この薬師如来立像は

開創1200年にあたる1988年に一度だけ開扉されたんです。
なお、次にいつ開扉されるのかネットで調べてみましたが、
今のところ答えを探し出せていません。

それ自体が秘密ということもありえます。


さて、本尊の前には、最澄のときからあるという
不滅の法灯というが灯されています。
実際には、この火は織田信長比叡山焼き討ちのときに

途絶えてしまったらしいのですが、
山形県の山寺に分灯していた火があり、これが現在灯されているそうです。
北京オリンピック聖火みたいに、誰に消されても大丈夫なよう
保険をかけていたわけではないのでしょうけれど(笑)。


なお、悪名高い織田信長の比叡山焼き討ちですが、
これはガンジーのような無抵抗なお坊さんを焼き殺したわけではなく、
実際には、織田信長軍とかなり手ごわい比叡山軍(僧兵)との戦闘でした。
織田信長は再三にわたり武装解除するよう比叡山に警告しましたが、
比叡山はこれを拒否し、戦闘となったわけです。
なお、間違いやすいのですが、僧兵というのはたいていの場合、

かなり訓練された軍人です。
織田信長は僧兵以外にも女子供まで焼き殺したといわれますが、
これは女子供がゲリラ戦を仕掛けて来たからのようです。
宗教戦争の悲惨な側面ですね。
ただ、仏教の聖地の比叡山に女子供がいたこと自体、
めちゃくちゃ不思議なのですが・・・


こちらは、平和の鐘(開運の鐘)


比叡山延暦寺


1回50円で鐘を突くことができま~す。




♪今日聴いた一枚♪


Invisible Touch/Genesis


ジェネシスです。

ジャケットの手は、素直に考えると女性の手のはずなのですが、

どう見ても・・・


[youtube: Invisible Touch]