十代半ばあたりの記憶 | wonder-kyのブログ

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そんな毎日を綴ってみようかな

ある方のブログのテーマ拝見させて頂き、久々に思い出した。

10才辺りから柔道始めたのはいいけど、指導者が来なくなり、荒れた高校生・中学生が道場にたむろするようになった。同級生は誰も来なくなった。

でも、私は強くなりたい、柔道が好きだというので、小学生は私一人だった。もうおもちゃです。

後頭部を思い切り打ちつけ、気を失い、気がついたらまた投げ飛ばされる。あの頃なんであんなに意地ともいえる位に通ってたのかよくは覚えてはないけど、負けたくないというのはあった。

やがで中・高生も飽きて来なくなり、指導者も来るようになり、元の平和な道場に戻った。結局道場では負けない自分が出来た。上級生でもまず負けなかった。結局主将を任され、まあまあ充実してたのかな。

大会にも出て、でも強い奴は強い。O島って奴が大会でいつも優勝してて、ある大会でO島とやった時、技ありをとった。「よーし、これでこの大会はもらいだ」となんか心が揺らいだ。彼は落ち着いてた。流れで見事に一本とられた。余り悔しさがなかった。その位綺麗な技をかけてきた。

中学に入ると、柔道部ないのでバスケット部に入った。上級生と合わなくて、バレー部にスライドした。バレーは結構アタッカーで活躍出来た。三年の夏は勝ち進んで、夏が終わったら男子バレー部は廃部。

高校でバレー部入ったけど、生活自体ドロップアウトしていった。しょっちゅうパチ屋で玉打ってた。バレーボール打たなきゃいけないのにね。

中学でも時々O島とは会ってた。なんか学校は一緒になったことないけど、気があった。ある日高校もいい加減に過ごしてたら、O島が「一緒に刑務所行こう」と刑務所の道場で練習誘ってくれた。もうレベルが全然違う。O島はいつも腹減らしてた。どちらかと言えば小柄なので、キャベツばっかり食べて、55キロキープしないといけないそうだ、階級があるから。強い奴は勝たないといけない。勝つためには確実性を得なければならない。私とは違う生き方になったんだな…と思った。刑務所で私の技見た責任者の方は「受け身やってなさい」との事。O島はそこで、看守とも互角に闘ってるのに。でもO島の気持ちはわかった。一緒に頑張ろう…という思いなんだろう。昔から温厚で優しい奴だった。私とは器が違った。トップにいつもたってた者が、努力して維持していかないという辛さも見せず、私をなんとかしようとの思いやり。結局高校も16の春で、退学届けだしたけど。

今は、奴もいい親父になってるだろう。あれから全く会うことなかったけど、なぜか暖かい思い出…