神社についての説明です。倭との関係性、古墳との関係性についても触れられています。
由緒は不詳だが、平安時代の「延喜式」神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、[大島郷倭大国魂神社]の墨書があると言う。小笠原氏が崇敬した神社でもあった。「日本書紀」の第10代崇神天皇紀6年に「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が、「延喜式」で[倭大国魂]を冠する神社は他になく、[倭大国魂]との強い関係性が窺える。境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。神社北側の吉水には[吉水遺跡]があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。
神社の社紋です。柏紋でした。これをメノラーゆうユダヤ教の燭台を模しとると言う人もおるみたいですが、本数数えたら九つにわかれとります。メノラーは七つじゃから、某は違うんじゃないかなと考えとります。
なお、この神社のすぐ東脇の林の中に古墳があります。倭大国魂古墳と言います。因みに陥没しとるのは盗掘によって起こったとの話でした。
標識から回ってゆくと直ぐに石室の入り口があります。古墳の南側上部の斜面で、土砂が堆積しとる為に、大人一人が腹ばいになってやっと入れる広さです。
石室入口から東→北→西へと石室下部を撮影したものです。
下は両手で抱えるくらいの大きさの石を積み上げ、天井部分は一点ものの石で蓋をしとる感じです。そして、隙間を埋めるための石を沢山用いとります。昔飛鳥地方にある石舞台古墳を見に行った事があるんですが、あれの小型版といった感じです。
八幡神社拝殿です。そして、八幡神社の境内にも興味深いものがありました。
社日塔ゆうそうです。五角柱で其々の面に日本神話の神様の名前が刻まれとります。同じようなものが徳島には二千基あるそうで面の加工が粗いことから、八幡神社の社日塔はそれらの内の最も古いものじゃないかとされとるそうです。
境内入り口には、東西二箇所に常夜灯がありました。昔は上の升に障子を貼って中に蝋燭を立てて使用したそうです。そして、以前常夜灯は境内に至る東西の道にもあったそうです。なお、常夜灯に主として用いられとる石は阿波の青石とゆうそうです。古くから剣山一帯で取れる石で、中には古墳内部でも阿波の青石が使われとるものがあるそうです。そして、神社内にも青石をつこうとる場所がいくつかあったんですが、風化の度合いから青石が一番古くから用いられとるんじゃろうなと感じました。以下は常夜灯についての規程です。
主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に命じて、オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ、常夜灯にともさせ、臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に備え付けさせなさい。アロンは主の御前に、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき不変の定めである。アロンは主の御前に絶やすことなく火をともすために、純金の燭台の上にともし火皿を備えつける。レビ記 二十四章一〜四節
神社の本殿や拝殿を臨在の幕屋として考えれば、旧約聖書の教えの名残りがここにもあるんじゃなと感じました。また、八幡神社南側には、倭大国魂古墳とは別の古墳群があります。八幡古墳群ゆうて全部で三つあります。しかし、どれも綺麗に保存されとるとはとても言えん状態でした。
一つ目。忠魂碑が上に建てられ、一見して古墳とは分かりにくくなっとりますが、裏に回れば入り口がしっかりあります。
別の入り口も。周りが畑になっとるし、入り口が小さく中には入れんかったんですが、位置関係から先の入り口と繋がっとるんかも知れんと感じました。
二つ目の古墳を北東角より。これも上に何かの石碑が建ってしもうとるんですが、それが何かはわからんかったでした。周囲を柵で仕切られて入れん様になっとるし、更には木々が鬱蒼と茂っており、一見して古墳とはわからんです。
三つ目。完全に一般住宅の敷地と一体化しとります。以前見た別の古墳もおんなじ様にきちんと保存されとらんかったです。そして、徳島県にはこう言った形の古墳が沢山ある様です。文化財を保護しようとせんと言いますか、敢えて他のもんとごっちゃにして分かりにくくしとるとさえ言えそうです。
今回の調べで倭大国魂神社が古い神社である事、周囲には多くの古墳があり古代イスラエル人の活動と何らかの関係があるのは推察出来ました。しかし、後に入ってきた神道等の異教の慣習によって、 今や原型が分からんようにされとるとも感じました。これは悪意を持ってされとる様にも感じます。また、最初から聖書の信仰に純粋に従っていた者達が作ったものでは無かったんかも知れんです。以前ミカエルさんから、「円墳や方墳はマナの壺を模した前方後円墳の本来の意味を忘れた古代イスラエル人らがその形だけを真似たものが後に広がったのではないだろうか」とご意見を頂いたのを思い出しました。
そして、形だけを真似るに事に関して自問をしとります。某は聖書の教えを追い求める者ですが、現時点で完全に神の律法、掟、戒めに従う者かと問われれば否と言わざるを得んです。外見上はそれなりに気にしてはいるつもりです。しかし、自分の周囲の環境、自分の内面全てが完全に主に従えとるかと問われればそうではありません。そして、この状態のままに甘んじておれば、ミカエルさんが常に戒められていらっしゃるファリサイ派になってしまう危険すら感じています。
イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
マタイによる福音書十六章六節
主イエスはその内にこの世から罪を滅ぼされるために御再臨されますので、罪を持たない者、主に相応しい者を目指さんといかんです。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
マタイによる福音書 五章四十八節
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
マタイによる福音書 二十五章十三節
勿論自覚がないと何処を改善すべきか分からんから自分自身を点検する事が必要でしょう。しかし、それだけでなく互いに熱心に学び合い、更には信仰に成熟した方から熱心に指導を仰ぎ、それにくらいついてゆくのも大事じゃなと思うとります。そして、ここまで導いて下さった主の愛や祝福に感謝して、それに相応しい歩みを続けてかんといかんのじゃろうと思うとります。また、自分の分を弁えつつ、自分に出来る事をひたすら一生懸命にするしかないじゃろうと思うとる次第です。皆様、残された時間で精一杯聖書の学びと実践に励んで参りましょう。